鬼哭
問い掛けた途端、三成の顔が変わった。それを脳裏に思い浮かべただけで我慢ならないという様子に、元親は答えを悟った。そして元親もまた、剣呑な光を隻眼にちらつかせて言う。
「……似てねえよ、どこも」
元親が、かつて家康と眼前の男の間にあった他愛ないやりとりなど知るはずもない。一体何を思ってあの病身の男はそんなことを言ったのかと、元親は把握しかねて口の端を歪める。
「俺ァ、あいつが欲しいもんには興味もねえしな」
三成がその呟きを拾い、繰り返した。
「……奴の欲するもの……」
憎々しげに言う男を見て、元親はふと疑問を覚えた。誰も彼もが手を伸ばすあの「宝」を、憎悪を纏わりつかせた復讐の欲しか持たないようなこの男もまた、かつては求めていたのだろうか。今もその憎しみが満ちたなら、新たな欲としてその身の内から取り出してみせるのだろうか。元親は尋ねた。
「なあ、あいつと――ケリをつけたらよ、あんたも天下が欲しいのか」
「そんなものに興味はない」
「……へえ」
くだらないことを聞くなと言わんばかりの厭わしげな声。元親はその答えを予想していた気がした。或いはそうであれと願っていたのかもしれないと思えば、何か自嘲するような気分が湧き起こる。どのみち家康を倒せば、自動的にこの男は天下に最も近い男となる。まだ西軍にも東軍にもついていない勢力はあれど、平定するのは時間の問題となるだろう。
「それならあんたは何を手に入れる気だ」
この日ノ本を見下ろして、その涼しい眼は次に何を求めるのか。
「私の望みは家康の首だ。それ以外に欲しいものなどない」
断言する三成に苦笑をして、元親は一歩先を促す。崖の下を覗きこむつもりなどない気軽さで。
「だから、その後だよ」
「……あと?」
凶王は、どこか宙に浮いたような声音でただ繰り返した。元親をじっと見返すその顔は、まるで初めて聞いた単語だという顔をしていた。その言葉の意味がわからないという顔だ。そして機械仕掛けの人形が喋り出すように無機質に、言った。
「私が望むのは、家康の命だ。私の心は家康の死しか望まない……、それ以外の何も要らない……」
低い声が紡ぎ出す、暗い深淵から望む、唯一無二の執着。
知っていたはずのそれが、一気に元親の全身を総毛立たせた。
「あんた、……」
元親は言葉を探しあぐねて息を呑みこみ、やっと見つけたそれを吐き出した。
「じゃあ、あんたには何が残るんだ」
空洞の眼が元親を見つめた。
真っ直ぐに、内心を映しだすその眼がありありと浮かべてみせた虚無を見つめ返して、元親は茫然とした。そして、言わずにはいられなかった。
「なあ、……それじゃあんた、淋しすぎるじゃねえか」
誰かに、似たようなことを言った。元親が頭の隅に閃いた細い影に気付くと同時に、三成の無機質な顔に亀裂が走った。
どこかで、聞いたような言葉だ。
三成の顔がゆっくりと驚愕に染まる。
――三成は、眼前に立つ潮風を纏った男と、罪深きあの男に類似した部分など見つけていなかった。何故なら三成の中ではあの男の記憶はもはや、総てが憎しみでのみ彩られているからだ。かつて、本当に遠いあの頃に交わしたものなど記憶の奥底に埋めたまま、そこに在ることを思い出しもしなかった。
なのに突然噴き出したそれが泣きながら叫ぶ。
誰にも何も与えず与えられずに生きていくのか、
それではあまりに、淋しいじゃないか!
三成の顔がわずかに青褪めたことに気付き、どうした、と言いながら元親が腕を伸ばす。
その手を、鋭く閃いた凶王の手が叩き落とした。
「なッ……」
同盟を組んで以来、厭わしげな顔を向けられたことは幾度もあったが手をあげられたことはない。それほど不快な言葉だったのかと眉を顰めた元親から顔を背け、三成は小さく言った。
「刑部はいつも正しいのだ……」
そしてその言葉の意味を尋ねる前に、凶王は身を翻して去ってしまった。
日が暮れてからも何か落ち着かず、元親は気晴らしに大阪城の周囲を歩いていた。与えられた居室に籠っている気分ではない。
自分にも同じ憎しみがある。だがそれと同時に守らねばならないものもある。総てが終息したならば、元親は国の復興に全力を尽くすだろう。元親には両手で抱えていくべきものがあるのだ。そして、あの男にはそれがない。
他の何もその手に持たず、ただひとつを追い求めるその危うさを考える。
知らぬうちに険しい顔をしていた元親の頭上から、唐突に声が降った。
「籠に囲われたからすめが」
空気を貫くような芯のある艶やかな声。聞き慣れたそれに、元親は眼を見開いて頭上を振り仰ぐ。だがそこに求めた姿はなかった。
「サヤカ!?」
驚愕と同時にわずかに碇槍を動かし、警戒を纏う元親の顔を見て、姿を見せないままに声だけを飛ばす雑賀の首領は口調に醒めた笑みを交えた。
「なるほど、知っているか」
「ああ……お前、家康についたんだろ。いくらお前でもよ、俺ァ手加減する気はねえぜ。お前がこの城の大将首を獲りに来たってんなら―――」
元親は最後まで言うことが出来なかった。身構えたその顔面へ向けて、どこからともなく凄まじい勢いで掌大の石くれが飛んできたのだ。咄嗟に顔を避けてかわした瞬間、寸分開けずに放たれたらしい第二撃がその避けた顔面へ直撃した。額に石を叩きつけられ、一瞬のけ反った元親は思わず頭を振って喚いた。
「痛ェな!んだ、いきなりご挨拶じゃねえか!」
発砲音を出すことを厭い、銃撃ではなく投石を選んだ孫市は、その反応を確認して一人頷いた。元親の態度は敵意を表してはいるが、割に余裕のある対応とも言えた。本気で我を忘れるほど怒りに狂い、猛っているならば、この男は石塊など槍の一振りで粉砕した上、瞬時に孫市を見つけ出して飛びかかっているだろう。
「案外、眼は曇っていないようだな。頭も冷えているようだ――ならばよいだろう。
……いいか、元親。考えることをやめるな。思考を止めるな。おかしいとは思わないのか」
突然に語り始めた孫市を眼で捜しながら、元親は眉根を寄せる。
「何を……」
「お前はかつて私に語ったことがあったな。三河の将、徳川家康と一戦交えたと」
元親は低く唸った。
「やめろ、昔の話だ」
「とても気持ちの良い奴だったと、聞いてもいないのに喜々としてお前は私に」
「やめろっつってんだろうが!!」
元親は吠えた。その眼が迸らせる仄暗い炎に、孫市はわずかに表情を曇らせた。
「聞くぞ、元親。お前が語った男は、本当にあんなことをするとでも」
「何だってんだ!過ぎた話を使いやがって、懐柔のつもりか、お前がそれほどつまらねえ手を使うとはなあ!」
「まだ、頭が冷えているわけではなかったか」
燃え滾る眼を見て溜息をつく。だが孫市はなお言葉を紡いだ。
「我らは四国の壊滅について調べていた」
「……何だと」
元親は雑賀の持つ情報収集の力を知っている。だが同時に、それを闇雲に使うことはしないことも知っていた。その雑賀がなぜ直接関係もない自国の壊滅を調べ上げたと言うのか、元親が怪訝な眼を空中へ向ける。孫市は少しだけ炎を収めた瞳の色を見て、さらに言葉を繋いだ。