Maria.
五.
悟浄が家に帰り着いたのは、すっかり日が落ちた後だった。なぜか外灯は点いていず、玄関の鍵も開けたままになっている。いつにもまして不安な気持ちで、悟浄は暗がりの廊下を自分の部屋へと歩いて行った。
「アナタ、ね」
突然、背後から継母が言った。暫く前の、あの冷たくて腹の底に響くような、あの声で。
「どこに行っていたの…?また…あの女のところなの…?」
部屋は目の前なのに、足が竦んで動かない。近づいてくる継母の足音に一つ遅れて、何か重いものが床を突く音がする。それが何であるかはわからないが、確認することすらできない。
「ねえアナタ、私、これ以上どうしたらいいの…?ねぇ…っ」
継母の手が、悟浄の髪をつかもうとしていた。
僅かの差でその手を避け、継母の脇をすり抜けてキッチンの勝手口へ向かい走り出す。継母はゆっくりだが確実に悟浄を追いつめる。必死になって勝手口に辿り着くが、鍵が二重にかけられていた。
『前は一つしかなかったのに!』
泳ぐようにリビングに逃げ、今度はすぐに庭に出られる大窓に手をかけた。が、ここにも見慣れない鍵がかけられていた。
『初めから、俺を殺すつもりで…?』
だが、継母は背後に迫っている。青くなるより先に鍵を開けようとするが、指先がもつれていうことを聞かない。
「どこへ行くの…」
すぐ耳元で、フォン、と空気の鳴く音を聞いた。その瞬間、前のガラスが弾けた。悟浄は咄嗟に目を庇い、中腰になって窓沿いに部屋のドアの方へ逃げ出した。左の頬が炙られたように熱い。さっきのガラスで切れたのか、顔面が激しく脈打って、血がぼたぼたと逃げ跡に零れていく。
「お願いよ、悟浄…」
遂に追いつめられた時、継母が、名を呼んだ。
悟浄は継母の方を向いた。継母は泣きながら、右手に薪割り斧を握っていた。
「どうして、そんなにあのヒトに似ているのよ…」
『母さん…』
「もっと別な顔なら、そんな目をしていなかったら、愛してあげられたかもしれないのに!」
「母さん」
悟浄は、継母が怯えないように目を、閉じた。
『その言葉だけで、充分…』
振り上げられた斧の切っ先が、鈍く煌めいた。