すべてをゆらして
窓から紺が差し込んで今日はやけに夕方が長い気がした。水谷はポケットから携帯電話を取り出し、とりあえず画面を開いてみたのはいいものの、とくにこれといってすることもなかった。ため息と共にやたら明るく輝くディスプレイを閉じるとテーブルの上に置いた。
それからどれ位待っただろう。待たされるというのはいつもより時間の過ぎ方が長く感じるものだ。少し伸びた爪の長さを見たり、前髪をいじるのにも飽きてしまったころ、扉の向こうから具合の悪そうな栄口がぬらりと姿を現した。表情を読み取られたくないのか、うつむいて水谷の前に正座すると目もあわせずにこう言った。
「ごめん」
謝られたということは、栄口は何か自分に対して悪いことをしたか、栄口自身に落ち度があったことを詫びているのだろう。キスされたことかなぁ、と水谷は垂れたまま戻ってこない栄口の頭のつむじの辺りを見ながら考えた。
だったらごめんと言われる筋合いもないし、そんなに悩まなくてもいいじゃんと言いたかったのだけれど、なぜか言葉にならなかった。
(俺は本当にこういう状況が得意じゃない。伝えたいことの半分もうまく言えない)
栄口はまだ下を向き、ひざの上で固くこぶしを握り締めている。その顔を覗き込むなんてデリカシーのないことはできなかった。
「……俺もしていい?」
思わず素直に発してしまった言葉に水谷は顔を引きつらせながら後悔した。また栄口を不機嫌にさせてしまう気がした。
しかし、その一言に弾かれたように顔を上げた栄口は、さっき教えてくれたつつじという花の色と同じように顔を赤くさせていた。『なにを』と聞き返さないまま視線を逸らす横顔には動揺の色が見える。
お互いの吐息が聞こえるくらいの距離で見た、栄口の目は少し潤んでいて、それから静かに伏せられた。
手が笑えるくらい汗ばんでいるのが分かる。時々夢に見たこともあったこの光景。水谷は栄口の唇を目で捕らえ、キスをするために体を近づけた。たどたどしく左指が栄口の拳に触れると、遠慮がちに解かれ、絡み合った指先は熱を持ち少し震えた。
(顔、が、ちかい)
右手が踏んだ、コンビニのビニール袋に気を留めずに重心をかけたら、ずるりと視界が傾いた。変なふうに重心を置いていた腕は勢いよく滑り、当初の目的とは大きく離れた栄口のあごへと勢いよく水谷の額がぶつかった。
目の前に花火が散って反転した。痛みがじんじんと額に伝わり、栄口もあごを手で押さえて痛みをこらえているようだった。
「いだだだ……」
「水谷、おでこ赤くなってる」
思わず吹き出た栄口の笑い声に、水谷もへらりと顔を崩し答えた。
「ごめん、俺肝心なとこがダメなんだなぁ……」
「でも水谷のそういうところが」
好きだよ。
素直に言えた。ありえないセリフだと思っていたその一言は、栄口のみぞおちの辺りにストンと落ちてじわじわと身体を温めた。
そうか、俺は水谷が好きなんだ。心の中でゆっくり反芻する。言葉とは不思議なもので、徐々に湧き上がる実感は栄口の中の水谷という輪郭をはっきりさせた。
気がつけば栄口はなんとなく水谷を見ていて、水谷もまた栄口をなんとなく見ていた。二人は少しはにかみながら微笑みあい、さっきのやり直しのキスをした。栄口が薄目を開けて見ると、さっき自分からしたときと同じように水谷はまた間抜けな顔をしていた。結局はなんだかんだで俺は水谷に助けられているのかもしれないな、という感慨にまた目を閉じた。水谷のくちびるはふにゃふにゃしていてあたたかい。
「うわー……これは恥ずかしい!」
「恥ずかしいなら言うなよ……」
「栄口よくこんな恥ずかしいこと俺にしたなぁ」
「あれは……、その……」
俺のことが好きだから? とほざいた水谷の額の、まだうっすら赤みの残る部分を狙ってグーで小突いたら、大げさなうめき声をあげた。