Maria.
四.
すっかり慣れてしまったはずの全身の湿布臭さに顔をしかめながら、悟浄は暫くぶりに女の子に会うため家を出た。
あれ以来、継母はおとなしくなり、悟浄に暴力を振るうことはなくなった。が、家のことをこなしながらなにかブツブツと呟いている姿には鬼気迫るものがあった。悟浄の方も打撲と擦傷、一部の裂傷という外傷のみで済んだものの、思うように体が動かず滅多に家から出ることはなかった。日に何度か出て、継母と顔を合わせることがあったが、彼女は小刻みに震えながら悟浄のすることをおとなしく見ているだけで、彼はその姿を薄気味悪く感じるのだった。
教会に着いて呼び鈴を鳴らすと、女の子ではなくシスターが出てきた。そして、口を開きかけた悟浄に一週間前に女の子の母親が死んだことを教えてくれた。
「あの子…ね、一度も泣かないのよ…気丈な子なんだろうけど…どうか、力づけてやってね」
というシスターの言葉を背に、悟浄は駆け出していた。
土手を下って少し行った川縁に、見覚えのある背中が丸くなってちょこんと座っていた。何と声をかけていいのか分からずにうろうろしていると、足元に咲き残りのたんぽぽを見つけた。
「おい」
「きゃっ」
女の子の肩に置いた手が、僅かに跳ね上がる。
「ご…ごめん、驚かせて…コレ」
そういって、今摘んだばかりのたんぽぽを彼女の髪に挿すと、女の子は小さな声で、ありがとう、と言った。
「…もう、出て歩いてもいいの?」
川の音に紛らせて泣いていたのだろう、目の周りがひどく赤くなっている。それを隠すように女の子は顔をごしごし擦って、いつものように悟浄に笑いかけた。毎日、こうしていたのだろうか。母が死んでからも笑顔を絶やさず、明るくふるまって…。悟浄は、思わず目線をそらしていた。
女の子は、悟浄の額にそっと指を当てた。
「オデコ、かさぶたになってる。痛まないの?」
「…シスターから聞いた」
「…そう?でも大丈夫よ、私にはまだお父さんがいるもの」
「でもずっと離れて暮らしてたんだろ、もしかしたら…」
脳裏を横切る、自分の周りの世界。新しい妻、その子供、厄介者、そして。
「…心配してくれてるの?」
「俺みたいに、なってほしくない」
「…どういう意味?」
悟浄は、やっとの思いで自分の身の上を彼女に話した。愛人の子であること。自分のせいで継母が狂ってしまったこと。そして自分の存在自体が禁忌であり、いかに忌み嫌われているかということ。
「だから、この髪と目の色は、今まで俺が不幸にした人達の血の色なんだって」
「そうかしら?」
一通り聞いて、女の子は真剣な顔で悟浄を見返した。
「…私、あなたに初めて会った日に、シスターから聞いていたの…ごめんなさい。あなたの今話したこと、知っていたの」
シスターもやはり、今の悟浄と同じことを言ったらしい。あの髪と目を持つ者は、その周りにいる者に不幸を呼び込む、と。
「でも、私は違うと思うの。だってほら」
女の子は、悟浄の髪を一束取ると、沖天高くに昇った陽にかざして目を細めた。
「キレイ」
悟浄も、女の子に身を寄せて、陽に輝く自分の髪を見てみた。紅味が透けて、オレンジ色を擁したそれは、確かにきれいだった。
「きっとこの紅は、同じ血の色でも生きるための、熱の色なのよ、ね、よくみて」
『よぅく覚えておきな、悟浄』
「だからこんなにキレイなのよ」
『…母さん』
生前、母が言った言葉をまた聞けるなんて。
…きっと彼女は、近いうちに死を迎えるかもしれない自分に遣わされた、小さな女神なのかもしれない。
きらきらを光る自分の髪を見つめながら、悟浄はそう思った。
○
帰りの道で、女の子は自分の生い立ちについて話してくれた。自分は双子で、弟がいるということ。ここより北の地方で双子というのは不吉の証、だから離れ離れにされたのだということを。
「お父さんに会って、弟にも会う。これから忙しくなるわ」
そう言って、女の子は悟浄に笑いかけ、つられるように悟浄も笑っていた。
「それ、さ」
「たんぽぽ?ありがと、嬉しい」
「いや、あんま似合わねぇなって…おまえにはもっと優しい色がいい」
「ううん、いいの。だって、お日様と同じ色だもの…あなたと同じ、暖かい色」
「……」
「ありがとう」
「うん…弟に、会えるといいな」
「会うわ、絶対…そしたら、あなたにも紹介するわ。きっと仲良くなれるもの」