eclosion
兄さんの石化は徐々にそのペースを速めてゆく。
腰まで達したところで、兄さんは固形物を摂取できなくなった。
「動かねーから腹も減らねーし」
蜂蜜とレモンを溶かした水をちゅるちゅると吸う。今はもう、粥も飲み込めない。
「クソ出すのもやっかいだからまあ理にかなってるよな」
口は達者だけれど、顔色は白っぽく。
脈と呼吸が僅かずつ遅くなる傾向がみられ、明らかに眠る時間が長くなっている。
けれどその他は痛みも熱も何も無く。
「こんなラクな患者いねーよな」
「本人が楽ならまあ、何よりだ」
見舞いに来た准将とも軽い会話。
動くのが大好きだった兄さん。寝てるときでさえ布団蹴っ飛ばしてお腹出して。せっかちで元気いっぱいで。
辛くないはずなんか、無いのに。
怖くないはずなんか、無いのに。
どんどん、意のままにならなくなってゆく身体。か細くなる、命のともし火。
「けど、悔しいな」
初めて聞く兄さんの、マイナスの感情を表す言葉に、ボクは目を見開く。
「ようやく取り戻した身体が?」
「いや、それもあるけど」
兄さんはちらりとボクを見る。兄さんにとって「取り戻した身体」イコール、ボクの身体。
「この反応が錬金術によるものだとわかりきってるのに、その原理がつかめねーのが」
どこまでも錬金術師なのだ、兄さんは。
「くっそー。奴は何がしたくてこんな錬成を…」
けれど、兄さんはそこで体力が尽きたようだった。ふう、と息を吐いて口を閉じる。
准将は席を立った。
「また来よう」
「来んな」
そう言い返す兄さんはもう、まどろみに捕らわれつつあった。
「奴は、錬金術師の始祖。真理の扉さえその手で作ろうとした男。普通に考えれば我々が太刀打ちできる相手では無い」
「でも」
「だが、君達なら、あるいは手が届くかもしれない。・・・・・・もう少し、時間があれば」
加速度的に進む兄さんの石化。明日はどこまで真珠と化してしまうのか。
ああ、もう少し時間があれば!
「この石化、つまり表皮の真珠層は、この中心まで達していない」
マルコー先生が兄さんの足をコツコツと叩いて告げた。
「振動の伝わり方から、内部に空洞か何かがあるのだと思う」
「それはつまり!」
ボクは勢い込んで促す。兄さんも口を真一文字に結んで聞いている。
「真珠層が本来の脚から遊離してきているとか、色々と考えられるが…」
ともかく見てみよう、という結論に否やは無く。
医師団とボクとそのほか関係者が大勢取り巻く中で、兄さんの左足の切開が行われた。
そこは最初に石化が始まった場所。
だから症状が最も進んでいる場所のはず。
慎重に進められた医療用のドリルは、マルコー先生の推測通り、ほんの2センチかそこらで空回りの音に変わった。
兄さんもボクらも息を呑んでその様子を見守る。
「痛みは?」
兄さんは首を振る。
「触られてる感覚も無い」
ドリルを抜く。先生は額に緊張の汗を浮かべている。
小さな穴へ、取っ手の曲がった細いノコギリを浅い角度で差し込む。
かりり、かりり。
案外軽い音とともに、真珠に切り込みが入ってゆく。ぱらぱらと破片が落ちる。
切開の長さは10センチ弱。
抜いたノコギリを助手に渡すと、医療台から大ぶりの鉗子を取る。
注意深く切り込みに差し込み、左右の取っ手をそれぞれの手で握る。
ぐっと力を入れて、切れ目を広げる。すかさずライトがその切り口を照らす。先生が息を飲む。
兄さんは辛そうに上体を起こして、切り口を覗き込んだ。
うっ、と誰かの呻き声が聞こえた。
白く輝く真珠の中で。
兄さんの足は、ドロドロに溶けていた。