immortal lover
「大学の書類だってば!」
「っ………」
「………!」
突然声を荒げた彼女に面食らって、俺は言葉を失った。
彼女も衝動的に声を荒げてしまったのだろう。すぐに黙り込み、後悔しているようだった。
「………ご、ごめんね。大きな声…出したりして」
「…いや。なんでもないならいいんだ。ただ、君に何かあったのなら、話してもらいたいと思って」
そういえば、彼女は疲れていると言っていた。
…そのせいで、変に興奮してしまったのかもしれない。
俺は彼女を慰めようと、笑顔を作って言った。
「…ホットミルクでも作ろう。疲れも吹き飛ぶかもしれない」
「………」
彼女は少し照れたような、申し訳なさそうな笑顔を見せた。
「…月森くん、電子レンジとオーブン、間違えないでね?」
「さ、さすがにそれはない」
くすくすと笑う彼女を見て、俺は安心した。
「…はい、もしもし」
仕事での移動中、携帯電話に着信があった。
今朝も、彼女はシュレッダーを稼動させていたようだ。
俺も起きてはいたけれど、その件には触れられたくないのかもしれないと思い、気づかないふりをしたが。
「………天羽さん?」
驚いた。
なんとも珍しい相手からの着信だ。
『やっほー、つっきもっりくんっ!元気?』
「あ、ああ。君が電話をかけてくるなんて珍しいな。悪いが、今は仕事中だから香穂子は…」
『いやいや、香穂子に代わってもらおうってつもりで電話したんじゃないんだ。月森くんは今大丈夫?』
「ああ、平気だ」
…確かに、香穂子に用件があるなら、彼女に直接電話をするだろう。
自宅にいる時も、よく電話している姿を見かけるから。
では、俺に電話をしてきた用事はなんだろう?
思い当たることがなくて、俺は思案した。
『…あのさ。最近ちょっと気になってたことがあってね。もちろん、香穂子のことなんだけど…』
「香穂子の…?なんだろうか」
『あのね、ちょっと前にちらっとだけ聞いたんだけど…。香穂子ね、大学で嫌がらせに遭ってるみたいで』
「………!嫌がらせ…?」
なんだ、それは?
俺は一言も聞いていないし、知らなかった。
『詳しくは聞かなかったんだけどさ、ちょっと辛くてねー、みたいに軽く言ってたし…。でも、香穂子は辛ければ辛い時の方が明るく振る舞うからさ。…ちょっとしたことかもしれないけど、なんていうのかな…嫌な予感がした、っていうか』
「……………」
『ホント、ちょっとしたことかもしれないし、月森くんもとっくに知ってるかなって思いはしたんだけど…』
「いや、知らなかった」
『本当に?やっぱそうか〜…。あっ、でも香穂子から聞いてないからって気を悪くしないでね。心配させたくなかっただけだろうから』
「ああ…そうだな…」
これだけ長い間一緒にいるんだ。
彼女の性格くらい知っている。
気を悪くするどころか、気づいてやれなかった自分自身を嫌悪した。
『日本にいた頃…学院にいた頃もさ。あの子、いろいろ言われてきたりしたけど…その時は、私やアンサンブルの仲間たちがいたから、助けてあげられたでしょ…。今はさ、さすがに近くに行ってあげられないから』
「…そうだな」
『だ・か・ら!香穂子を支えてあげられるのは月森くん、あんただけなわけよ。ね、香穂子のこと、ちょっと注意しながら見ててもらえないかな?』
「………わかった。教えてくれてありがとう、天羽さん。あと…すまない」
『なーに謝ってんのよ!』
俺は天羽さんに心から礼を言って、通話を終えた。
……………。
天羽さんから言われて、改めて気づいた。
俺にとって彼女が大切な存在であるように、天羽さんや…日本にいる仲間たちにとっても、彼女は大切な存在だ。
ある意味、俺は任されているということ。
一番近くで、香穂子を守れる存在として。
香穂子の辛さに気づいてやれなかった自分を恥じる暇があったら、早く行動に移さなければ。
俺は、彼女に電話をかけた。
『うん…。せっかく誘ってくれて悪いんだけど、今日は早く家に帰ろうと思って』
自宅で話を聞くより、外でどこかで食事でもしながら話を聞き出そうと思った俺は、今日の帰りにどこか寄って帰らないか、と提案した。
しかし、彼女の返事はNOだった。
最後に二人で外出したのは…そう、あのカフェに行った時だ。もう1週間も経つ。
それもあって、誘ったのだが…。
「…そうか。わかった、じゃあ俺はいつも通りの時間に帰るから」
『…うん。先に帰ってるね』
仕方ない。
自宅で、天羽さんから聞いた話を切り出してみよう―――
「ただいま」
いつものように、焦りを感じながら靴を脱ぐ。
彼女も、いつも通り笑顔で俺を出迎えた。
「うーん。これちょっと、味付け薄かったかな…」
彼女が作ってくれた夕食を取りながら、俺はあの話をするタイミングを計っていた。
「…そういえば、香穂子。大学の方はどうだ?」
「えっ?」
また、だ。
一瞬の動揺。
「な…どうしたの?突然。大学はいつも通りだよ?」
「………。今日、天羽さんから電話があった」
「え?!天羽ちゃんから、月森くんに?珍し〜!」
彼女は笑っているが、どこか動揺している。
やはり…。
「…君が、大学で嫌がらせを受けていると。そう、聞いたんだが…」
「………」
彼女は箸を置いて俯いた。
「俺には言ってくれなかったな。…辛かったんだろう?」
「………。ああ〜。天羽ちゃん、あんなちらっと言ったこと、覚えてたんだ…」
部が悪そうに顔を上げて、彼女は話しはじめた。
「あ…はは、そんなにたいしたことじゃないんだよ。ちょっと嫌味言われる程度のことで…。だから、話さなかったの。だってさ、そんなこと学院の頃もよくあったじゃない?」
…確かに、俺自身だっていやがらせや誹謗中傷を受けることは日常茶飯事のことで、いちいち気にしていても仕方ないと割り切っている。
学院時代は、俺も彼女にそう言い聞かせてきた。
しかし…
「俺は、どの程度のものなのか自分の目で見ていない。…だから、心配になって」
「あ………。ごめんね、心配させて…」
「いや、君が謝ることじゃない。俺の方こそ、気づいてやれなくて…」
「う、ううん!…大丈夫、本当、心配してもらうほどのことじゃないから!」
彼女はひらひらと手を振りながら笑った。
………いいのだろうか、これで。
どこか引っ掛かる。
「………。俺は、君が大切だ」
「えっ?!………な、なに、いきなり」
彼女は真っ赤になって、俺を見つめる。
…今更、なのかもしれない。こんなこと、口に出さなくたって互いにわかっているはず。
だが、言わずにはいられなかった。
彼女に伝えるというよりは、自分に言い聞かせるつもりで。
「…だから、君が辛い思いをしていたら、俺も辛いんだ。俺は、君を一番近くで守れる人間だから…。俺に心配をかけるからとか、迷惑をかけるとか考えてほしくない。だから…」
まっすぐに彼女の目を見つめて。
「…俺を、頼ってくれ。君に寄り掛かってもらえるのが、俺の特権なのだから」
作品名:immortal lover 作家名:ミコト