Maria.
三.
『…は東方最高学府である…大』
『異例の若さで編入することが決定した…』
『…くんは…』
悟浄はテレビのリモコンを新聞の上に置いた。どのチャンネルのニュースも、朝から同じ話題ばかりを繰り返すばかりでつまらない。どうも、自分と同い歳くらいの少年が偉い学校から是非にと請われて入学した。それだけの、自分とは違って恵まれた子供の話。でも画面で見た少年の、黒縁のメガネの奥の瞳は、まるで自分のそれとそっくりだと思った。
「なにが気に入らねぇのかな?」
ふと、あの女の子が脳裏で笑った。あぁでも、俺はこいつよりは幸せな方かもな、そう思いかけた時だった。
俄かに椅子の背もたれ越しに、衝撃が走った。
『母さん!』
悟浄は椅子から転げ落ち、テーブルの下を這って反対側へ逃げた。今日は朝からおとなしくしていたし、無駄な外出もしていないのに、何故?
「聞いたわ、悟浄!お前、お前って子は!」
立ち上がりかけていたところに、回り込んでいた継母の足が飛んできた。踵が悟浄の額に当たり、その勢いの激しさに横倒しになった体を、継母は容赦なく打ち始めた。
「どうりで最近帰りが遅いと思ったわ、お前はっ、その顔で…あの女と同じ目で、また誰かを誑かすのねぇっ!」
「母さんやめて…痛い…よっ」
「誰が母さんだっていうの、胸が悪くなる…よくも、よくも親子揃って私をばかにして…っ」
『あの子とのこと?なんで…なんで』
痛みに耐えようと丸めた背中を、立ち上がった継母が踏み付けた。変に骨の軋む音を感じたが、折れたりしていないのは慣れでわかる。が、弛みかけ、今度は脇腹を蹴り上げられる。
『あの子と一緒にいたらいけないの?それもやっぱり、俺が悪いから?』
継母の足が左肩にかかり、無抵抗でひっくり返された。これで腹に一発食らえば、今度こそ死ぬかもしれない。血を吐く自分を想像した。継母の足が、悟浄の腹を目がけて落ちてくる。
その時。
女の子が、閉じた瞼の裏で微笑んだ。あの女性像そっくりの…
『…マリア』
物の落ちる衝撃は、なぜか床から背中へと伝わってきた。
うっすら、晴れ上がった瞼を開きかけると、目の前に継母の姿はなく、その体は悟浄の隣で横倒しになっていた。継母も、何が起こったのかわからないというふうに、凍ったように表情が動かず、目は見開いたままだ。どうやら、悟浄自ら落ちてくる足を跳ね飛ばしたらしい。
「かあ…さん?母さん!」
頭を打ったのだ。慌てて起き上がて、継母の体を揺すってみた。多分、正気に返ればまた打たれるのはわかっている。…わかっているけど。
「……」
少しの間があって、継母は悟浄に目を向け、少し唇を動かし何か言ったようだった。
「母さん?」
「…かないで…」
柔らぎ始めた継母の表情は、まだ父がいた頃に何度か見たことがあるものだった。ただひたすら、不安でしかない哀れな女の顔。
それを見てすっかり気を抜いてしまった悟浄に、継母はいきなり掴みかかってきた。…というより、しがみついてきたと言った方がいいだろう。小さな悟浄の体を取り込むように、そのひ弱な胸に顔を押し当てて泣き上げていた。
「もっともっとお料理も勉強する、お部屋にももっと工夫して、退屈させないようにするから…私、もっときれいでいるから、だから、だから」
取り乱す継母の言う言葉の意味がわからない。ここへ来てから、家のことで文句など言った覚えはない…のに。
「行かないで、アナタ!」
その後落ち着きを取り戻した継母は、それまで背を撫でていてくれた悟浄を突き飛ばすと部屋へ引き蘢った。悟浄は暗くなってから戻ってきた兄にそのことを話し、初めて自分の容貌が、父の若い頃にそっくりだということを知った。