immortal lover
どちらともなくソファーに腰掛けると、彼女は言いづらそうに切り出した。
「あの…さ。朝、話があるって言ってた…よね…?」
何を話されるのか―――彼女は悟ったような目で俺を見つめた。
「………。君が大学で受けているという、嫌がらせのことだが」
「………うん」
「些細な嫌がらせではないようだな」
「…なんで、そう思うの?」
「今日も持ち帰ったんだろう。嫌がらせの一部を」
「………!月森くん、なんで…?」
「話してくれないか。…君だけの問題じゃないんだ」
「………」
彼女は、ようやく俺に全てを打ち明けた。
やはりそれは、些細な嫌がらせなどではなかった。
半年前くらいのこと。
香穂子は、大学で一人の女性に話し掛けられた。
同じ大学の、1つ上の院生らしい。
偶然だったそうだが、彼女は俺のファンだということを話し、香穂子もそれを聞いて、二人は仲のいい友人となった。
俺のCDを二人で聞いたり、コンサートの話をしたり…
熱心なファンだと知り、それを香穂子も喜び、友人として普通の付き合いを続けていた。
…しかし香穂子は、彼女の話を聞くうちに、彼女が俺のヴァイオリン以上に、俺自身に好意を抱いていることに気づく。
だから、あえて俺と交際していることは言わなかった。
彼女も、香穂子が俺について詳しく知っていることに、同じ国の出身だから…と、特に疑いを持ってはいなかった。
が、ある日…一ヶ月ほど前、街で俺と香穂子が歩いているのを見かけ…
彼女は、香穂子を問い詰めた。
そして、問い詰められた香穂子は、俺と交際していることを認めてしまった。
…それからというもの、今までの仲の良い友人からは一変、酷い嫌がらせが始まった。
香穂子の使用しているロッカーには、毎日のように昨日俺が見たような内容の紙が入っていて、
大学内では根も葉も無い酷い噂をばらまかれた。
しかも、大学外でも香穂子のあとをつけたり、気がついたら街で見られていた、なんてこともあった。
だから、俺と外を出歩くことを拒んだのだと。
………正直、言葉が出なかった。
「月森くんと付き合ってたこと…。黙ってたのは悪いと思ったけど、どうしても言い出せなかったの。わざわざ言うことじゃない、って思ったし…」
香穂子は涙ぐみながら話を終えた。
…俺は、何も知らなかった。
香穂子が話さなかったから、なんて言い訳にならない。
香穂子は俺のせいで嫌がらせを受け、辛い思いをしていたのだ。
どうしたらいいんだ。
どうしたらいい?
「…気づくことができずに、すまなかった」
今謝ったって何も解決しないのに、俺は謝らずにいられなかった。
「月森くんは悪くない!…月森くんはただ…。ヴァイオリンを弾いて、ソリストとして立派な活動をしてるだけじゃない」
「しかし、君だって悪くない」
そう言ってから、激しい怒りが込み上げてきた。
そうだ、俺も香穂子を悪くないのだ。悪いのは―――
「大学に行けば、そいつには会えるんだな?」
「………っ、」
「俺が直談判しよう。そもそも、なぜ香穂子に嫌がらせをする必要がある?俺が話して、やめるように…」
「あの子は、私と月森くんを別れさせたがってるんだよ…」
「っ…。それこそおかしな話だ。俺と君が別れたからといって、俺がそいつのものになるわけじゃない」
「………」
彼女の行動について考察するほど、無駄なことはなかった。
…俺たちには、こんな嫌がらせをする人間の心理や、成し遂げたいことなどわからない。
一時的な感情の高ぶりから行動している人間についてなど、考えるだけ無駄だ。
「…とにかく、君がこんな行為を受けていることを黙って見ているわけにはいかない。何か…何か、解決策を考えなければ」
「月森くん…。ごめん…ごめんなさい…」
「謝らなくていい」
静かに泣きはじめる香穂子を、強く抱きしめた。
香穂子が落ち着いてから、俺は今日友人に聞いた話を伝えた。
香穂子は俯きがちに聞いていた。
「俺は、多くの人の目に晒される仕事をしている。遠からずこういった問題が出てきていたことだろう。俺も、もっと早く自覚して、対策を考えていなければいけなかったんだが…」
「…月森くんの友達は、別れちゃったんだよね、彼女と」
「…そうだな。ストーカーの思惑通りになったということだ」
それが一番の解決策なのかもしれない。
しかし、それが簡単にできるなら、誰しも愛する人など欲しない。
友人でさえ、苦渋の決断だったと言っていた。
「…私ね。初めて身近にいる月森くんのファンと接して…。改めて、すごい人と付き合ってるんだって自覚したの。…ほんの少し優越感に浸ったのも、確か」
「………」
「こんなことになって…。これを話したら、別れなきゃならない…月森くんに、別れようって言われるかと思ったの。だから言えなかったの…」
香穂子の身と心の安全を守るには、それが最善の方法だ。
しかし―――
「そんなことを言えるくらい、君を深く愛していなかったら…言ったかもしれないな」
「えっ」
「君と別れることなく解決しようと思うのは、俺のわがままなのだろうか」
「月森くん…」
唇を震わせ、香穂子は嗚咽混じりに言う。
「別れたくなんかないよ…!月森くんにそんなこと言われたら、私………!」
「別れない。………俺が、別れずに解決できる方法を探す。…絶対に」
大丈夫、と抱きしめながら。
俺は、考えていた。
泣き疲れた香穂子を先に休ませて、俺は書斎でこれからのことを考えていた。
考えは、ほぼ決まっていた。
大学を休学させ、早いうちに別の大学に移させる。
香穂子ほど優秀な生徒なら、すぐにでも受け入れてくれる大学は多いだろう。
香穂子が強く希望していた大学だっただけに、心苦しいが…
正直、同じレベルの大学など、このウィーンには五万とある。
逃げる、などとは考えないようにした。
よりよい環境を求めた、と考えればいい。
………。
本当にこれでいいのか?
俺が今の仕事をしている以上、香穂子がまた同じ目に遭わないとは限らない。
そのたびに、香穂子を逃げさせるのか?
俺のこの決断は、本当に香穂子を守ることになっているのか?
「………」
頭を振る。
今はとにかく、目の前の問題を解決することが先だ。
また同じことが起こったら―――
その時は、また考えればいい。
とにかく、俺も混乱していた。
だからこそ、「考えが甘かった」。
この時、違う決断をしていれば―――――
一生、後悔することになった、この決断。
俺は、まだ知る由もなかった―――――。
翌日の朝、俺は昨晩考えたことを香穂子に提案した。
もし、香穂子がいやだと言ったら、また別の方法を考えることにして。
とりあえず、どちらにしても、何日かは休学することを勧めた。
ヴァイオリンは俺が見るから、と。
「………。今の大学、頑張って入ったし…大学自体はすごくいいところで…」
「………そうか。しかし、とりあえず何日か」
「でも、………うん。月森くんが考えてくれたように、してみる」
作品名:immortal lover 作家名:ミコト