猫
「いただきます!」
パラソルの下の丸テーブルで、行儀良く両手をあわせて挨拶すると、エドはおそるおそるスプーンをかき氷に差し入れた。
「初めてか?かき氷」
「うん、クラッシュドアイスは食べたことあるけど、こういうの、はじめて・・・・・・」
返事さえ上の空で、そうっと氷を掬う。零さないように慎重に慎重に、口へ運ぶ。
一口。
頬に片手をあて、眼を丸くして。
「つめたーい!」
それからもう一度、そうっと掬って、ぱくり。
今度は両手を頬に当てて。
「おいしーい!」
どこのコマーシャル娘だお前。
とハボックは思ったが、口には出さない。
「ほら、赤いとこ掬わないと甘くないぞ」
「うん、うん!」
赤いシロップをたっぷり吸った側面にスプーンを差し入れ、真っ赤な氷をスプーンに乗せる。
ぱくん。
「いちごだー!」
カップをくるりと反転させ、緑のほうを。
ぱくん。
「めろんだー!」
いや、色が違うだけだから。
それから再び、上の白いところを掬って、食べて。
「こおりだー!」
いや、だからそれ、かき氷だから。
今度はスプーンに盛りきれないほど山盛りにして、顔から迎えにいって、ぱっくん。
そのままスプーンを咥えたまま、3秒。
ぱかっと口を開けて。
「ほら見てーもう空っぽー!」
だから、氷だから。溶けるから。
「おいしいよ!しょういも食べる?」
「いや、いいよ俺は」
ハボックは苦笑して、椅子の背もたれに体重を預けた。
エドはスプーンを握りなおし、再びかき氷に対峙する。慎重だった匙運びがだんだん速くなってくる。
「こら、ゆっくり食べろ。腹こわすぞ」
ぴた。
スプーンが止まる。
それから、スローモーションのようにのろのろとスプーンは動き出し、のろのろと掬って、のろのろと口へ。
「そのゆっくりじゃない」
「へへへー」
いたずらっぽくエドが笑う。
しゃくしゃくと氷を崩す。
「アルにも食べさせてやりたいなー」
「アルは大佐んとこか?」
「うん。いい情報が入ったんだって」
エドとアルは、「紅い石」を探している。
そいつは何でも伝説級のシロモノとかで、手にした者は億万長者になれるとも不老不死になれるとも言われている。
この無邪気な仔猫と、あのしっかり者の弟と。それと、その怪しげな曰くの石が、ハボックにはどうにもそぐわないように思う。
どうしてそんなモンを探しているんだ?と、軍部の皆は何度か訊いた。
「家庭の事情です」とアルはつれなく返し、エドは「ひみつ」と一言。
ただ、その時の眼が、とても居心地悪かったので・・・・・・それは、とても、猫の目で。ヒトには見えない物を見る、ガラス球のような、あの、目。
それで、ハボックらは訊くのを諦めた。大佐と中尉は全てわきまえているようだし、必要ならば部下にも教えてくれるだろう。
「はー冷たーい」
エドが嬉しげな溜息をつく。
「残していいぞ。お前が腹こわしたりしたら、怒られるのは俺だからな」
大佐とアルから。おお怖え。
「やだ。もったいない。まだ食べる」
「いいけど、ほんとゆっくりな」
「うん!」
しゃくしゃく。ぱくり。
はー。にこにこ。
しゃくしゃく。ぱくり。
はー。にこにこ。
ハボックは青い青い天を仰ぐ。屋外だし大佐はいないし、ここで煙草を吸ってもいいはずなんだが。何でか火をつける気がしない。
眩しい光の中で、あちこちで氷をつつく笑顔の市民。零したと泣く幼子の声。レモン色のテント、青と白のパラソル、風にそよぐポプラの葉。
あの慌ただしい軍部がまるで遠い世界。
けれど。
しゃくしゃく。ぱくり。
ああヒマだ。
しあわせそーなエドの顔。
しゃくしゃく。ぱくり。
でも、ヒマだ。
ゆっくり食えっつったけど、ほんとゆっくりだな。
言った手前、せかすわけにもいかず、ハボックは半目になって頬杖をついた。
しゃくしゃく。ぱくり。
しゃくしゃく。ぱくり。
まだかなー。
しゃくしゃく。
「あとどん位だ?」
ハボックはおもむろにカップを覗き込む。と。
「おげ」
そこはイチゴでもメロンでも無い、黒っぽい紫色の水溜り。
「あのねー、もうこんなにジュースになっちゃった!」
いや、ジュースというには、その色はあまりに毒々しいだろ。
「でもね、すくうとちゃんと氷が出てくるんだよ。ほら!」
氷は、辛うじて透明だ。が。
ハボックの胸にじわじわと罪悪感が沸いてくる。
こんなに金色の、色白の、桃色ほっぺのほやほやした生き物に。
こんな色のもん食わせて、俺は許されるんだろうか・・・・・・。
覗き込んだカップからは、薬臭いような甘ったるい匂い。そして、底の見えない暗紫。
あまりの色に目が離せないハボックに、エドは困った顔で聞く。
「しょういも、やっぱり、食べたかった?」
いや、と、言いかけて止める。
「ああ。これ、くれ」
カップをつかむと、毒色の液体をがばりと喉に流し込む。
「冷てー!」
ぎゅっと目を瞑り、そして開くとびっくり目のエド。
「あー、悪いな、もらっちまって」
ううん、とぷるぷる首を振り、にっこり笑う。
「ね?おいしかったでしょ?」
努力して、頷く。
「おう、旨かった」
うす甘いだけの、気の抜けた味。なのに冷気が治まると、妙に口の中に甘味が残る。あー、コーヒー飲みてえ。
エドは器を持ち上げると、「わーい空っぽー!」と何が嬉しいんだかくるっと回った。
それからぴたりと止まり、エドは自分の口元に手を当てた。器をテーブルに戻し、左の手袋を取って、生身の指でもう一度。
「おい?どうした」
俺の不信気な声に、けれどエドは興奮に目をキラキラさせて。
「まだね、口まで冷たい」
「そうか」
「ね、触ってみて」
言うが早いか、俺の手を取り、それを唇に当てる。
ひんやりとした感触。
「ね、冷たいでしょ?」
「あ、あ。冷たい」
エドはちゃっちゃと手袋を直し、カップ返してくるー!とぱたぱた行ってしまった。
エドの口は確かに、冷たかった。冷たいもの食うと、口まで冷たくなるんだな、そう感心する頭と別のところで。
熱いくらいにあったかい、エドの手。俺の手をつかんだ、柔らかな指の腹。ひんやりと冷たい唇の、ふわりとした肌触り。
燦々と降り注ぐ日の光の下に取り残された俺は、妙な色の、うす甘い後味に、ただ呆然と突っ立っていた。
おわり。