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そらいひる
そらいひる
novelistID. 22276
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千秋一夜

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黒藪を掻き分ける様に小太郎は駆けていた。
その速さは風としか人は認識できないだろう。獣のようで敏く鳥のように軽い。

疾風が草を舞い上げて通り 過ぎ、見る見る城が遠ざかる。
白い石を積み上げて、桜に囲まれた美しい城。大きな海を見下ろす城の頂で風を浴びるのが好きだった。
けれど今はもう、お城は 魔王の手で壊され散り散りになってしまった。
もうもうと立ち上る黒煙の凄まじさ、赤々と夜空を焦がす情景を背に小太郎は駆けている。

どこへゆくのと問い掛ける声がある。
おしろにはもういられないのに、どこへゆくのと小太郎に問い掛ける。

分からない。何処へ行くのだろう、何処へ行けばいいのだろう。
戻る場所も行くあても無いのに小太郎はただ駆けている。黒藪を突き進み暗がりを掻き分けて駆けている。

どんなに走っても疲れないこの足は、これから誰のために働けばいい。
どんなに振り上げても痺れないこの腕は、これから誰のために斬ればいい。
どんなに敵が多くても決して傷付けられないこの身体は、これから誰を守ればいい。

小太郎は駆けながら懐に手を遣った。其処にはずしりと重い巾着袋がある。
純絹に桜が刺繍してある豪奢な布袋には黄金の粒がたくさん入っている。何もしなくても一人なら充分楽に暮らしていけそうな金額だった。
小太郎は巾着に触れながら、絹の滑らかさよりも銭の冷たさよりも、皺寄った老人の温かい手を思い出していた。

―――小太郎。風魔の頭よ、北条の懐刀よ。

火の手はもう二の丸にまで押し寄せていた。
兄弟たちも、嫡子も討ち取られたと聞く。妹たちと娘たちは遠くに逃がして、最早城郭に残る北条家は氏政だけとなっていた。
天守閣は黒い炎に焙られるようになりながら、辛うじて未だ火の手は伸びていない。

戦場から呼び戻された小太郎は目を瞬かせた。
其処には白い布を四方に吊るし屏風を立てて、じっと正座する氏政の姿があった。
氏政の着物も白く綺麗で、昔に遠 目で見た花嫁御陵のようと小太郎は思った。
外は黒い炎に巻かれて何処も彼処も真っ赤なのに、此処だけが別の世界のようだった。

氏政は小太郎を傍へ呼ぶと、懐から巾着袋を取り出した。ずしりと重い巾着を小太郎の掌に乗せると、氏政は「今までの給金じゃ」と言った。
小太郎は首を傾げて咄嗟にそれを返そうとした。給金には多すぎる。
それに今まで依頼をこなすたび、充分過ぎるほどの報酬を受け取っている。意味の分からない金は受け取れない。

小太郎は押し戻そうとしたのだが、氏政は拒む力よりずっと強く小太郎の手に巾着を握らせた。
後生だから受け取っておくれと嘆願した。温かい氏政の手を振り払うことなど、できようはずもなかった。

氏政の金壺眼からぽたり、ぽたりと涙が零れる。
想像していたよりもずっと悲しい氏政の涙にどうしたら良いか分からず、締め付けられる切なさに小太郎はただただ目を瞠る。
氏政は小太郎の手に手を重ねたまま、押し殺した声で静かに命じた。

「逃げるのじゃ。どうか、どうか、お前だけでも、生き延びておくれ」

重ねた手は震えていた。
震えていたのは小太郎の手の方だった。

嗚呼、もう此処へは戻って来れないのだと、その時になって初めて理解した。


黒藪を抜けると、急に視界が開けた。小太郎ははっと息を呑んで駆ける足を踏み留めた。
其処には真っ赤な花が、一面に咲き乱れていた。野原は四方を緩い傾斜で囲まれていて、ちょうど鉢の底のようになっている。
赤い花は斜面から地面から、何もかも埋め尽くすようにして咲き乱れ風に揺れている。

小太郎はその花を知っていた。
この季節、秋頃になると氏政の居室に決まって飾られていたからだ。
不吉だ縁起が悪いと家人から散々に止められたのに、氏政はこの花を飾るのをやめなかった。

―――御家が火事になりまする。

火事になるから、と。この花は火事を呼ぶから家に入れてはならないのだと。
小太郎は遥か後方で、今も屹度燃え続けているであろう小田原城を思い描いた。
花は狂おしい彩で咲き乱れている。血の色、炎の色―――ぜんぶを滅ぼす、不吉の色。

嗚呼、きっとあの花を飾ったから、お城が火事になったんだ。
小太郎は花の上に膝をついた。


あの花を、氏政様に差し上げたから、お城が火事になったんだ。

作品名:千秋一夜 作家名:そらいひる