mariage
ギャンギャン大絶叫しても、この光景に見慣れた部下たちは誰も止めようと思うものはなく。
「・・・・鋼の。」
耳元で囁かれた声色は今まで聴いたことのない艶を含んでいてエドの思考回路にストップを掛ける。
次の瞬間には何時もの状態に戻っていたのでただの錯覚のように思えた。
「今日は何のお願いをしに来たのかな?」
「あー、宿が取れなかったからここの宿舎を借りようと・・・って、放せよっもう暴れないから。」
なんだか気恥ずかしくなってきたエドは腰にまわった腕を解こうとするがびくともしない。
「なんだ、それなら家へ来るといい。」
「は・・・・?なんでアンタのうちに行かなきゃならないんだよ?ここの宿舎を借りたいって言ってるんだけど?」
この無能め。
言外に思いつく限りの言葉を羅列して冷ややかな視線を投げ掛ける。
「残念ながら、ここも空きがなくてね。」
もちろん、そんなことがあるけもない。
厳密に言えば空きがないわけでもないのだが・・・。
「言葉と裏腹に笑顔なのは何故だか聞いてもいいか?」
こめかみに青筋を浮かばせて目を吊り上げてお伺いを立てる。
「もちろん。君と一夜を過ごせるからに決まってるじゃないか。」
「は?」
「Mariageの意味を知らないのかい?」
人並み以上の知識を自負しているエドはこういう言われ方をすると弱いことを充分に知った上での台詞だった。
「・・・・知らないと、おかしいのか?」
案の定好奇心に負けたエドは大佐の罠に落ちる。
大佐はといえばこれ以上ないくらい蕩けるような笑みを浮かべて。
「いいや。…だが知りたければ家においで?」
この日以降、大佐との関係の歯車が思いも寄らぬ方へ動き出すことをエドは知るべくもなかった。
「・・・・Dear,mead」
エドの耳にかすかに届くくらいのささやきで。
「嫌だっ・・・・つったら?」
「そうだね。この寒空の下、野宿でもするかい?」
軍の寄宿舎や寮の空きがないと言うことはないだろうと頭の墨ではわかっていた。
民間の宿が埋まっている状態では、軍の縁の物がこぞってそれを利用していて飽和状態というのも半分ぐらいは本当なのだろうとも思う。
でもまるっきり空きがないなんてことはない。
緊急用に明けてある部屋は必ずあるのが常識なのだ。
それでも、ないとこの男が言うのならば・・・・。
きっと自分に隠しておきたいことだったり、何か腹に一物あるに違いないとそう思う、エドだった。
ならば真相を突き止めなければ気がすまない性質なのだ、この馬鹿げた芝居に乗ってやろうと心算する。
お互い本当の気持ちは隠したまま。
「・・・・わかったよ、嫌だけど他があいてないならしょうがねぇ。我慢してやる。」
「普通、ここは『お願いします。』だと思うのだがね?鋼の。」
気を使わせないためにだろう、少年の尊大な口調に思わず笑みが漏れる。
それとは裏腹に声色は不平を顕にしていて表情が見えなくてよかったとロイは思う。
「ああ?半ば強制的に泊まらせようとしてるくせに恩着せがましいんだよアンタは!」
全く、君は賢くて勘も鋭いのに・・・と言葉にはせずに嘆息すると腕の中の体がビクンと跳ねた。
途端にあふれ出しそうになった感情を押しとどめるように腕の拘束を強くする。
当然のように抗議されたが感情の軌道修正の時間を稼ぐためにゆっくりと開放した。
「で、アンタ何時に上がれんの?」
視線を合わせないままに、首をコキコキと鳴らしさり気なく緊張を解して。
誤魔化すために話題を振るのも忘れない。
「・・・・そうだね。今日は明けだから4時には上がれるよ。」
「~~って事はあんた寝てねぇんじゃんか、俺らが泊まりに行ったら休めねぇだろ。」
本当に何考えてやがるんだ、この野郎は。
普段の自分の行動はこの際棚上げして。
「そんなことはないよ、逆に君が来てくれないと疲れが取れない。」
「脱力するような台詞はや・め・ろ。」
「そんなに照れなくてもいいんだよ、ハニー。」
暗雲立ち込める部屋には雷鳴が轟いた。
重厚さと頑丈を誇る扉がゆがむぐらいの勢いで扉を閉めて、続く廊下も踏み抜かんばかりに体重を乗せて歩き、エドは不機嫌さを顕著にしていた。
それを見た一番の理解者である弟が嘆息する。
実際にするわけではないけれど、無機質なはずの冷たい鎧に感情が見て取れるのが不思議なところだ。
「アル!行くぞっ」
何処に行くとも聞けずに歩幅を大きくした兄についていく。
大佐の部下の面々に丁寧に頭を下げ不躾な兄の変わりにフォローをしつつ。
役割分担のよく出来た兄弟だった。
「全く・・・・大人げねぇなぁ。あの人も。」
その場にいた全員の感情を代表して言葉にした。
それを茶化すように。
「お、何だ?ハボ。上官批判か?やったれやったれ。」
「これ以上減俸されるか、仕事量を増やされてもかまわないのなら止めませんよ、少尉。」
いい暇つぶしのネタとばかりにまぜっかえす。
「本当に、あの子のことになると不器用な人ね。」
ホークアイの言葉にその場にいた同僚は一様に相槌を打った。
先ほどのやり取りを見た限りでは十二分に展開が想像できて同情も出来ない。
普段はやり過ぎなくらいソツなく相手をコントロールして自分の有利な方へ誘導するぐらいなのに。
どうしてあの子にはオブラートで包んだような優しさしか与えないのだろうとホークアイ中尉は常々不思議に思っていた。
自分でさえ彼の思考論理はほぼ掌握しているのだから、大佐が出来ない訳はない。
最初のうちこそよく衝突していて犬猿の仲と称されるほどには行き過ぎたコミュニケーションを取って見せていたのに。
それも計算ずくで。
一体何処でそのスタンスが変わったのか。
贔屓目にみても彼を態と怒らせていたのは明白だった。
ただ、その裏に隠された思惑が以前と違っているのを今更ながらに感じ取った。
大佐が少年に対する物言いは、同等に見られたいと思う彼の感情をよく理解して演じていたに過ぎない。
よくも悪くも10以上は離れた『大人』なのだ。
その壁は想像以上に高いに違いない。
今まさに心の濁流と戦っているだろう少年を思い心の中でひっそりとエールを送る。
ひねた大人にまっすぐな子供。
違いすぎるから求めるのか、似ているから反発するのか。
求める答えが同じならば、そのうちかみ合うこともあるだろう。
起こっても居ないことを危惧するのはやめにして、とりあえず駄目上官の尻を叩きに司令室の扉をノックした。
「そんな顔をされるくらいならもう少し上手くやってください。」
「手厳しいね。」
ホークアイ中尉が顔を見せて、大佐があからさまに眉根を寄せたのを見咎めての台詞。
これが例えば曹長とか少尉ならきっと駄目上司の顔をしたままだっただろう。