B.PIRATES その2
「いいっていいって。もう何も言うな。今までの罪滅ぼしだよ。お前の、一生に一度の我が儘くらい聞かせてくれ。なぁ、浮竹?白哉君が欲しいんだろう?」
浮竹は質問に答えず、ただ俯いた。
それだけで、答えはもう解っていた。浮竹は、昔から皆のために、己のすべてを犠牲にしてきた。自分のことには何も望まず、私利私欲で動いたことなど一度もなかった。
こうしている今も浮竹は、頭領という立場も責任も捨てて、自分の為に生きるなどと、許されるはずがないと思っているのだろう。…たとえ本人が、どんなにそれを望んでいても。
だが、もう自由にしてやりたい。
京楽は、心から、そう思っていた。
「お前はよくやったよ浮竹。 善き人材を何人も育成し、義団としての僕ら海賊団の、盤石な土台を築きあげた。もはや浮竹パイレーツの存在は、何があっても揺らぐことはあるまいよ。 後は、任せてくれないか?」
「……京楽……」
京楽は、にやっと、やんちゃそうに笑って、まだ逡巡しているような浮竹に言った。
「市丸を倒して二十億手に入れたらさ、島一つ買ってもツリが来るくらいの退職金出してやるから。 それ持って、堂々と白哉君をさらっちまえ!お前が海賊の肩書きはずしてりゃ、彼も大人しくさらわれてくれるかもしれないぞ?」
「何言ってんだ、京楽…」
浮竹は吹き出して、心から愉快そうに笑った。
そして、ふっと、笑いを止めたかと思うと、一瞬、泣きそうな顔になり、京楽に、ひしと抱きついた。
「…ありがとう…京楽………」
「……やだねぇ…そういうことは、白哉君にやってよ。浮竹。うれしくないよ…」
京楽は、くすぐったそうにそう言い、浮竹の肩を優しくぽんぽんと叩いた。
浮竹は、そんな親友に当分抱きついたまま、自分を取り巻く優しい仲間の事を思い、深く、自身の幸せをかみしめていた。
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『人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。(中略)
我々のあらゆる尊厳は考えるということにある。
我々が立ち上がらなければいけないのはそこからであって、我々の満たすことのできない空間や時間からではない。
だからよく考えることを努めよう。
ここに道徳の原理がある。』
―――パスカル「パンセ」―――
海軍総督府内にある、海軍総司令部の最高司令官は、日番谷冬獅郎という男である。
海軍内でも最若年齢である彼は、身の丈も極めて低く、初見ではおよそ最高司令官の風格を彼に見いだすのは難しい。彼の見た目だけを評価して、侮り見下す輩も大勢居る。だが、日番谷の指揮官としての才覚は、軍内でも飛びぬけて素晴らしく、過去の武功においても、彼の右に出るものは居ないと噂される。ただの噂ではないのかと、疑う者も居る。だが、それが事実であるがゆえに、彼の現在の地位が厳然としてあるのだ。
朽木白哉は、日番谷の部下である。
白哉にとって、日番谷の命令は絶対であった。日番谷の命令はすなわち海軍の命令であるからだ。逆らう気持ちなども、一切なかった。実際、今までは、日番谷に受けた命令以上の働きを、白哉は遂行してきた。
だが、今回、白哉は命令に背いた。
浮竹船での任務を独断で放棄し、本部に戻ってきたのだ。
白哉は命令違反に対する厳しい処断を覚悟して、何の弁明もせずに日番谷の前に帰還の報告を告げに来たが、日番谷は、そんな白哉に対し、叱責をしなかった。むしろ、日番谷は、白哉の性格上、海賊船での生活にはかなりの精神的重圧があったことだろうと察し、一ヶ月もの間任務に耐えたことを労った。そして、もう浮竹船への着任は金輪際、白哉に命令をしない旨を、その場で直接伝えた。
そのとき、白哉の表情が、僅かに悲しそうに歪んだのを、日番谷は不思議に思った。
白哉にとっては、一ヶ月前と同じ、海軍での元の生活が始まるはずだった。浮竹船であったことはすべて忘れるのだと、固く心に誓っていた。
だが、白哉が帰還して一日も経たずに、事態が変わった。
白哉は、日番谷の執務室に呼ばれた。そして、衝撃的な辞令を受けた。
「…私にまた、浮竹船に就けと…?」
立っている白哉とデスクを挟んで向かい合い、椅子に座ったまま白哉を上目で見上げる日番谷は、厳しい表情で「そうだ」と言った。白哉は、心の動揺を隠し切れずに、眉間に深い皺を寄せて「理由をお聞かせ願いたい。」と、半ば震える声で問い尋ねた。
日番谷には、白哉がよほど嫌がっているように見えたようだった。心底困ったように深いため息を一度吐いて、口を開いた。
「お前の代わりに、浮竹船に就いた将校が、無理やり帰されてきたんだ。同盟を交わしている以上、浮竹の元に海軍兵を置かないわけにはいかん。お前に、交渉も兼ねて、浮竹船での後事を頼みたい。」
「何故、将校が追い払われるような事態に?」
「阿散井の報告で聞き知っていたが、浮竹パイレーツは、船員の他に、陸にも仲間がいるな? その仲間を、このたびの戦力として加える準備が整ったらしい。その仲間がいる場所…つまり奴らのアジトだな…、その場所を、海軍に知られちゃ困るというのが、浮竹の言い分だ。」
「海賊側の言い分は理解できますが、しかしそこで、わざわざ私が派遣される理由は、ないのでは?」
「海賊との交渉は、お前が適任だ、朽木。…気を悪くするな。事実、海賊と一番長く接してきたのはお前だ。多少なりとも浮竹と信頼関係を築いているだろう? いいか。何としても、浮竹に同行し、奴らのアジトに入り込め。」
「…浮竹の隠し拠島を探れと? それが、私に与えられた任務でしょうか…?」
不愉快そうに尋ねる白哉に、日番谷は「そうだ。」と言ってから、一呼吸置いて、続けて言った。
「…表向きはな。」
「……?」
訝しげな表情の白哉に、日番谷は「朽木」と呼んで、身を乗り出した。重要な話があるのが見て取れるその日番谷の行動に、白哉も身を屈め、日番谷に顔を近づけた。
日番谷は、いっそう険しい表情で、囁くように白哉に言った。
「浦原喜助が、消息を絶った。」
「…何…。」
「浦原は、市丸に奪われた例の剣を、なんとか隠密に取り戻そうと単独行動をしていたが、思うようにはいかなかったばかりか、事態が悪化したらしい。」
「…どういうことです。」
「わからねぇ。あの野郎、好き勝手やりやがって…、まともな経過報告なんざ、一切しやがらねぇ。」
浦原喜助に対して、かなり腹が立っているのか、日番谷の口調が乱れてきた。
日番谷は、ひとつため息を吐いて落ち着いてから、仕切り直すようにゆっくりと言った。
「ま、アレに関しちゃ、海軍側は不可侵を決めている。浦原には、やりたいようにさせるさ。俺たちも、何があっても協力を惜しむつもりはねぇ。」
「浦原喜助は、どうする気だ…? 一体、何をしようとしているのだ…」
独り言のように呟いた白哉に、日番谷が答えた。
「どうやら、浮竹に協力を仰ぐようだ。」
「…浮竹に?!」
「浦原自身、最初から決めていたらしいぜ。己一人ではどうしようもなくなったら、浮竹に話を持っていこうってな。」
「だが…浮竹は、…海賊だ。」
作品名:B.PIRATES その2 作家名:おだぎり