eclosion
あの時の涙を返せとあたしは言いたい!
エドが眠りについて半年後。
真珠にヒビが入った。
アルは、エドはまだ生きていると信じていた。ずっとエドの部屋で、難しい本を読み、シン語の巻物を広げ、沢山の錬成陣を書いて、考えていた。そしてたまに、真珠となってしまったエドの、心臓のあった辺りに耳を当て、じっとしていた。
そういう時は私もばっちゃんも、ごはんだよと声をかけるのを後にして、そっと階段を降りたのだった。
だから、ヒビを見つけた時は、あたしだって驚いたけれど、アルはもっと動転した。
「ど、どうしよう!兄さんが零れちゃう」
実際、ヒビの周りは濡れていた。透明な液体が滑らかな真珠面を伝っている。アルは成すすべも無くヒビを両手で押さえて、ぶるぶる震えながらどうしようどうしようと呟いている。
あたしはあたふたとばっちゃんを呼び、ばっちゃんは大量のタオルと包帯をエドの部屋へ運び込む。
ヒビは見る間に縦に伸びてゆく、液体がたらたらと零れる。濡れた表面が虹色に光る。震えるアルの手は真珠の表面をすべり、アルはそのままベッド脇にへたり込んだ。
あたしたちの見守る中で、大きな縦長のいびつな真珠が、ゆっくりと割れてゆく。
そしてそこから。
まるで、白い花弁が開いて、その中から雌蕊が伸び上がるように。
金色の髪で覆われた白い背中が、ゆっくりと持ち上がり。
起き上がり、頭を上げ。
こちらを向いたのは、夢のように美しい顔。
秀でた額の下に、極細の筆で掃いた眉。長い睫毛に縁取られた大きな大きな眼。小さな鼻。ぷくりと小さな口は薄桃色に濡れて果実のよう。ほんのりと染まる頬。
濡れた髪が折れそうに細い首筋に張り付き、胸からへその辺りまで流れる。
淡い光を乗せたように輝く、白い肢体。
まさに真珠の化身のような・・・少女。
ほんの少しの、けれど確かな、胸のふくらみ。
真珠の妖精は、繊細な金細工のような睫毛をぱちぱちとしばたかせ、それからあたしを見てばっちゃんを見て、最後にベッド下で惚けたように見上げるアルを見た。
濡れた唇が開く。
ガラスの鈴の音のように澄んだ声。
「アル?」
呼ばれたアルは、こくりとつばを飲み、そしてとんでもない台詞を言った。
「・・・・・にいさん?」
ちょっと待て。
ちょっと待て!
アル!あんたは目が見えてないの?それとも頭がおかしいの?どこがどうしてこの絶世の美少女が「あの」エドに見えるっていうのよ!
が、次の瞬間。
あたしは本気で気が遠くなった。
その少女はすい、と顎を引いたのだ・・・つまり、頷いて。
「おう」
おう?
この、壊れそうに繊細な11か12歳の少女の口から、「おう」?
少女は細い腕を持ち上げ、ことりと首をかしげながらそれを眺め、左手で右腕を撫ぜて・・・そう、少女には四肢がそろっていた。それからおぼつかない手つきで華奢な肩、胸、お腹をなでて、白桃のように滑らかな大腿の間に手を入れて、それから一拍置くと、その顔が暁の空のように真っ赤になった。
自分が素っ裸であることに、ようやく気づいたらしい。
な、なにか着るもの・・・・・・。
あたしがぎこちなく一歩踏み出すと、少女はぱっとあたしを見て、そしてあたしの名を呼んだ。
「ウィンリィ」
まさか。まさか。
ちょっと待って。ほんとに。
「え・・・エド、なの?」
少女は、真っ赤な顔のまま、頷いた。あたしは泣きそうになった。だってちょっと、何か違うわ?あんまりよ。
それから、少女・・・え、エド、は。アルを向くと、エドと似ても似つかぬ美しい声で、けれどいかにもエドらしい台詞を言った。
「アル。錬金術師の考える、完全な存在って、何だと思う?」
「え、えっと」
アルはなぜかちゃんと床に座り直す。
「不老不死?」
「それと?」
エドは、真珠の殻を花びらにぺたんと座る花の精の風情で、困ったように頬を染めて、アルを見下ろす。
「えーと…」
「完全を示す記号」
「両性具有。って。兄さんまさか」
「あー・・・・・・。生殖能力も両方あんのかなー」
もう、ちょっと。
逃避していいですか。
あたしはへたりと座り込み、外界を遮断した。
「う、ウィンリィ、泣くなよ。悪かったよ心配かけて。ほら、オレちゃんと生きてっから!な?」
な、泣いてなんか。
誰があんたみたいな、万国人間ビックリショーのために、泣くっていうのよ!
人が一生懸命、外界を遮断してるってゆーのに、ぺたぺたと足音が近づく。
「なあ、ウィンリィ?」
陶器のように白くすべらかな、生身の両足が、あたしの前で止まる。足指先は桜貝の爪。そして華奢な足首の、片方にだけ、細い、真珠色の傷跡が。
あ、これ。マルコー先生が切開した・・・。
あたしは思わず顔を上げた。
一拍ののち。
あたしはぎゅっと目をつぶって、思いっきり怒鳴った。
「とりあえず、前を隠せーーー!!!!」