最初はグー
なんにでも向き不向きがあるってまだ分かりきれる年じゃあないけれど、俺と比べて栄口の上達ぶりには目を見張るものがあった。最初のうちはどっこいどっこいだったような、いやしかし男の面子にかけて自分のほうが巧かった気がする。情けない今は明らかに向こうのほうが上手だ。
栄口は気が利く。それは俺や部活の仲間たち、クラスメートや家族にもそうなんだろう。でもそれがまさかこんな場面にまで応用されるとはふみきびっくりである。とほほ。
「飲む?」
ベットに腰掛けて、俺にペットボトルを差し出したその手の先、水分で潤んでいる唇に心がまた少しざわつく。
「……飲む」
重い身体をなんとか起こして飲み物を受け取った。家に来る前にコンビニで買ったその飲み物は、ぬるいけれど確実に渇きを癒す。手に持ったペットボトルの水面に、薄暗い部屋と栄口の背中が混ざって揺れた。
投げかけた視線に気がついた栄口が俺に向き合い軽いキスをする。汗で細い束になった前髪をくしゃりと掴む腕は、前、意識して眺めたときよりもごつくなったように思えた。
ある日、栄口に触るのが嬉しい俺はニヤニヤしながらその身体を弄っていると、組み敷いた下で不機嫌な顔をした栄口に真面目にやれよとマウントポジションを取り返された。驚く俺をよそに始まった栄口の逆襲は丁寧かつ親切で、その手その腰の動きにあっという間に理性は陥落してしまった。
それから俺たちはどっちがするのか決めるのにじゃんけんをするようになった。
「いいかげんパンツぐらい履けよなぁ」
ぼやく栄口はもうパンツはおろかズボンまで身に着けている。冗談のつもりで「履かせてよ」と言ったら、「オレにそういう趣味はないよ」なんてそっけなくあしらわれた。
「最近大きな魚になった気分だわー」
「なんだそれ」
「俺エッチするたび栄口に解体されてるぽいじゃん」
「ああ、マグロみたいな」
「そーそー、マグロみたいな……」
ひとしきり二人でげらげら笑った後、不思議と気まずくなり俺はシーツへ視線を落とした。
そういうわけでそのいつもの取り決めのとき、わざとこぶしを握り締めたまま栄口に出す。その差が歴然とし始めたころから、空気が読めない奴と思われるのが嫌だったので俺は常々ドロップアウト気味。
けどあの察しのいい栄口がそのことに関して何か指摘してくることはなかった。
「花井ぃセックスってどうやったら上手くなるのかな……」
「お、お前、時と場所を考えて物言えよ!」
「……」
「……」
「じゃあ問題のある単語を『野球』に置き換えて話すけど」
俺の赤裸々なカミングアウトに花井は眉をひそめて勘弁してくれという表情をした。
「俺ぜんぜんダメなんです……」
「つかお前彼女いたっけ」
「それは置いておいて」
俺と栄口のそういう関係は、副部長の清く正しいモラル観から部内では秘密にしようということになっているので、もちろん花井は相手が栄口だとは気づいていない。むしろ知られていないからこそ、こんな生々しい悩みを気楽に相談できるもんだろう。
「俺さぁ、がんばって野球やってんのにこれっぽっちも上達しないんだよねぇ」
「へ、へぇー……」
「本気で野球上手くなりたいのにどうしたらいいのかわかんないんだよぉ!」
「んなの練習すりゃ上手くなるに決まってんだろ」
いつからそこにいたのか、阿部が会話に参加してきた。今話してる野球は意味が違うって分かってる?とは聞き返せない。彼の神聖なる野球に対してそんな卑猥な言葉を当てていると知られたら、もれなく裁きの雷が落ちるだろう。
場の空気をいち早く感知した花井の眉毛が一層波打った。ど、どうしよう。心の中で阿部隆也対策マニュアルを必死に読み返している俺をよそに、阿部は至極まともなアドバイスを続けた。
「あとはコツを掴めばいいんだよ」
「……そのコツが掴めたら苦労しないんだよおお!!」
「あー、そういうのは栄口に聞け栄口に。あいつコツを掴むのだけは早いから」
「さ、さかえぐち、かぁー」
花井に目配せをしたら、明らかに『無理』と瞳で訴えかけていた。俺も無理だと思う。……いや、むしろ本人から聞いたほうが早いのかもしれない。俺のどこがダメなんだって。えー!それはちょっとつらすぎる……。
「はぁ?なんでそこで悩むわけ?お前ら仲いいじゃん」
「ちょ、ちょっとね」
「聞きにくいんなら俺が聞いといてやるよ」
阿部はつくづく俺が必要としないときに気を使ってくる生き物だ。まぁいいですよ、ちょうど会いたいなって思ってたとこだったし。 顔を引きつらせたままの花井には申し訳ないことをしたなぁと思いつつも一組へたどる足は至って軽快だ。
「あ、水谷いいとこに来たなぁ」
1組の教室に入り栄口の姿を探すとすぐ後ろから聞き覚えのある声がした。振り返ると栄口は手に2つ紙パックのジュースを持ち俺に笑いかける。
じゃーんけーん、
合図に反応し俺は無意識に指を作る。
俺はチョキで栄口はパー。
「水谷の勝ちー。好きなほう取ってっていいよ」
差し出された果汁100%のオレンジジュースとコーヒー牛乳にちょっと気後れしたら、ジュースを買ったら取り出し口に先に飲み物が入ってたことを大まかに説明し、ずずいと俺に勧めてきた。その手からコーヒー牛乳を選んで礼を言う。
甘い味が口の中を満たして思わずにこにこしたら、栄口がやたら優しい目でそんな俺を見ていた。う、嫌だ。この前俺の身体を弄っていた時と同じ色をしている。途端に、俺の上で一定のリズムを刻み動く栄口と、その下であられもない声を出し喘ぐ自分を思い出す。栄口は卑怯だよ。そんなに見ないでください、恥ずかしいんです。
「さ、さかえぐちぃ、野球ってどうやったらうまくなるのかなー……」
吐き出した後で気がついた。あの単語がさっき花井に相談した時のまんまだ!
「へ?お前そういうの気にしてんの?」
「あ、ごめ、そういうわけじゃ」
「水谷は自分で思ってるほど下手じゃないよ?」
やわらかいフォローに心が満たされてしまった。わざわざ言葉を戻してまた質問するの気はあっという間に無くなった。
「阿部がさ、栄口はそういうコツ掴むのうまいって言ってたんだけど」
「阿部がぁ?」
いぶかしげな顔をしてストローから口を離した栄口が何か考え込んだ後、俺の前髪をわしゃわしゃと掻き揚げた。
「水谷はあんまり周りが見えてないんだよなァ」
なんですかその全部分かったような顔は。口を尖らせて不満そうな顔をしたら栄口はまたあの笑顔で俺に微笑んだ。だからそれはヒキョウなんだってば!