Maria.
一.
口の端に違和感があった。その場所を指で探り当ててみると、そこにはぺったりと血が付いてきた。おそらく、昼に継母から受けた平手打ちのせいで切れたに違いない。少しの間その指先を見つめて口に含んだ。彼の口中には、治りかけの傷が他に二つほどある。
夕刊の束を括って肩から提げ、悟浄は秋陽の射しかかる家々を回っていた。最後の一件は町と悟浄の家の間にある教会で、店の主人からはそこから直帰していいと言われている。しかし悟浄は、そこまでの道をゆっくりと歩いていた。普通の子供なら早く終わらせて、家に帰るなり遊びに行くなりするものなのだが、彼には早く帰りたいような家も、遊ぶような友達もいなかった。
母が死んで、父に連れられてこの街へ来た頃、元々おとなしく優しい質であった継母は、悟浄を可愛がろうと努力していたようであった。が、父の存在によって辛うじて保たれていたその関係は、彼の急死という形であっさりと壊れた。初めは言葉だけであったが、次第に手が出、足が出るようになり、時間も場所も選ばぬようになった。学校へ行っていない悟浄は、一時でも長く彼女の暴力から逃れるため、兄の勧めで夕刊配達のアルバイトを始めたのだった。
憂鬱な気分のまま、教会の柵の前に着いた。シスターにこの夕刊を渡してしまえば、もう何もすることがなくなってしまうのだ。知らず知らず、溜息が出た。
「ご苦労さまです」
ベルを鳴らすと磨き込まれた木製の扉が開き、夕刊を受け取ってぺこりと頭を下げたのは、見覚えのない女の子だった。
栗色の、綿毛のような髪が肩の辺りで踊っている。瞳の色も、新緑のような鮮やかさで。その瞳を何の屈託もなく細めて笑う女の子の姿は、物心ついてからの悟浄の心に光を落としたようだった。思わず黙って見とれていると、女の子の頬がすうっと赤くなった。
「あの…」
「え…」
「あ、ありがとうございました」
話しかけたかったが、結局女の子は顔を赤らめたまま、そそくさと重い扉を閉めてしまった。
つまらなそうに振り向けば、さっきよりずっと西に傾いた陽が空を焼いていた。
兄が仕事から戻るまでの数時間をどう耐えるか。夕焼けに染まる家路の先を見つめながら、悟浄はぎゅっと目を閉じた。