B.PIRATES その2
まだ開かない目を擦りながら、浮竹は、自分の隣のシーツの上を手で探り、そこで寝ているはずの、愛しい者を探した。
触れたシーツの上は、冷たかった。
「……!!!」
ばっと目を開き、勢いよく起きあがって、白哉の姿を探すが、どこにも見当たらないばかりか、白哉の衣服も消えており、彼がここに居た形跡がすべて、なくなっていた。
「白哉!!」
浮竹は、部屋中を見渡し、白哉の痕跡を探した。
すべてが、夢だったように思えた。
……いや、夢ではなかった。
白哉は確かに、昨夜この部屋に来た。
想いのすべてを込め、白哉をこの腕に抱いたのを、覚えている。
浮竹は、そう確信し、昨夜の事を思い出しつつ、混乱する頭をなんとか落ち着かせ、なぜ白哉がここにいないのかを考えた。
「………」
…………
……意味を、はき違えたのかもしれない…。
浮竹は、はっと気づいた。
白哉は、覚悟をしろと言った。
その覚悟を、浮竹は、海軍を敵に回しても、白哉を受け入れ、愛し、護る意味でのことだと考えていた。
…逆ではないのか。
白哉は、海軍でしか生きられぬと言っていた。白哉のその意思が、未だに変わってはいないのだとしたら…
ならば、白哉がいう覚悟とはつまり………
浮竹は、息を飲み、目を見開いた。
…一度、想いを遂げたとて、決して手に入れることは出来ないということか…!!
手に入れる覚悟ではない。
手に入らぬ覚悟をしろと、白哉は言ったのだ…!!
「あ……!」
浮竹は、体中の血の気が引いていくような感覚を覚え、足元をふらつかせた。 かろうじて、ソファの背もたれに掴まり立っていたものの、絶望と自己嫌悪に苛まれ、吐き気がした。
…なんてことだ…!! 自惚れた…!!!
白哉は、軍より、自身の誇りより、俺を、選んでくれたのだと思った…。
だが、そんなはずはなかった…よく考えれば、そうだった。
白哉は、誰よりも堅実で、誇り高い男だったのだ。
気が付いても、もう遅かった。
浮竹は、白哉をその手に抱いてしまった。 …一度溢れた想いは、もう止まることは出来なかった。
「……白哉…っ」
……堕ちてしまえば、もう後戻りはできぬ……。
白哉の言った言葉が思い出された。
そう、後戻りは出来なかった。
白哉が欲しい。
以前より増して、その想いはつのる。
「…白哉……」
床にずるずるとへたり込み、胸が引き裂かれそうな想いを耐えるように両手で顔を覆いながら、浮竹は、届くことのないその名を何度も呟いた。
……無遠慮な朝の光が、きらきらと輝きながら、浮竹の部屋に差し込んだ。
…それが、ひどく鬱陶しかった。
* * * * * * * * * * * * * * *
『私は裕福な人たちを哀れむ。彼らが自らの欲するものを手に入れるなら、それもよかろう。
しかし、真の幸福者は、友を持つ者であり、私に友人がいるならば、私は自分自身を最大の果報者であると思うのだ。』
――――――哲学者・スゴヴォロダ―――――
「浮竹。ちょっといいかい?」
そう言いながら、京楽が、船長室に入ってきた。
黙々と文書の束を見ていた浮竹は、顔を上げ、「ああ」と言い、続けた。
「ちょうどよかった、京楽。俺も用があったんだ。 アジトからの伝達で、陸ににいる仲間の戦備が整ったらしい。一旦海軍と離脱して、アジトに向かおうと思うが、どうだ?仲間の志気も上がるし、お前も七緒に会えるのは嬉しいだろう?
それと、当面の物資の補給だが…」
きびきびと話す浮竹の言葉を、ため息混じりの声で、京楽が制した。
「…大層な仕事っぷりじゃないの。浮竹。」
「…まあな。決戦も近い。即断しないとならないことが山積みさ。」
冷静な声でそう答える浮竹だったが、常よりもその表情は厳しく、所作のひとつひとつに余裕が感じられないことは簡単に見て取れた。
確実に、無理をしている。京楽はそう思い、浮竹に尋ねた。
「なあ、………白哉君と何があったのよ?」
「……………」
「この大事な時期に、彼が船を降りるって話は聞いてたが、今朝のまだ夜の明けないうちの、まるで逃げるような白哉君の出発と、昨日来からのお前の不自然な態度…。 気になるんだよね…。」
「………その件に関しては、白哉と俺の問題だ。余計な詮索はやめてくれないか。」
「そういうわけにはいかないよ。 アンタの不調は、船全体の志気に関わる。 副船長として、見逃すことはできんね。」
「…俺のどこが、不調を訴えてる…?」
浮竹は、苛ついたように尋ねた。
そんな浮竹に、京楽は、やれやれという感じで答えた。
「……自分じゃ解ってないだろうが、今のお前は、無理が見え見えなんだよ。張りつめた糸みたいで、こっちは、いつ切れてしまわないかと気が気じゃない。 …白哉君と、何かあったこと位、大体予想はついてる。 そのことに関して、お前がそう簡単に割り切れるほど器用じゃないってことも、お前自身の自覚はなくても、僕は、解ってんだよ。」
浮竹は無言で聞いていたが、明らかに表情には怒りの色が現れていた。 そんな浮竹を見ながら、京楽はなおも続けた。
「浮竹。お前は昔から、何でもかんでも我慢し過ぎだよ。
…僕が見たとこ、お前の、白哉君に対する執着は今までにない位激しい。…だからさ…一生に一度は、我が儘に求めなよ…」
「どうやってだ!!!」
それまで黙っていた浮竹が、怒りを爆発させたように、持っていた書類を勢いよく机に投げつけ、散らばるそれらを気にも留めず、京楽につかみかかった。
勢いよく胸倉を掴まれた京楽は、それでも動じず、激高する浮竹をじっと見ていた。
「どうやって、白哉を手に入れろと言うんだ!!
彼は、海賊を忌み嫌う、誇り高き海軍だ!! それは一生変わらん!! …変えられないんだ!!! 海賊の頭領であるこの俺は…受け入れられることは、一生、ないんだ!!」
叫びながら、浮竹は俯いた。
最後は、絞り出すような、悲痛な声になっていた。まるで自分に言い聞かせているようだ、と、京楽も、浮竹自身も思った。
「……浮竹……」
名を呼ぶ京楽の顔を見上げず、俯いたままの浮竹が、ゆっくり話した。
「……白哉を…抱いたよ……」
「………」
「白哉が欲しい………。 だが…… だが、どうにもならんではないか……!」
京楽の胸倉を掴んでいた浮竹の手は、いつしか取り縋るように京楽のシャツを握りしめていた。言い終えた浮竹は、頼りなさげに、うなだれた頭を、京楽の胸に乗せた。
京楽はそんな浮竹を、何故か安心したような顔をして、優しく見たかと思うと、ゆっくり口を開いた。
「浮竹、お前、この戦争にカタがついたら、船を降りなよ。」
「…?!」
驚いたように顔を上げた浮竹を見て、京楽は穏やかに笑って、続けた。
「もともと僕らは、海賊になりたかったわけじゃない。賊におびやかされる故郷を守りたくて、平和な海を守りたくて、海賊という方法をとっただけだ。そして、俺らは船長として浮竹を立てて、すべての責任を負わせてきた。
…ずいぶん、お前には無理をさせてきたと思ってるよ。」
「京楽…そんなことは……」
作品名:B.PIRATES その2 作家名:おだぎり