The future that is happiness
「あの時はこうやってぶっちゃけることできなかったけど…。今考えてみたら、可愛かったね、二人とも」
「まぁ、青かったってのは認めるが…」
「バカらしい…些細なことでケンカしてたよね。…私が原因だったんだけど」
「………いや。俺も、かなり融通きかないヤツだったぜ。お前だけが原因じゃない」
「ううん、私が悪かったんだよ。…ごめんね」
「や、俺こそ…」
そこまで言って、二人顔を見合わせる。
「…なんで謝り合ってるんだろ、私たち」
「…なんでだろうな?」
それから、また二人で笑って。
“どうしてあの時、こうやって仲直りできなかったのかな”
お互い口にしなくとも、そう思っていた。
気付けば、空いたグラスがいくつもテーブルに転がっていた。
「一人で帰れるか?」
「うん、平気。最後の方はあんまりお酒飲まなかったから、全然酔ってない」
「そうか。…あ。明日の昼、もしよかったらメシでも食いに行こうぜ。予定空いてるんなら」
「うん!明日は夕方までなら大丈夫!」
夜明け前、薄暗い街の街頭の下で、私たちは別れた。
本当は少し酔いが残っているいい気分で、私は家路を辿っていたけど。
この胸の、甘い痛み。
気付き始めていた。
彼に再び惹かれてしまっていることを。
―――それから。
私たちは毎日のように会っていた。
時には仕事―――公演の話もしたけど、8割が昔話。
あんなこともあった、こんなこともあったなんて、笑って。
楽しかったけれど。
私は、だんだん虚しさを感じるようになっていた。
「今となっては」
「今は違うけど」
そんな単語が出るたび。
確実に、私は土浦くんのことが好きになっていた。
この年になって、「好き」だなんておかしいかもしれないけど。
自分に芽生えた淡い気持ちを肯定してしまうほどに、好きになってしまっていた。
そして、とうとう―――――
「………あのね、土浦くん」
「どうした?」
土浦くんが滞在しているホテルのバーで、私は打ち明けた。
「私、日野に戻っちゃった」
「………!」
呆気ないものだった。
いつの間にか、手際よく荷物が纏められ、夫は出ていった。
なんの未練も湧かない自分が不思議で仕方ない。
それは、きっと…
「………やっぱり、だめだったのか。…残念だったな」
「え…?」
てっきり、あんな奴とは別れて正解だ、と言われると思っていた私は、悲しそうな顔をする土浦くんに驚いた。
「いや…。できれば、話し合って…修復してほしかったからさ」
友人として、真っ当な意見だと思う。
「友人」、なら。
だけど私は、残念だと言う土浦くんに、裏切られたような心境になった。
私はもう、彼に恋しているから。
恋している相手に、他の男との幸せを願われるほど、悲しいことはない。
「…土浦くんがそんなこと言うなんて、思わなかった」
「えっ…。なんでだよ」
「……………」
土浦くんは仕方ないな、というように笑った。
「よくわからないが、落ち込んでるお前を余計に凹ませたなら謝るよ。詫びに、なんでも言うこと聞いてやる。好きなもの頼めよ」
土浦くんがテーブル端のメニューを手に取ろうとした瞬間、私はその腕を掴んだ。
「………どうした?」
「土浦くん…。聞いてくれる…?」
多分、泣きそうな顔になっていたと思う。土浦くんは私から視線を外さない。
ぎゅ、と腕を掴んでいる手に力が入った瞬間―――
「私、土浦くんが好きなの」
「………お前」
私たちの視線は、強く交わったままだった。
「誤解…しないで。夫とあんなことがあったから、土浦くんに頼りたいんじゃない。自暴自棄になってるわけじゃない。私、あの時土浦くんと別れてからも…ずっとずっと、あなたのことが好きだった。忘れられなかった」
「………」
土浦くんは顔をしかめて、私の話を聞いていた。
「土浦くんと再会して…気付いたの。きっと、夫と上手くいかなかったのも…本当に好きな人が、私の心の奥底にいたから」
「………俺も。俺だって、お前のことはずっと引きずってた。けど、俺の中でお前は…。恋愛対象じゃなく、きれいな想い出として存在するようになってた…」
想い出―――
それは、今想いを寄せている相手に告げられるには、あまりに残酷な言葉。
しかし、そんなことはわかっていた。自分の言っていることがどれだけ身勝手か、痛いくらい承知しているのだから。
「お願い」
私は、土浦くんの胸に飛び込むようにして抱き着いた。
人目も気にせずに。
「お願い………。今夜は離さないで。………抱いて」
「……………!」
土浦くんの手が、私の腕にかかる。
引き離そうとしていることを悟り、私はしがみつく力を強くした。
「………日野。それはできない。………俺には」
土浦くんの左手の薬指に、鈍く光る指輪がはめられていることなど、とっくに知っていた。
その古びた輝きが持つ意味も。
「お願い………!土浦くんが…日本に帰るまでは…。あなたのそばにいさせて…」
相手の心も、事情さえも考えられなくなるほどに激しい想いを寄せたのは、いつぶりだろうか?
やがて土浦くんに腕を引かれるまで、私たちはずっと体を寄せたままだった。
窓から、月の光が差し込み、電気ひとつつけていないはずの室内は、淡く二人の姿を浮かび上がらせていた。
何も、変わっていなかった。
クセも、名前の呼び方も、全部。
全部あの頃のまま。土浦くんは私を抱いた。
何も考えられなかった。ひたすら土浦くんに身も心も任せ、私を苛む日常は全て忘れてしまうくらい。
「………土浦くん」
上半身だけ何も纏わない土浦くんの背中に、私は頬を寄せた。
交わりが終わり、しばらくした後。
土浦くんは後悔と罪悪感にうちひしがれたように、私に背中を向けベッドに腰掛け、俯いていた。
私もまた、そんな彼に胸を痛ませた。
しかし、嬉しさでいっぱいで、満たされている自分もいる。
昔愛した人への同情―――土浦くんが私を抱いた理由がそうであっても、愛された事実は変わらない。
「俺は………。越えちゃいけない一線を、越えちまったんだな」
ぽつりと漏らした言葉に、彼の大切な人に向けての罪悪感が滲む。
「………土浦くんは悪くない。私が言ったんだから………!私の、わがままで」
「自分でも自分がよくわからない。いつでも目に焼き付いていたはずのあいつらの顔が、お前を抱いてる時―――思い出せなかった」
「………」
「お前とこういうことをしたのは…お前への同情でも、未練でもない。ひとつ、確かなのは…。俺の意志だったってことだ」
自分一人の事情で、こんなにも彼を悩ませていること。
そんな自分が大嫌いだし、もし自分以外の人間が同じことをしていたら、批難するだろう。
けれど、この気持ちを止めることはできない。
私は土浦くんを抱きしめ、明るくなっていく空を見上げた。
その日からも、私たちは恋人同士のように毎日共に過ごした。
作品名:The future that is happiness 作家名:ミコト