immortal lover
『俺には、不滅の恋人がいる』
それは虚言などではない。実際にそうだから、そう言った。
大体、香穂子が帰国したからといって、俺は香穂子に「別れようとは一度も言っていない」。
あれから連絡のひとつも取っていないが、俺はずっと香穂子を想い続けている。
たとえ、彼女が既に他の男性と交際していても、結婚していても、構わない。
俺にとっては、彼女はずっと俺の恋人だからだ。この先、一生。
誰かに俺のことを聞かれたら「不滅の恋人がいる」と答えろ、とスタッフに告げると、「ますます頭がおかしいと思われるからやめておくよ」などと言って口をつぐんだ。
…俺はため息をついて、夕食を取ることにした。
ピリリリリリ…
「………」
今度は、自宅の電話が鳴った。
夕食くらいゆっくり取らせてくれ、と誰にでもなく文句を言って、受話器を取る。
『もしもし、蓮?』
「………っ。母さん?」
『三ヶ月ぶりくらいかしら。ふふ、久しぶりね』
「ええ、お久しぶりです」
相手は、母だった。
家族から連絡があることは別に珍しいことではないが、なぜかいつも驚いてしまう。
『来月なのだけど、ヴァイオリンの国際コンクールがあることは知ってる?』
「ええ。今回も審査員として出向きますので」
『ああ、やっぱりね。実はね、その日私も父さんと一緒に、コンクールへ行こうと思っているの』
「………は?お二人も、審査員で?」
『いいえ、私たちはただの観客。何も言わずに会場で会って驚かせてしまうよりは、事前に教えておいた方がいいかと思ったの』
「はぁ…。そうでしたか。では、また会場で」
『ええ。じゃあ、またね』
電話を切り、俺は首を傾げていた。
なぜ、二人がコンクールを見にくるのだろう。
俺が審査員として出向くのは、今回が初めてではないのに。
妙に嬉しそうだった母さんの声が耳に残る。
…詳しい話は会場で聞けるだろう。
俺は気を取り直して、夕食を再開した。
「最終選考まで残ったのは、この5人です」
コンクール当日、審査員控室にて渡された資料に、目を通した。
今回は5人か…。
アメリカ、ロシア、日本など、世界各地のヴァイオリニストが厳選され、今日ここに集う。
日本人が入っているのは2年ぶりだな。
「審査は例年通り、オケとソロでの演奏で行われます。注意事項は…」
大体が20歳前後の参加者の中、10代が一人だけいることに気づいた。
日本人…
………“ヒノ”?
その少年は、“日野”という名の少年だった。
………。
いや、なんてことのない偶然だろう、と考える傍ら、ある可能性が俺の頭から消えなかった。
もし、香穂子の子供だったら?
香穂子も、子供がいてもおかしくない年齢だ。
顔写真を見ても、なんとなく香穂子の面影があるように思えてしまう。
しかし、もし結婚していたら、「日野」という苗字のままであるだろうか?
いや、婿養子を取った可能性もある…
「月森さん?」
「………あ、ああ。すまない」
スタッフに名前を呼ばれて、我に返った。
馬鹿馬鹿しい、可能性でしかないのに。
もし、香穂子の子供だったとしても、俺は公正な審査を下すまで。
「う〜ん、今回のコンクールはなかなかレベルが高い。審査も難しくなりそうですなぁ」
オケをバックにした5人の演奏が終了して、隣にいた審査員はため息まじりにそう言った。
………確かに。
どの参加者も、甲乙がつけがたい演奏をしていた。
演奏を聴いてわかったのは、「20年に一度の逸材」と言われていた参加者は、日本人のあの少年だった、ということ。
年少ながら、驚くほどの演奏技術を持っていた。
…先程あんなことを考えたせいだろうか。
いやに先入観を持ってしまっているような気がして、自分を戒める。
………そういえば。
一日目が終わって会場を見渡したが、コンクールに来ると言っていた両親の姿がなかった。
とはいえ、コンクールは明日もある。
明日来るつもりなのかもしれない、とその日は特に何もせず、帰宅した。
「蓮」
「あっ………」
コンクール二日目、開演前に、両親は審査員席へとやってきた。
「久しぶりね。ちゃんと父さんも連れてきたのよ」
「久しぶりだな、蓮」
「ええ」
両親との再会開に、思わず顔が綻んだ。
母さんは相変わらず世界中で公演を行っているため、たまにウィーンにも顔を出すが、父さんは日本に留まり仕事を続けている。
「昨日は姿が見えなかったので、最終日にいらっしゃるのだと思いました」
「ええ、そうなの。今日は楽しませてもらうわね」
「ええ。演奏するのは俺ではありませんが」
開演のブザーが鳴り、両親は観客席へと戻っていった。
さて…。
今日は審査結果を出さなければならない。
ステージに向き直り、俺はペンを手にした。
「では、控室に」
5人の参加者の、全力を出し尽くした演奏の余韻にも浸れぬまま、俺たち審査員はスタッフに促され、拍手のやまない会場内を去ることとなった。
「では、結果発表までにあと2時間余りではありますが、審査の結果の方をお願い致します」
俺が優勝にと選んだのは、あの日本人の少年。
同じ国の出身だからという贔屓目を抜きにして、むしろ他の参加者よりも厳しい目で審査した結果だった。
技術優先、隙のない演奏をする他の参加者とは違う、感情の入り込む「隙」を作り出す演奏は極めて興味深いものだった。
「………多数決の結果は、優勝は日野氏となりました。では、更に彼の審査結果について話し合いを…」
10人いる審査員のうち、6人が彼を優勝にと選択していた。
「いやー、正直満場一致だと思ったんですけどねぇ」
「ソロのあのフレーズが印象的だったんですよ」
「しかし、技術面では納得のいかない点が…」
様々な議論が行われたが、最終的に彼が優勝ということで話は纏まった。
「それでは、結果発表に進みたいと思いますので、皆様会場の方へ…」
会場へと進む中、一人の審査員が話しかけてきた。
「今年は日本人の少年が優勝を勝ち取りましたか。どうですか、やはり同じ日本人として誇らしく思われるのかな?」
「そうですね…。同じ日本人だからというよりは、同じヴァイオリニストとして誇りに思いますね。あの歳であの演奏ができるとは」
「おお、審査員らしいコメントですな」
談笑しながら、審査員席へと着く。
無事、結果発表が終わった。
優勝を逃し、悔し涙を浮かべる参加者も存在する中、日野少年の嬉しそうな笑顔は印象的だった。
今年もここから新たな可能性が飛び立つ。
彼がこれからどんなヴァイオリニストになってゆくのか、楽しみだ。
永遠に続きそうな拍手がやみ、終演のアナウンスが流れてから、俺たち審査員は控室へと戻った。
「祝賀パーティーでは、彼の話を直接聞けるのが楽しみでね」
「ああ、祝賀パーティーですか」
「おや?月森さんは出られないのですか?」
「ええ、私自身、明日公演を控えているもので。今日は帰宅しようと思います」
作品名:immortal lover 作家名:ミコト