ゆるぎないものひとつ。
「お前を狙ったのは、失敗した腹いせだとよ。…あんま、凹むなよ。お前が悪いんじゃないし」
「…俺が悪い。…もっと、早く気付いてれば、ヴェストに怪我なんてさせなかった」
思い出しても肝が冷える。悪い夢を見ているようだった。大事なひとを二度も…一度目は敬愛していた上司を、次は最愛の弟を目の前で撃たれる場面を自分は目にしなければならないのだ。…プロイセンは逃がすように詰めた息を吐く。
「あんま、思い詰めるなよ。お前にとってドイツが一番、自分は二の次なんだろうが、ドイツにとっては、お前が一番。自分は二の次なんだから」
青ざめたプロイセンの顔を見やり、ザクセンがそう言えば、プロイセンは訝しげに顔を上げ、ザクセンを見やった。
「は?」
「何?」
「何って、聞きたいのは俺だったんだ!何で、ドイツの中で俺が一番なんだ?自身が一番だろ」
「それは、ドイツに聞きば?俺に訊くな。ドイツに俺が心配してたって伝えといて。今日はもう遅いし、明日、改めて見舞いに来るよ」
「え?、あ、おい、ちょっと、待て!」
ザクセンはヒラヒラと手を振って、病院の裏口へと向かう。それを見送り、プロイセンは思い切り眉を寄せると、すっかり冷えて冷たくなったコーヒーを啜った。
公邸の上司にドイツが目を覚ましたことを報告し、それに労いの言葉とドイツの傍に就いているように言われ、プロイセンは重い足でドイツがいる病室へと戻る。必要なものは全てザクセンが揃えてくれたらしい。病院に近いホテルの一室が準備してあると部下から報告を受け、気遣いに礼を言わないとそう思いながら、病室の前に立つ。八つ当たりもいい感じに、怪我人相手に当り散らして癇癪起こして飛び出して来たので、何となく戻るに戻れない。それでも、ホテルで休む気にはなれず、傍にいたいと思う。でも、顔を見ればまた、責める言葉しか出てこない気がする。プロイセンは迷うように病室の前に立ち尽くす。
「…兄さん、そこにいるんだろう?…廊下は寒い。中に入ってくれ」
中から良く通るドイツの声。プロイセンは肩を震わせ、むっと眉を寄せる。…いつから、ドイツは自分がここにいると気付いていたのか…。プロイセンはドアを開いた。
「…具合は?」
「鎮痛剤が効いてるのか、痛くはない。…少し、眠いが」
「…鎮痛剤の所為だろ」
プロイセンは椅子を引き寄せると、腰を下ろす。それをドイツはじっと見つめた。プロイセンは視線を逸らし、むすりと押し黙る。それにドイツは暫し迷うように口を開いた。
「…兄さん、先の話なんだが、」
「…何だよ」
素っ気無くそう返せば、ドイツは小さく息を吐いた。
「俺は兄さんが、こうならなくて良かったって思ってる」
「何でだよ?」
また怒鳴りそうになるのを押さえ、プロイセンはドイツを見やる。
「そうなったら、きっと俺自身が辛いから。だから、これは俺の自己満足なんだ。あなたが気に病むことは何も無い」
凪いで微笑する青にプロイセンは眉を寄せた。本当にそう思っているのだろう。ドイツは嘘は吐かないし、自分に告げる言葉はドイツ自身が本当に心からそう思って自分に言う言葉なのだ。
「…やっぱり、お前は馬鹿だ。…俺だって、お前と同じだ。お前が目の前で傷つくとこなんか、見たくねぇんだよ。自分の身を切られる方が耐えられる」
自分が傷つくことよりも、ドイツが傷つくほうが耐えられない。ドイツが傷つけば、その倍の痛みがこの身を苦しめる。…それでも、ドイツがそう思ってくれていることは素直に嬉しいと思う。
「…そうか」
ドイツは小さく笑った。
「そうだ。だから、二度と同じこと、するなよ」
その笑いにプロイセンは念を押して、言葉を重ねた。
