鵞鳥のヘンゼルと魔女のグレーテル
指されていたのは、静雄だ。静雄は僅かに息を飲むような様子をみせた。
「俺が・・・・・・」
「そう。シズちゃんのせいで、帝人君は悩んでる。かわいそうにねぇ?」
「・・・・・・・・・・・・」
黙りこくる静雄。
臨也はその沈黙に更に言葉を重ねるでもなく、同じように黙ったまま静雄の様子をニヤついた笑みを浮かべたまま観察していた。
怨敵がいるにも関わらず物も罵声も飛び交わない。奇妙に静かで逆に何て心臓に悪いのだろう。当人たちは構わないかもしれないが、周囲にいる者たちへのストレス負荷は半端ではない。蛇口を閉じた後に滴り落ちる水の最後の一滴のようなもどかしさ。やるなら早く戦争でも何でもおっぱじめてくれ、と周囲が根をあげそうな沈黙が続く。
セルティはハラハラしながら臨也と静雄を交互に見てから、何かを真剣に考えている様子の静雄を心配して、彼の肩をトンと軽く叩いた。
『静雄?』
「あいつが・・・・・・、竜ヶ峰が、俺のことで悩んで、そんでよりにもよってノミ蟲に相談して茶ァした・・・・・・」
ユラリと上りたつオーラは、間違いなく怒りだ。
セルティは静雄を宥めようとするが、その前にAKY臨也がその怒りにガソリンを注ぐ。
「そう、帝人君は俺に相談したんだよ。あ、相談を受けた手前あの子には、ちゃーんと忠告もしてあげたから、安心してよ」
「・・・・・・何ふきこみやがった」
「さぁ? 本人に聞いてみれば?」
小バカにしきった様子で嘲いながら肩を竦める臨也。セルティは、すわ戦争勃発か!? と身構えたが、その予想に反して待てども何か起こる様子はない。
物が飛ぶ代わりに、静雄は人が殺せそうなほど鋭い舌打ちをすると、なぜか臨也に背を向けた。
(静雄!?)
「あれ、シズちゃんどこ行くのー?」
「テメェには関係ねぇ」
沸き立つ怒りを抑えながら吐き出された静雄の言葉は、しかし、臨也には効かない。剛胆で根性悪な情報屋は至極機嫌良さそうに「ふぅん」と愉快そうな声をあげると、緩やかに曲線を描く唇を歪めた。
「まぁ、関係ないんだけどさ。でも今、あの子をブッ壊されちゃうと色々困るんだよね」
「壊す」という部分を強調した臨也の言葉に、静雄が僅かに反応した。そんな静雄から先程も垣間見た苦渋の色を感じ取ったセルティは、とうとう堪りかねて『臨也! 言い過ぎだ!』と打ち込んで臨也の方に向かう。
先程まで静雄はそのことで散々悩んでいたのだ。追い打ちをかけてどうするというのか。
しかしセルティの心配はよそに、静雄は反応こそしたが、暴れるでもなく静かな口調で短い言葉が発せられた。
「壊さねぇよ」
「――へぇ? まぁ、言うは易しっていうし」
「壊さねぇ」
まるで自分に言い聞かせるような言い方で繰り返すと、静雄はそのまま歩き始めた。
(ちょっ! 静雄?!)
驚き困惑するセルティとは対照的に、臨也は歩き去る静雄に声をかけた。
「じゃあシズちゃん、俺の代わりに伝えといてよ。『ごちそうさま、今度おいしいものでもご馳走してあげるよ』って、さ」
その瞬間、臨也めがけて道路標識が飛んできた。
臨也に近づいていたセルティは突磋に身を離してことなきを得る。臨也も来ると分かっていたのか、セルティが体制を立て直す頃には「本当にバカの一つ覚えだよね」と文句を言いながら、しゃがみこんだ際についた砂埃を払っていた。
ブン投げ犯人の静雄は臨也をしとめ損ねたことに忌々しそうに舌を打ち、殺意を込めた視線で臨也を貫くや、何も言わずそのまま歩き去ってしまった。
作品名:鵞鳥のヘンゼルと魔女のグレーテル 作家名:梅子