Kissing cousins
「監査?」
端的に副官に告げられた一言に、男は訝しげな表情を隠さぬまま、伏せていた顔を上げた。処理の終わった書類を纏めて揃えている副官に残りを手渡すと僅かに首を傾げる。
「またか。前回からそう間は空いていないような気もするが。今回は何のネタにつっこんでくる気だ?」
「先日更迭した担当官が何やら異議を申し立てているとかで」
告げられた事には気のない相槌を一つ。上官は興味ないといった体で視線を逸らした。どうみても右から左へと抜けている。ついでに見るからにやる気ない態度を隠そうともしない。
その件はもう終わった事だ。密かに悪名高かった、ちょうど中央と東部の境にある交易都市での不正を暴いたのはほんの少し前の事。
往生際が悪いな、と呆れたように呟いて黒髪の男は副官を見上げた。
「取りしらべが不当だとか証拠品が不十分だとかそういう文句か?」
「いえ」
彼女はそこで言葉を句切った。
珍しい、と先を促せば、彼女の表情にはほんの微量な何かが込められてる。普通では気付かないかもしれないが、流石に長いこの付き合いだ。何とはなしに面倒そうな気配を感じて、自然と眉が寄る。
無言で続きを促せば、今度こそ中尉は苦笑を浮かべて内容を告げた。
「『自分の行動はすべてマスタング大佐の指示によるものである』」
――――証拠の書面もある。よって、もう一度押収された資料の再調査を要請する。
その場にいた人間には結構な衝撃をもたらしただろうネタではあったが、そのご本人様は一瞬の沈黙の後、来たな、と短く呟いた。
「私が裏金でも作ろうとしてそいつに指示して厄介払いの為にハメて身柄拘束させてその間に証拠隠滅を計った、とくらいは言っているわけだな」
「あちらの筋書き的にはそのようなものでしょうか。それ以来、黙秘を貫いているようです」
「・・・苦し紛れも構わんが、もう少しやりようがあると思うが」
「それだけこちらの動きが早かったという事でしょう」
まぁそれは良いのだが、また一番面倒なところへ、と思わずぼやきたくもなる。
実際のところ、その不正にこちらが関係がないとわかっていても、被疑者のその一言だけをネタに、これ幸いとつっついてくる連中は山ほどいる。
曰く、火のない所にはなんとやら、後略。
そのうち降ってくるだろう嫌味の嵐を捌かなければいけないのかと思うと、最後の最後にいらん事を言ってくれた者の意趣返し(本人的にはもっと道連れっぽいもう少し大事を狙っていたと思うが、こちらにしてみればその程度しかない)も、かなり効果的だったといえよう。
「現在はそれが原因で審議は止まっています」
「時間稼ぎだな」
「まぁそうですね」
このところ、こういったことが立て続けに起こっている。それも軍内部の不正だ何だの問題に関しては、事後処理だけでなく、後任人事や防止の対策といったおまけにくっついてくる仕事も面倒かつ気を遣わなければならないような部類のものばかりだ。
すべてを決定するのは自分ではなくても、最終的に決裁しなければならないものはこちらに回ってくるし、事態が複雑になればなるほど確認書類も芋づる式に増えていく。
おかげでここしばらくは街に(気晴らしという名の)視察に出る事もままならない。(ちなみに司令部内でウロウロするのは「気晴らし」にはノーカウント)
心情的にはもう何でも良いから早く終わらせたい、の一心なんだが。どうやらそう簡単に事を進めていただくわけにはいかないらしい。
「…それで、監査に入るのは?」
まぁ、別に探られて痛いものが出てくるわけでなし。
中央もそんな苦し紛れの言い逃れをそう信じて本格的な捜査に乗り出して来るほどヒマではないだろうし。悲しいかな、こういった不正の更迭などは表沙汰にならないだけで、よくあることなのだ。
すっかり興味を無くし、別の書類を目で追いつつ、取りあえずといった気持ちで問うてみれば、
「監査はそのまま軍法会議所の方で行うそうです」
副官の答えにピタ、と動きを止める。
・・・・・・。
「・・・それで?」
「担当官はマース・ヒューズ中佐が」
待った。
「・・・ちゅうい」
しまった、最初にソースから聞いておけば良かった。
最後のオチのお陰で物凄い無駄な遠回りをしたような気がして、何だか疲れがどっとくる。
微妙に半目になっているだろう自分を感じたが、まぁそれはもう仕方のない事としておいてもらおう。
で。
「・・・この情報はどこから?」
「今朝、中佐から直にお電話いただきました」
「・・・・・・君もひとが悪いな、中尉・・・」
ぐったりと椅子にもたれ掛かった上官を見つめながら、彼女はここにきて初めて表情を崩した。
「お疲れのようでしたので気分転換にはなるかと」
「お心遣いいたみいるよ・・・」
遊ばれてる。
マジメに聞いてたのに。
何だか微妙にやさぐれたくなって、机の上にペンを置いた。それを休憩の合図ととったか、ホークアイはコーヒーでよろしいですか?と聞いてくる。
頷いて返して、彼はぐだぐだになって椅子に沈んだ。ちょっと他の部下には見せられない姿だが、この副官にとっては見慣れた光景でもある。独り言のような上官のぼやきは止まらない。
「ああくそ、今から頭が痛いな。何を要求してくることやら」
「『お前んちのボトルで勘弁してやる』」
そうご所望されていますが。
先手を打って抜かりなくそこまで伝えていた悪友のにんまり眼鏡が脳裏を過ぎる。何の、とは特に指定されてはいなかったが、あれが目を付けそうなものは何となく予想がついた。
小さく舌打ちする。隠してた筈なのに、目敏い。
他の面々にリサーチしてみれば、人の事をとやかく言えないほど目敏いのは同じだ、と言われるだろうこの上官は、小さく息をついた。
微妙に色々諦めたらしい。
それを見越して、揃えた書類を手に踵を返した。
ああ、と扉の前で一度振り返る。
「それとお伝えし忘れていましたが、ヒューズ中佐は明日午後の列車でこちらに来られるそうですので」
では、とホークアイは優雅に一礼して退室した。
…それは早く言いたまえよ、とツッコむ間もなく。
・・・やはり微妙に楽しげな気がするのは気のせいなのか。
…何の仕返しだろう。
パタン、と閉まる扉を見送りながら、ちょっとばかり微妙な心地になるのは止められなかった。
作品名:Kissing cousins 作家名:みとなんこ@紺