mariage
ドクン、と心臓が跳ねる。
普段の自分が見ていた大佐にはそんなものを抱えてるようには見えなくて。
何故だか急に恐ろしくなった。
いや、恐ろしいのではなくて切ない、のか?
まだ思春期のエドが経験した情緒のみでは解読できないものだった。
喉の奥底から絞られるような息苦しさと乾き。
咽下出来ない塊がもどかしい。
「さ、着替え終わった。鋼の、早くそこから出ないと・・・またするよ?」
混乱した思考に囚われしまったエドは先ほどの行為の生々しさを思い出してあわてて部屋を飛び出した。
「そんなに急いで逃げなくとも・・。」
からかわれるのが解っていながら反論するのは止められないらしい。
「逃げてるんじゃねぇ!」
まったく可愛くて仕方ないね。
つぶやく言葉はその本人には届かなかったが、運の悪いことにエドは自分から付け込む隙を与えてしまったのだ。
「うわっ・・・。」
馴れない家だとか、薄暗かったとか、そんな言い訳も虚しく見事に階段の中ほどから滑り落ちたのだった。
「うぎゃーーー!!マジで~?」
「鋼のっ!!」
持ち前の運動神経で大怪我には至らずに済んだが、右足を少し痛めてしまった。
「もー、兄さんのあわてんぼ。」
アルフォンスの的確な突っ込みにブスッとした仏頂面をするしか対抗手段がない。
「弘法も筆の誤りというより、猿も木から落ちるといった方が的確かな?」
慣れた手つきで足首にテーピングを巻いてつぶやくロイの頭に、一発お見舞いしようと右手を上げたがやはりかわされてしまった。
「だぁれが、猿だ!!」
一体誰のせいだと訴えてやりたかったが、もしそのことでアルフォンスに突っ込まれたらなんと言って説明すれば良いのか。
賢明にもエドが口にすることはなかった。
「兄さん・・・たまには素直に御礼ぐらい言えないの?」
悪いのはあいつなんだから。
どれだけそう言いたかったか。
それでも弟の手前ぐぐっとこぶしを握り怒りを抑えて頭を下げようとしたが、エドをさえぎるように大佐が言葉を紡ぐ。
「いいんだよ。アルフォンス君、鋼のをからかった私が悪いんだ。それにアレの慇懃無礼は馴れているからね。弟みたいで楽しい。」
「すいません、いつも兄が。・・・でもそういってもらえて嬉しいです。」
ア・・・・アルフォンス・・?
なんだか妙な方向へ話が行ってないか?
エドが口を挟むまもなく二人の間で話が弾んでいる。
「では、これから鋼のみたいにアル、と呼んでもかまわないかね?」
「うわー本当ですかっじゃぁ、僕もプライベートな時はロイ兄さんって呼んでいいですか?」
「もちろんだとも、アル。」
「嬉しいです、ロイ兄さん。」
ちょっ・・・。
どんな状況なんだ、これは!
「待て待て、待て━━━━!!」
なんでそんな恐ろしい話になってるんだ?
状況の不自然さに混乱しつつ、とりあえず大佐の毒牙から弟を守らなければならない。
そう、使命感に燃えたエドだった。
「アル~目を覚ませっ、こんな変態を兄呼ばわりしてもいいことないぞ!大佐も大佐だ、弟に変なことしたら承知しないからな!」
「兄さん・・・いい加減大佐に対して失礼だよ。これ以上言うようなら僕も怒るよ?大体大佐の何処が変態なのさ?」
そりゃぁ、少しは変わったところもあるかもしれないけど、そんなの兄さんで馴れてるし。
フェミニストなのは男性として憧れる。
少々行き過ぎなのはご愛嬌だ。
「さぁ、言ってみて。・・理由を言えないならこれ以上言わない。いいね?」
もともと大きな鎧がもっと迫力が増したように、背後に有無を言わせぬオーラが見えるようだ。
「ア~ル~。」
なんとも情けない兄だった。
ここで、アイツはこの兄に手を出すような変態なんだ!!と大声で言いたかったが、あれだけ大佐に傾倒しているアルに今は何を言っても無駄だろうと渋々引き下がる。
大丈夫だ、きっとそのうちにあの男の本性がアルにも解るだずだと自分を納得させた。
もし手を出そうものなら、俺が阻止すればいいわけで。
「アル、鋼のはやきもちを焼いてるだけだから、そう怒らなくてもいい。さっきも言ったろう?鋼のの物言いには馴れているから。」
「うん。解ったよ、ロイ兄さん。」
何故だか物凄く負けた気がするのは俺の気のせいか?
例えるなら尻尾の先まで毛を逆立てて威嚇している猫のようにグルグルうなる事しか出来なかった。
「鋼の。その足じゃ動きづらいだろうから、テーブルに座ってなさい。遅くなったけど食事にしようか。」
「僕も、運ぶの手伝うよロイ兄さん。」
「ありがとう、アル。」
「ううん、本当は御礼のつもりでロイ兄さんに食べてもらいたかったのに、兄さんたら・・。」
もはや二人の会話にエドは黙るしかない。
「いただきます。」
ふつふつとした怒りは食べ物を口に入れるたびに和らいでいくから不思議だ。
「うん、確かにおいしいね。」
「でしょう?兄さんの料理はおいしいんですよ?」
まるで自分のことのように自慢する。
こんな身体になってからは食べてませんけど・・・と、努めて明るく振舞うアルフォンスに大佐は切れ長の目を優しく細めた。
不意にどきり、とした。
大佐があんな優しげな目で誰かを見ているところなど見たことがなかったから。
それからしきりにアルフォンスは大佐に他愛のない事を話し、それに対して大佐は実によく表情を変えて付き合っていた。
なんとなく面白くなかった。
自分の大切なものを取られたような喪失感。
無言でパンやスープを口に放り込み、咀嚼する。
「あ、兄さんお代わり?ロイ兄さんもしますか?」
見るからにうきうきとした素振りの弟にエドは何も言わずにスープのお皿を渡した。
大佐はといえば最後の一口をスプーンで口元に運んでいるところだった。
ゆるいカーブを描いた薄い唇にクリームスープが流し込まれる。
その時にチラリと見えた舌先が視覚を刺激した。
そういえば。
すっかり別のことに気を取られていたが。
先ほど大佐と・・・いわゆる恋人同士の男女がするところのキスをしたのではなかったか?
家族間とかごく親しい間柄でも交わすような、バードキスではなく。
全身が痺れるような、頭の奥に靄が掛かるような。
初めて体験する奇妙さだった。
何であんな事したのか。
冗談でするにしては度が過ぎている。
本気だとは思えない。
一体全体あの変態男は何を考えているのか。
「はい、兄さん。熱いから気をつけてね。」
一旦、思考の波にのると周りが見えなくなるのは如何ともしがたい癖で、本人が直そうと思ってもなかなか遂行することが出来ないのが現状だった。
そのためアルの忠告は無駄に終わる。
「っ・・あ・・・!」
「兄さん?水!!」
とろりとした液体は物凄く熱くて。