荒ぶる鷲をその手に
静まりかえった部屋でアルタイルは立ちつくしていた。
引き込まれてから数刻は経つだろう、窓から差し込む光が長く伸び始めていた。
そして己の前で椅子に座り、微笑みを隠さない男ーロベールを前に困惑を感じる。
なにをするまでもなく、アルタイルをただ見つめているだけのようだ。
衛兵やホスピタル騎士に引き渡す意志も無いようで、この家に留め置かれていた。
遠くから市民の声が聞こえ、アルタイルの意識を呼び戻す。
時が経っているのに、家の主の姿は見受けられないのが、気に掛かる。
連れ込まれた当初、ロベールとの間で軽いやり取りでのあの時以来だ。
「家の者はどうした?」
動揺を悟られないため、努めて声を抑えて。
アルタイルの問いに、ロベールは口元をちょっと吊り上げ、そっけなく答えた。
「ムハンマドの元に行って貰った」
「・・・貴様」
「冗談だ。一日軽い旅行に出て貰った。費用は私持ちでな」
さっと顔色の変わるアルタイルを見て、ロベールは軽く肩をすくめた。
「冗談が通じないのだな、君は」
「・・・・・・・・・程がある」
このやり取りで緊張の糸が切れたのか、アルタイルは床に腰を落とし俯く。
少しうなだれた様子のアサシンに騎士の手が伸ばされる。
「大丈夫かね?」
敵同士とは思えないロベールの表情、声、仕草。
アルタイルの理解を超えたこの事態に意識がぼう、と遠のきそうだ。
必死に意識を押しとどめる。
「何故だ?貴様ほどの男が何を考えて、あそこにいた?」
ほぼ無意識の動作で腰に伸ばされた騎士の手をはたきつつ、まっすぐに見据えて
問いただす。
交わる視線。
「君に逢いたくてね」
さらりと臆面もなく述べられた言葉に、アルタイルは気を失いそうになった。
「これも冗談だ。・・・なに、市井の者に混じって情勢を知るのも騎士のつとめかと
思ったのだよ。騎士装束だと警戒されるだろうから、司祭を装って行くことにしたら・・・
そこに君が現れた」
どことなく声に陶然とした響きを感じるのは気のせいだろうか。
脱力しきったこの身体を抱き上げて見つめるテンプル騎士団長の言動に、嫌な予感を
感じる。アルタイルは来る衝撃に身を構えることにした。
「運命を感じないか、アサシン?」
「戯言も程々にしろ、ロベール・ド・サブレ」
気力を振り絞って騎士の諧謔に返し、顔を背けた。
そんなアルタイルにロベールはそっとため息をこぼした。
「では、取り引きをしないか」
「ここから出るために、か?」
話に乗りだしたアサシンの様子に、騎士は思わず微笑みをこぼす。
見つめるアサシンの頬に手を伸ばそうとして、またはたき落とされた。
「要求はなんだ」
「私のちょっとした遊戯に付き合って貰いたい。連絡手段として・・・」
ロベールは耳元に口を寄せ、詳細を伝えた。
「この代償は君の命だ」
この取り引きを飲まないと、己はこの家からまして、騎士から逃れられそうにない。
任務のこともある。八方塞がりな状況に陥った事に己を呪いつつ、心を決めた。
「了解した」
暗澹たる心を抱え、アルタイルはマシャフへの道を馬で疾走する。
暗殺任務自体は上手くいった。ただあの場にロベールに居合わせるとは…。
これからどう事態が転ぶか、漠然とした不安を抱え、アルタイルの心は
千々に乱れるのである。