B.PIRATES その1
「…プラトンの話に戻ろうか、白哉。 『国家』は、俺が読んでも難解な書物で、作者の真意がわからないことも多いが、プラトンは、制度の在り方、社会の在り方よりも、人間という永遠の謎の解明を追及している。
『人間は、いかに生きるべきか』。その一点だ。 お前は、どう思う?白哉。人間は、いかに生きるべきなのだろうか?」
「善と正義を重んじた人道主義により、平和と幸福の確立を目指す。それが正しい人生だと、私は思う。」
「ははっ。難解な答えだな。だが、真理だ。正しい。
…俺は、簡単に言えば、自己の幸福に加え、他者の幸福のために生きることが正しい人生だと思う。なあ?どうだろう?お前の主張と同じ意味合いだな?」
「ああ、…そうだな。」
浮竹は、優しく微笑んで言った。
「ソクラテスは、対話を重んじた。プラトンの書も、ソクラテス的対話形式で書かれている。人間同士の対話の中にこそ、理解と、平和と、真理が生まれる。そう、説いているんだ。
例えば、釈迦も、キリストも、すべての人類と世界の平和を祈り、対話による宗教哲学の流布を行じた。…気の遠くなるような迂遠な方法に思えるが、一人一人の人間の心を開き、正道に向かわせることが出来るのは、それしかないと思うよ。そうじゃないか?」
「………。」
白哉は、混乱していた。
浮竹に同意したかった。思わず、「そうだ」と言いかけた己がいた。しかし、次の瞬間白哉は自分の立場を思い出した。
…違うのではないか? それは、普遍的真理なのか?私とお前の間には、その論理は通用するのか?
白哉は、少し考えてから、ぽつりと言葉を発した。
「海賊と、海軍同士の対話で、本当に真理が生まれるのか…?」
「………。」
浮竹は一瞬口を噤んだ。
…白哉は、いつも、素直だ。常に真理を追究する、純粋な人間性に溢れている。
だが、ある瞬間に、頑なに心の扉を閉じてしまうようなときがある。その理由は、立場と責任があるせいなのであろう。それが、白哉の枷となって、自由な思想を開くのを躊躇しているのだろう。
…可哀相に…。
浮竹はそう思いながら、白哉に言った。
「…俺は、海賊として、海軍のお前と対話をしているんじゃない。人間対人間として、話をしているんだ。」
「………。」
「俺は、海賊である前に人間だ。お前のことも、そうだと思っている。 …お前は、そう思ってはくれないのか? お前にとっては、一個の人間である前に、非道な海賊としてしか、俺を見ることは出来ないか…?」
「そんなことは…! ……、…。」
白哉は何か言いかけて、思いとどまったように口を噤み、浮竹を真っ直ぐに見つめながら、少しの間、発言の是非を思い悩んでいるようだったが、真剣に見つめる浮竹に、ゆっくりと口を開いた。
「私は、話がわからぬ人間ではない。…お前は、海賊だが、……私はお前との対話の中でしっかりと、お前の話の本質を理解し、真実を見極めたつもりだ。…お前の、人格もな。」
「…俺も、お前がとても純粋でいい奴だということを知ってる。」
「………。」
「白哉。お前の言ったとおり、この世には善人もいれば悪人もいる。立場で言えば、俺とお前がそうだ。 価値観も違って、思いも性格も違う。だが、理解し合える。そうだろう?」
「………。」
白哉は、完全に口を噤んでしまった。
…浮竹は、正しい。
だが、私たちが理解し合って、その先に何があるというのか。私たちはどこまでいっても海軍と海賊だ。その中に和平が見出せるとでも?
…お前は理想を求め、私は正義を求める。
そして目指すべきは同じ、…平和。
同じ…。そう、同じなのだ…。 だが…、どうあっても…。
「…立場が…違うではないか…。」
そう言った白哉は、真っ直ぐに浮竹を見ていた。その目は、ひどく悲しそうに見えた。
浮竹は、白哉が悩んでいるのを知っていた。
白哉は、誰よりも正義感にあふれ、それゆえ常に真実を求めているのだ。そのけなげな姿に、浮竹は抱きしめたい衝動に駆られた。
「……俺は、お前が好きだよ、白哉。」
浮竹は優しく微笑んで言った。そして、それと同時に浮竹は、心の中で自分に言い聞かせるように思っていた。
…そんなのじゃ、ない。 そういう、意味じゃない。
白哉は、いい奴なんだ。友人として、こんなにいい奴はいない。立場と責任を重んじながらも、俺を理解できる方途を見出そうと悩んでくれてる…。 放っとけないんだ…。
浮竹は、そう思ってから、にっこりと微笑んで、一段と明るい声で白哉に言った。
「なあ! 俺は、まだまだお前と語り足りないんだよ。お前をもっと知りたいと思ってる。お前の良いところも、悪いところもな。…何かの、結論を出すのはまだ早い。 そうじゃないか?」
浮竹は、白哉の肩をポンポンと叩いて、言った。白哉は少しだけ驚いたように目を見開いて浮竹を見ていたが、ふとその目を細めて、頷いた。
「…ああ。…そうだな。」
「よし! じゃあ、座って、もっとゆっくり話そう。 …おっと。仕事の話が先だったな。…すまん。俺のせいで時間がかなりズレてしまったな。ちゃっちゃと終わらせよう。掛けてくれ、白哉。」
嬉しそうにそう言いながら白哉の肩に手を置き、優しくソファへ促す浮竹を、白哉は柔らかな眼差しで見つめていた。
白哉の心が、心地よく、温かかった。
「………。」
報告書を書くのも忘れ、長い間、その時のことを思い出していた白哉は、更に深く、浮竹のことを考えた。
…浮竹は、今まで会ったどの人間よりも真っ直ぐで、大きい。
いつでも、言葉に真実がある。
浮竹は、私を、信頼していると言う。護ると言う。大切だと言う。…好きだと、言う。
私はまだ、立場上、その言葉をどこまで信じてよいか解らぬ。だが、相手の誠実な心には、誠実な心で返さねばならぬ。
…私も浮竹を、信頼したいと思う。
私も浮竹を、好……
……。
白哉は、そこまで考えて、突然思考を中断させた。
…違う。報告書だ。仕事を終わらせねば。
いかんな。近頃、雑念が多いようだ。…ぼんやりと考え込む時間も多くなっているようだが…何故だ?
気を、つけねば…。
白哉は、ふう、と物憂げにため息をついて、再びペンを執り、報告書に向かった。
そのとき、白哉はふと、海に不穏な気配を感じた。
「……?」
白哉はペンを置いて席を立ち、部屋にある小さな窓から外を見た。
波は凪いでいるが、天候は悪い。薄暗く、霧が濃い。
「…………。」
…何かが、近づいている気がする。
白哉は、目を凝らしてしばらくの間、外を見ていたが、小さい窓から見える範囲は限られていたため、仕方なく船外へ出て甲板から海を見ようと、窓から離れ、部屋の扉に向かった。
ちょうどその時だった。
すぐ近くで大きな爆音がしたかと思うと、強い衝撃が船を襲い、先ほどまで白哉が覗いていた窓ガラスが粉々に砕け散った。足元に振動が走り、船体がぐらりと揺れた。
「……っ!」
白哉は壁に寄りかかり、かろうじて転倒を免れたが、どうやら船が大きく損傷したらしい。船全体が軋む音が聞こえた。
「…砲撃を、受けたのか。」
やがて、窓の外から荒々しい男共の怒声や、叫び声が聞こえ始めた。
作品名:B.PIRATES その1 作家名:おだぎり