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すべてをゆらして

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SLEEPAWAY


 通された脱衣所でびしょびしょのワイシャツを脱いだ栄口は、先に置いてある水谷の衣服の上にそれを置いた。下に着ているTシャツと水分を含み色の濃くなったズボンが生ぬるく温度を持ち、肌につく感触が気持ち悪い。
 扉の向こうでは水谷がなにやらパタパタと動き回っている音がする。
 「うちに来て乾燥機に入れとけばいいじゃん」
 「着替えは貸すからさ、その間に雨上がるかもしんねーし」
 そう言われた時、お互いもう傘を差しても手遅れなくらい雨に打たれていたのでその提案に易々と乗ってしまった。バカだ、これじゃ水谷の思う壺じゃないか。憎らしいことに天気まで水谷の味方をしている。
 栄口は後悔しながら一気にTシャツを脱いだ。ベルトに手を掛けようとして少し悩む。洗濯機の上には水谷のシャツとズボンに栄口の上着が重なっている。ズボンも脱ぎたい気持ちは山々だったが、ためらう理由が栄口にはあった。
 部室でもこんな格好になるじゃないか。いや、でもここは部室ではなく水谷の家で、なおかつ二人きりなわけで。
 あれこれ思索していると、洗面台の鏡に映る上半身裸の自分と目が合い、意味もなく赤面してしまう。
 だからなんだっていうんだ、だいいちオレと水谷は男同士だろ、最近ちょっと自意識過剰なんじゃない? そう思い込み、栄口は積み重ねた洗濯物の上へぶっきらぼうにズボンを放り投げた。
 「栄口、脱いだー?」
 着替えを抱えた水谷が脱衣所に顔を出したのに驚き、思わず身を固くした。さっきまで頭の中を占めていた余計な心配が、またそわそわと回り始める。水谷の腕が伸び、そのまま押し倒されるのかと栄口は思った。
 その予想と裏腹に、腕はてきぱきと乾燥機の中へ衣服を入れていく。乾燥機のスイッチを操作する電子音を背中で聞きながら、水谷の善意に対して疑い、盛りのついた獣のように思っていたことを少し反省した。
 「たぶん一、二時間すれば乾くから、それまで俺の部屋でゲームでもしてよ?」
 「なんか悪いなぁ」
 「んなん気にすんなって」
 「ありがと……っ?」
 受け取ろうと思ったTシャツは絡みつく腕によって床へ落ちた。
 「み、みず」
 言いかけてやめた。背中越しに伝わる体温も、がむしゃらに身体を掴む手も、首筋にかかる息も、水谷のすべてがおかしいくらいに熱を持ち、自分を溶かしにかかってくる。腰の辺りに押し付けられる硬い感触が、水谷がとっくにそういう状態だということを知らせた。
 「……さかえぐちが悪いんだもん」
 好意を寄せていると分かっている男の前で下着一枚になるなんて、よっぽど警戒心がない、もう少し考えて欲しい、というのが水谷の言い分だった。
 水谷だって一応、好きになった相手の性別に問題はあるけれど普通の高校生で、普通の高校生なりに性欲はある。好きな相手と一緒によくわからないけど「とても気持ちのいいらしい」ことがしたかった。朝も昼も夜も栄口のことを考え、触ったりキスしたりその延長にあるものがしたいのに、当の本人が一向にこちらになびかないことに少し焦っていた。
 窓に打ち付けられる雨は無常にもその強さを増し、栄口は昼からの杞憂がこうして悪夢のように実現した事態に軽くめまいを覚えた。
 君のその、いつもより濃い色をしている髪の後ろ姿を見つけ慌てて駆け寄る。俺はその笑顔がたまらなく好き。君が俺の特別になって、俺が君の特別になったのはいつだったかな。思い出そうとすると顔がにやけてしまう。しまりのない顔がもっと崩れてしまうかんじがするよ。
 窓からの淡い光が振り向いた栄口をぼんやりとふちどる様子に、水谷はそんなことを一気に考えた。
 「前の時間プールだったのかぁ」
 「すげーさみーのなんの。水ん中のほうが暖かいくらい」
 「げえ、俺五時間目プールなんだよなぁ」
 少し顔色の悪い栄口の近くに寄ると、乾きかけの髪からふわりと塩素の匂いがした。プールに入った栄口はどうしてこんなにいやらしい感じがするのだろう。そういうふうに思うのは自分自身がいやらしいからだと気づくのにたいして時間はかからなかった。
 「……水着どんなの?」
 「普通のだよ」
 お前何考えてんの? 栄口はそう付け加えて水谷をきつく睨んだ。その仕草すらかわいくて仕方ない、そんな水谷の様子を見た栄口はため息をひとつ吐き、プール道具の入った袋を軽くすねにぶつけてやった。しかしそれでもなお水谷の顔は緩んだままだ。
 告白は水谷から、キスは栄口から。春に始まった二人の関係は夏が近づくにつれ少しずつ姿が変化してきていた。気温の上昇が身も心も軽い、片一方の頭の中をも浮かせている。
 栄口も水谷も男なので、校内で時々見かける普通のカップルのように恋人同士の独特な空気をもっての振舞いをすることはできなかった。水谷はそれがおもしろくないらしく時々過度のスキンシップをしてくることがある。誰に見られているかわからないのに手をつないできたり、栄口の嫌いな類のセクハラじみた冗談や、この前は使っていない家庭科室に連れて行かれ無理やりキスをされた。
 これから水谷はどうなるのだろう、その水谷に対してどう対処すればいいのだろうということを考えるのはなんとなく憂鬱だった。
 「俺さぁ、中学んとき水着忘れて、パンツでバレやしねぇなーって授業受けようとしたことあるんだよ」
 「うわー、普通やらねーだろそういうこと」
 「結局バレてさぁ、先生にすっげー怒られて」
 「はは、バカだ」
 「先生に『お前授業終わったら何履くんだ』って言われて、やっと自分のあやまちに気づいたね」
 「それ以前の問題だろ」
 水谷らしい昔話に二人で笑っていると予鈴が鳴った。いつもその音を聞くと名残惜しそうにする水谷に栄口は早く戻れと促す。自分は今教室の前で立ち話をしているからいいものの、水谷はこれから長い廊下の途中にある七組まで戻らなければならない。
 栄口の気遣いに水谷はまた表情を曇らせ、バイバイ、とつぶやくと小さく手を振って廊下を歩いていった。
 (多分昼休みにも会うのにバイバイって、おおげさだなぁ)
作品名:すべてをゆらして 作家名:さはら