B.PIRATES その1
白哉は、約束の時間を浮竹が違えたことや、一人放っておかれた事を怒っているのではない。
互いに忙しい身で、過去にも今回のようなことはあった。二人で夜遅くまで語り合った時などは、浮竹は酒を取りに立ったりして、よく中座していったものだ。
一人で待つことなど、どうということはない。
「…私が、腹が立つのはこれだ…。」
白哉はそう言いながら浮竹の執務用のデスクに歩み寄り、その上に積まれた幾束もの書紙に乱暴に手を乗せ、覗き込んだ。
……やはり! ここにあるものすべて、浮竹パイレーツの内部機密文書ではないか!! 何故あの男は、こうも無防備なのだ?!同盟締結中とはいえ、本来敵である海軍将校を残した部屋に、こんな大切なものを晒しておくな!馬鹿者!!
白哉は、この部屋に一人残されるたびに、無造作に置かれたこういった文書を目にしていた。
今回も白哉は、不愉快な顔をしながら、目を通す程度にパラパラとその書類をめくり、その内容を確認していった。
…市丸に破壊された都市の、復旧作業の進捗報告書か…。…以前に見た報告とは違う都市だな…。この地にも手を伸ばしていたのか…。
…材木の発注書…。…各地で起こった暴動の情報…。…武器の密輸入品の見積書…これは見捨て置けぬな…。
白哉はふいに、険しい顔をして目線を書類から離した。
…これを、私が軍に証拠として提出すれば、どうなると思っているのだ……。一時の同盟など、戦が終われば容易く反古になるに決まっている。軍が、浮竹パイレーツの確かな罪状の証拠を押さえておけば、公然と逮捕し処刑することができる。……それが解らぬ男ではなかろう…。
……浮竹は一体、私に…、どう、させたいのだ…。
白哉は、持っていた書類を握る手に力を込め、辛そうに眉をひそめた。
…いや、違う。
私が、どう、したいのか…。それが問題なのだ。
海軍としての私が、どうすべきか。それは解りきっている。
…私個人が、どうしたいのか…。 浮竹を、罪人として処刑したいのか…。
…それが、問題なのだ…。
白哉が腹を立てる理由はそこにあった。
自分がどうしたいのかが解らない。
いや…どうしたいのか、もう、答えは出ているのかもしれない。だが、それを認めることは、白哉の立場上、できないのだ。
「………。」
白哉は、閉じていた目を薄く開き、冷静な頭で考えた。
…そう、私は海軍として、今手にしている書類を持ち出し、上に提出するべきなのだ。私は間違ってはいない。
…そもそもこれは、無防備に私の前に重要書類を置いていた浮竹の失態だ。浮竹の責任なのだ。私が、思い悩む必要など、ないのだ…。
…いつもあの男は、こんな風に、私の前でも何の秘密もなく…
そう思った白哉の脳裏にふと、屈託のない浮竹の笑顔が浮かんだ。そしてそのとき白哉は、今まで考えるのを避けていた事実を思い出した。
浮竹は、白哉を、自分の仲間だと言った。
大切に、護るべき存在だと、あの裏表のない優しい笑顔で言ったのだ。
浮竹は、海軍という立場の白哉に対して、無防備で考え無しなのではない。
……私は、…信頼、されているんだ…。
白哉は、胸の中に暖かい感情が宿るのを覚えた。だが、それと同時に、身が裂かれそうなジレンマが心を冷たく襲った。
「…海賊の、くせに…!」
白哉は顔を歪めながら、手に持っていた書類を、乱暴にデスクに置いた。
白哉がそうしている間、浮竹は船内で慌ただしく動き回り、船員に細やかな指示を与えていた。
最後まで詰めていた操舵室で業務をひと段落つけて、後事を京楽に任せ、浮竹は船長室に戻ろうとしていた。
「…まずい。結構待たせたかな。怒っていないといいが…。」
「また、白哉君待たせてんの?浮竹。」
京楽が呆れたように浮竹に言ってから、口元に笑みを浮かべて続けて訊ねた。
「んで? また、白哉君を試すようなこと、してんの?」
「試すとはなんだ。人聞きが悪いな。」
「はいはい、ごめんよ。…けどさ、海軍に海賊の内部事情を晒しまくるのって、やっぱどうよ? 見てるこっちはハラハラだよ。大丈夫なのかい?」
「大丈夫さ。白哉は、いい奴だよ。」
屈託なく笑って言う浮竹を見て、京楽は、ふうん、と感心したように返した。浮竹は、やや自慢げに白哉の話を続けた。
「確かに、海軍特有のギスギスした感じはあるな。だが、どうやらそれは白哉の性格的なものもあるようだ。 白哉自身は、海軍の洗脳的な規律に囚われすぎてはいない。ちゃんとした己の意思をもっていて、他の者の話や意見を聞く耳と、理解する心を持ってる。
…俺が話す言葉の一つ一つを、…綺麗な瞳を真っ直ぐに向けて、真剣に、聞いてる。 …白哉は、すごく純粋で、…いいよ。」
「……いい、か…。」
「…ああ。…いい、よ。」
京楽は、話しているうちにだんだんと変化していく浮竹の表情をじっと観察していた。浮竹も京楽のそんな視線に気付いたのか、最後のほうの言葉は、かなりたどたどしかった。
きまりが悪そうに口を噤んでしまった浮竹に、京楽はいつものように柔らかに微笑みながらも、やや真剣な口調で言った。
「でも、海軍だよ?」
「そんなことは関係な…!…いや、…そんな、ことじゃない。 京楽、違うんだ。…白哉のことは、そんなのじゃ、ない。」
「……。」
「…そんなのじゃないよ。」
浮竹は少し困ったように笑って、「じゃあ俺は行くから、後は任せた。」そう言い残し、多少逃げるような態度で去っていった。
「冗談半分、カマ掛けてみただけなんだけどねぇ…。」
京楽は常に下がり気味の眉尻を更に下げ、困ったように頭に手を乗せて「そりゃ、マズいよ。浮竹。」と呟き、ため息を吐いた。
浮竹の自室では、白哉が、元通りにデスクに置いた書類から離れ、部屋を見回していた。
白哉は書類の存在を忘れさせるような何かを探すように、うろうろと視線を巡らしていたが、ふと部屋の隅にある本棚に目を留め、近づいて中を覗いた。
本棚には、小説から専門書まで、多様な書籍がぎっしりと詰まっていた。白哉はそのひとつひとつを興味深そうに目で追っていた。
…ソクラテス、プラトン、アリストテレス…あの男は古代ギリシャ哲学信奉者か…。
…史記、三国志、項羽と劉邦、孫子の兵法……東方マニアか…? こっちは…、バイブル、仏法蔵、論語、…? …あいつは多信教者か?
訝しげに本の背表紙を見ていた白哉が、背後で豪快に扉を開ける音に振り返った。
「すまん。待たせたな白哉。」
「いや、構わん。」
扉を開けるなりいつもの笑顔でそう言い、急いで駆けつけてきた様子の浮竹は、そのまま白哉の近くに歩み寄ってきた。
「何か、気になる本があったか? よければ貸すぞ。」
「そうだな。興味深い書物ばかりだが…。今、私が気になる最たるものは、…お前だな。」
「…え?」
白哉の言葉に、浮竹は口を半開きにして白哉を見た。
白哉はそんな浮竹の顔を横目でちらりと見て、
「なんて顔をしてる。阿呆みたいに開いているその口を閉じろ浮竹。」
そう言って、本棚に目線を戻して続けて言った。
作品名:B.PIRATES その1 作家名:おだぎり