「…それは、了承しかねるな」
「了承しろ、馬鹿」
まったく、困った弟だ。…プロイセンはドイツの頬を撫でると、こつんと額を合わせた。
「…ごめんな。…ありがとう。…早く良くなれよ」
「…ああ。…その、心配かけてすまなかった」
ドイツの言葉にプロイセンは赤を緩ませると、捲れたブランケットをドイツの肩まで引き上げた。
「寝ろ。そばに居てやるからよ」
「…ああ」
ドイツが目を閉じる。やがて、聴こえ始めた寝息にプロイセンはドイツの前髪を梳くと、額に口付けを落とした。
退院までの数日、プロイセンはずっとドイツの傍に付き添った。元が病院なこともあってか、看病は手馴れていて、医療行為以外はプロイセンのお陰でドイツは不自由なく過ごすことが出来たのだが…。
「あーん?」
差し出されたフォークを前にドイツは困った顔をして、プロイセンを見つめる。プロイセンはそれを不思議そうな顔で見返し、もう一度、ドイツに口を開けるように促した。
「兄さん、怪我をしたのは手ではないし、食べさせてもらわなくてもちゃんと自分で食べれる」
「いいじゃやねぇかよ。お前がこんなんなるとかこの先、ないかもしれないしってか、絶対、ねぇし。…一度、やってみたかったんだよ。口開けろよ」
にこりと笑われ、「ん」と突き出されたうさぎの形にカットされた林檎にドイツは眉を寄せた。今まで、食事の介添えなどしてもらったことはないし、いい年をしてと思うととても気恥ずかしい。それが解っているのか解っていないのか、無邪気な笑みを浮かべてプロイセンは「あーん」と言ってくる。
「…兄さん」
「何だよ」
「…恥ずかしい。自分で食べる」
フォークを奪おうとすれば、プロイセンの手は容易に逃げる。そして、機嫌を損ねたように口を尖らせた。
「兄さん」
「お前のために林檎、剥いてやったのに食えないってのかよ」
じっと赤が責めるようにドイツを見つめる。それにドイツはうっと息を詰まらせた。
「…いや、そうじゃなくて」
拗ねたプロイセンの機嫌を取るのは後が大変だ。…ドイツは羞恥と後の面倒を秤に掛ける。
「…兄さん、食べさせて欲しい」
かなり、今回のことで怒らせたし、心配をかけたことも思えば、これぐらいの我儘は可愛い。それに、こうして始終一緒にプロイセンと過ごすのも久しぶりで、甘えたい気分になってきた。
「最初から、そう言えっての!…あーん?」
拗ねていた口があっさり緩む。突き出された林檎を齧れば、甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。
「美味いか?」
「…ああ。美味しい」
頷けば嬉しそうにプロイセンは笑う。二口目を口にしようと開いたところで、ドアが開いた。
「ドイツ、傷の具合どうだ?」
ノックもなしに入ってきたのはザクセンで。ドイツは思わず固まる。フォークを差し出したまプロイセンが振り返った。
「大分、いいぜ。明日には退院出来るってよ」
「そっか。それは、良かったな。…ってか、何、やってんだ?」
固まったドイツと口元に食べかけの林檎を突き出したままのプロイセンをザクセンは温い目で見やった。
「林檎、食わせてやってんだよ。お前も食うか?」
「食う。昨日、俺が持ってきたヤツだろ」
「うん。これ、ヘッセンとこの林檎だろ」
「良く解ったな。ドイツにって持ってきてくれたんだよ。皆、ドイツを心配してたぞ」
プロイセンが差し出してきた皿から、うさぎを一羽手に取るとザクセンは租借する。暫く固まっていたドイツは我に返った。
「…もう、皆に伝わってるのか?」
作品名:ゆるぎないものひとつ。 作家名:冬故