すべてをゆらして
ハンドルは直ったが、タイヤの方はホイールがガタガタになっているから取り替えてもらう必要がありそうだ、と父は言った。どうしてまたこんなふうに壊したんだ、という問いには色々あった、と言葉を濁し答えたら、父はそれ以上何も聞かれなかった。
嘘ではなかった。実際いろいろ、いろいろという言葉では片付けられないくらいのいろいろなことがあったのだから。
「ミトコンドリア」
明日の生物の小テストに備え、勉強をしていた栄口は図表を見ながら声に出して読んでみた。
わりと察しがいいほうだったので、水谷がただならぬ感情を自分に抱いていることをなんとなくわかっていた。時々思い上がりなんじゃないかと考え直すこともあったが、あまり深く気に留めないようにしているのもかかわらず、その確信は日に日に強くなっていくのだった。
しかし、自分といるときの水谷は極力その感情を表に出さないように努力していたようだったし、栄口自身も意識したってどうにかなる問題じゃないと思っていたので、そこそこ仲の良い友人として毎日を送っていたはずなのに。
(栄口のことが好きなんだけど)
あの時何も言わなかったのは間違いだったと思う。「どういう意味で?」と聞き返すもいい、「俺もいい友達だと思っているよ」とさりげなく防衛線を引くもいい、「今は巨人の話をしてるんですけど」とごまかすのもいい、水谷の直球をかわす手段ならいくつでもあった。それに水谷は自分の発言をなかったことにしようとフォローを入れていたじゃないか。それに便乗するという手もあった。なのにどうして俺はあの場所から逃げ出してしまったんだろう。
「葉緑体」
中身のない言葉が部屋に響く。あまり気が進まないけれど、とにかく自分は明日水谷に会って話をしなければいけないのだと思う。逃げ出した自分に非があるし、このままの状態では水谷も生殺し、ひいては野球部全体のチームワークにまで影響を及ぼすかもしれない。なんとかして関係を元に戻すように仕向けなければならない。
しかしなんだって水谷は男である自分を好きになる必要があるのだろうか。水谷はホモなんだろうか。そうか、ホモなのか……そのことを突き詰めて考えたら栄口は微妙に気が重くなった。
ゆっくり背伸びをすると鈍い音を立てて椅子が軋む。壁に貼った時間割をぼんやりと眺め、一時間目から六時間目までの科目を心の中でゆっくりと復唱した。
多分今一番つらいのは水谷なんだろうなぁと栄口は思う。「好きだ」と言い終わった後の水谷の表情は今も鮮明に覚えている。あれはすごい顔だった。悪いとは思ったが、栄口は少し吹き出した。水谷に対し「好き」という気持ちはある。けれどこれは水谷の求めているようなせっぱつまった感情とは残念ながら違う。
(バカだな水谷、俺なんか好きになったって全然報われないのに)