mariage
本当は心配でたまらないくせに素直じゃないったら。
鍋が焦げないようにレンゲを回しにキッチンへ戻った。
一方エドは大佐を呼びに、自室のドアの前で立っていた。
プライベートな空間に脚を踏みいれることを意識して声が掛けられずに躊躇する。
「折角作ったし・・・。」
食べてもらわないことにはもったいないし。
それに大佐を連れて行かなければアルに怒られそうだ。
そちらの方が恐ろしい。
普段温厚な分、怒らせると手に負えなかったりする。
意を決してドアをノックした。
返答がないのでノブを回して中を確認する。
「おーい?たいさぁ・・・。」
明かりがついてないということはここに居ないか寝ている可能性もある。
しかし気配はするのでベットへ歩みを進めると、軍服も脱がずに無防備に横たわっていた。
周りを探してサイドボードの淡い明かりをつけた。
日ごろの不遜なイメージしか持っていないエドは戸惑うばかり。
四肢を伸ばして片方の脚はベットから落ちて投げ出されていた。
上着の合わせは外れているし、シャツも着崩されている。
「おっさん、起きろよ。風邪引くぞ。」
肩を揺さぶろうと生身の方の手を伸ばした瞬間に、瞳が開き伸ばした腕をつかまれた。
エドは咄嗟に腕を引き戻そうとしたが、視界が白く染まりそのまま身体を引き倒された。
ロイにシーツごと組み敷かれる形になった。
お互い状況を把握するのに数秒を要した。
「何だ・・・君か・・・。」
「おっさん!!ねぼけてんじゃねぇっ。」
シーツで覆われたために思う様に身動きが取れない。
「・・・・・。」
「早くどけよ。」
屈辱的な体制をとらされたまま、開放する様子が見られない事にいらだつ。
「おっさんは酷いな。」
拗ねたような声色はエドのすぐ耳元で聞こえた。
「うわっ、ちょっ・・・・耳元でしゃべんなよ。それに重いし、はやくどけーーー。」
「うん?訂正するまで動かない。」
くすくすと楽しそうに笑う大佐が珍しくてエドは何故か頬の辺りが熱くなるのを感じた。
「君は・・・暖かいね。」
独り言の様につぶやいて、エドを抱き込む。
「ぎゃーーーっ離せーっ」
まるでお気に入りのおもちゃを手に入れた時のように楽しげに笑い、大佐はさらに抱き込む腕に力を入れた。
「ほら、早く訂正しないと。『かっこいいお兄さん』とでも。」
その台詞が余計にエドの神経を逆なでする。
「ふっざけんな!!誰がそんなこと言ってやるもんか。」
「では、譲歩して『ダーリンv』でもよかろう。」
本気でこいつ頭に虫が湧いてるんじゃ・・・・とエドは不安になった。
「あのなぁ・・・。」
今日の大佐は本当に調子が狂う。
いつも悠然とした態度で自分を怒らせたりからかったりしていたのに。
司令部にいた時も、今この目の前にいる男も。
まるで別人ではないのか。
からかっているのは同じでも、何時もの感じとは違う。
子供が構って欲しくて、気を引くためにいたずらをしかけているようだ。
そこまで考えが及んで、思いっきり否定した。
だって・・・・ありえないだろう?
持ち前の明晰な頭脳で導き出した答えに少なからず衝撃を覚えた。
それに追い討ちをかけるように耳元で囁かれる。
「ほらほら、早くしないと・・・・・キスしてしまうよ?」
くすくすと笑いながら言う。
言われた台詞はこの場に似つかわしくはないものだ。
大佐の口から出るのはまぁ、わからなくもないが向けられた相手はエドしかいないのに。
間違えようもない、この部屋には今二人しか居ないのだから。
冗談にも程があると思う。
「・・・早く、エド。」
端正な口元から漏れ出た名前は酷く甘く響いた。
零れ落ちそうなくらいに見開かれた金の瞳に、闇色の瞳は熱っぽく映る。
とにかく何か言おうとしたエドの喉は、何故かひりついて音にならず餌を求める魚のように口を動かすだけだった。
「早く・・。」
なんで大佐がそんなに苦しそうな顔をするのかエドにはわからなかった。
間近かに見れば端正な顔が迫ってくるのをまるで絵空事のように現実味がなく見つめていた。
闇に飲み込まれる感覚におびえて咄嗟に瞳を閉じた。
そして初めて触れた唇は酷く冷たかった。
「ンッ・・・・」
信じられない。
なんでこんなことになってるんだ?
最初触れた唇は人の体温かと思うほど冷たかったのに、今は火傷しそうなぐらいに熱を帯びている。
食いしばった歯も、被さる柔らかな唇を丹念に弄られ、息苦しさとくすぐったさで砦が緩む。
その隙を逃さず、柔い口唇の奥鋭敏な神経の塊を啄ばんだ。
怯えさせないようにまずはこすり合わせ、次第に絡めるように。
息が上がるのと呼応するように濃密な交じり合いになる。
そして始まりと同じく終わりは突然だった。
舌を引き抜かれるんじゃないかと錯覚するほど強く吸い付かれ、チュッという音とともに開放された。
「ふっ・・・・・はぁ・・・」
酸素を求め浅い呼吸を繰り返す。
開放された舌先が甘い痺れをまとい、自分の物ではないような感覚。
「残念だが、時間切れだ。」
覆い被さっていた体が離れ、開放された。
「にぃさーん、もしかして、大佐寝てたの?」
ノックと共に扉の前で控えめな声がする。
「あ・・・」
「気を使わせてすまないね、アルフォンス君。今着替えて下に降りるよ。」
エドの声に被さるように、ついさっきまでの雰囲気などおくびにも出さず返答する。
「あ・・・はい、解りました。兄さんも、あんまり邪魔しちゃ駄目だよ?」
そういい残しなんの疑いも持たず去っていく。
「誰が、邪魔なんか・・・・。」
完全に気配が消えたところで、視線を交わした。
予想していたとおり、エドの瞳には羞恥と怒りの両方が浮かんでいる。
それを肩をすくめるだけに留め、大佐は先ほどの言葉を実践するべくクローゼットに向かい着替え始めた。
馴れた間取りは薄明かり程度でも難なく場所を特定できた。
着替えるといってもそうめかしこむ訳でもないので手前にあったニットのアウターにチノパンと、あたりをつける。
部屋を出るタイミングを逃したエドは、先ほどの行為に対して昇華できぬ感情を解読しようと大佐の方へ思わず視線を向けた。
大佐の上半身はすでに裸で。
それだけなら、別になんとも思わない。
だが、自分に負けず劣らず大佐の背中に無数の傷跡が見て取れたのだった。
「それって・・・」
思わずつぶやいた言葉を掻き戻そうとして両手を口に持って行くがそんなことは出来るわけなく、しっかりと音として漏れ出ていた。
「ああ、不名誉な傷だ。すまないな、見てあまり気持ちのいいものでもないだろう?」
ほんの一瞬だったけれど、銃創や切り傷だけではなかった。