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君という世界で息をする

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花や空の鮮やかな色だとか、人のころころ変わる表情だとか、普段人が当たり前のように見ているものを男は知らない。
生まれた時から瞳に光を宿さない男は、知ることができない。
唯一つ知る色は闇とも呼べる黒。
頭上の晴れ渡る空の色も、遠くで揺れる瑞々しい花や木々の色も分からない。
しかし、彼は知っていた。

愛する人と一緒にいることの、喜びを。




「……ヤさん、イザヤさん」
「ぇ、あ……ごめんねミカド。どうかしたの?」


己を呼ぶ声に我に返れば、より鮮明に幼い声が耳に届く。
表情を見ることは出来ないが、きっと心配そうに眉を下げているだろう。
容易に想像できる姿にイザヤは苦笑を漏らして、繋いだままの掌に少し力を込めた。


「いえ、あの…さっきから黙っていたので」


疲れましたか?とおずおずと訊ねてくる子供の頭を、イザヤは空いている方の手で撫でる。
ふわふわとした触り心地はまるで猫のよう。
ミカドは「ゎっ…」と小さく悲鳴を漏らしたが、決してその手を振り払うことはしない。
そして暫くの間されるがままになっていたが、ふとイザヤの手が止むと「イザヤ…さん?」と首を傾げた。


「ミカドは何時も優しいね」
「な、何ですか急に…」
「んー…なんとなく、かな。まぁずっと思ってる事だけどね」
「そんな……優しくなんてないです。僕は……」


段々と小さくなっていく声、俯けさせる幼顔。
その姿はイザヤには分からないが、もう二十年以上も一緒にいるのだ。
今、帝人がどんな姿をしているかは手に取るように分かる。
「ミカド、」と小さく呼ぶと、ミカドは顔を上げてイザヤの顔を見上げた。
深い海を思わせる双眸には薄い水の膜が張っている。
泣き出してしまいそうになるのを堪えて、努めて明るく「はい?」と返した。


「君は優しいよ、赤ん坊の頃からずっと俺の傍にいてくれて、俺を育ててくれたんだから」
「でも僕は、勝手にイザヤさんと契約してしまいました……貴方に与える光を持たないのに」
「それでも俺を助けようとしてくれたんだろう?俺は君と出会えてよかったと心から思ってるよ」


それでも、「でも…」と震える声で繰り返すミカドにイザヤは苦笑する。
この子は本当に、どうしてそんなに不安がるのだろうか。
俺の世界は君しかいないというのに。


「前にも言ったろう?君を失うくらいなら、世界なんて暗いままでいいって」
「それでも僕は、貴方に世界を知ってもらいたい、世界がどんなものなのか見てもらいたいんです」


それは僕の願いなのだ、とミカドは俯けさせていた顔を上げる。
閉じられた瞼の奥にある瞳の色をミカドは知らない、勿論イザヤも。




ミカドはイザヤのその瞳に光を宿したかった、世界を、彩を知ってほしかった。
それは自分にできないから、だから何度も契約を破棄しようとしたけれど、イザヤが許してくれなかった。
怒った声で、泣きそうな声で、細い腕をぎゅうっと握りしめる。
それがミカドには理解できなかった。
所詮この世界で「蛍」は使い捨ての存在で、ましてや停電中の身である自分なんて相手から契約を破棄されてもおかしくないというのに。


僕という存在が、イザヤさんを暗い世界に閉じ込めている。


そんな事をただ只管考えて、ミカドは己を責め続けていた。