A clematis
挨拶を返すこともなく去っていく元部員を、悲しげ目で見送る。
それから、小さなため息。
「おっはよーございまーっす、八木沢部長♪」
「…ッス」
後ろから元気な声がする。
新と火積だ。
「ああ、おはよう」
安心したような顔をする八木沢を見て、二人は顔を見合わせた。
「ね、八木沢部長。気にしなくていいですよー、あんなの。ほんっと、感じ悪い!」
「………。本当なら、一回痛い目見せてやるとこなんだけどな…」
二人が憎々しげに睨んだ先は、さきほどの元部員。
…横浜から帰ってきてから、ある出来事がきっかけで、八木沢は一部の生徒から目の敵にされていた。
その「一部」とは、火積の一件で吹奏楽部をやめていった生徒たち。
全国大会に勝ち上がれなかったことを責められているわけではない。
むしろ、よくあそこまでいったと褒められたくらいで。
きっかけは、ほんの些細なできごとだった。
『………』
『八木沢、何見てんだ?…あーっ、それ小日向さんの写メじゃないか!』
『ちょ、ちょっと狩野。いきなり覗き込まないでくれよ』
八木沢は慌てて携帯の画面を待受に戻した。
『泣けるネェ〜!そりゃあ寂しいよなあ、あれだけ毎日イチャイチャしてたお前が、会えなくなっちまったんだからな。そりゃ〜、写メのひとつやふたつ、眺めたりもしちゃいますって!』
『い、今のは、小日向さんのメールに添付されていただけで…』
『えっ?!なになに?!女の話?!』
至誠館は、男臭い男子校。
女の子の話が出ると、みんな途端に食いついてくる。
なんだなんだと、八木沢はあっという間に囲まれた。
『これって星奏学院の制服じゃね?けっこー可愛いじゃん!やるな、八木沢!』
『関東の子と付き合うとかすげーな!遠恋?遠恋てやつ?!』
『ちょ、ちょっとみんな…』
盛り上がる八木沢の回りを冷ややかな目で見ていたのは、かつて吹奏楽部の部員だった生徒たちだった。
『…八木沢、星奏学院の女と付き合ってんのかよ』
『星奏学院ってライバル校だろ?何考えてんだ、あいつ』
『去年だって、火積残したせいで全国大会出場停止になったっつーのによ…』
『なんであいつが部長やってたんだ?』
ライバル校の生徒と付き合っているという八木沢に、彼らは反感を持った。
もう部活などとっくに辞めているというのに…。きっと、「彼女ができた」ということに対してのやっかみもあったのだろう。
それから、彼らは何かと八木沢に辛く当たるようになった。
『おい八木沢、今日掃除当番だったよな?ついでに俺たちのとこもやっとけよ、お前と違って俺らは劣等生だからよ。これから補習なんだよ』
『………ああ。わかった、やっておくよ』
八木沢は顔色も変えずに承諾する。
…次の部長を決める、大切な会議の最中に勝手に部室に乗り込んできた彼に。
『っ………許せねえ。ぶん殴ってくる!』
『わああああ!火積せんぱーい、落ち着いて下さいッ!』
部員たちも、八木沢が一部の生徒に反感を持たれていることを知っていた。
その理由も。
『ほ、火積先輩。気持ちはわかりますよ。オレだって、あんな奴けちょんけちょんにしてやりたいしー!でも、本当にやってしまったら、八木沢部長に迷惑がかかるだけですよ!』
『チッ…。そうだな。おめえの言う通りだ………悪かった』
新に宥められて、火積はおとなしく席についた。
『ふふ、火積も冷静な判断ができるようになったんだね。次の部長は、火積に決まりだな』
この状況でそんなことを言って微笑んでいる八木沢に、部員たちは悲しげな顔をする。
『…八木沢部長。いいんすか、あんな風に舐められてて』
『そうですよぉ!ただの嫉妬だろーって、言い返してやればいいじゃないですかぁ!』
『…いいんだよ。彼らの思っていることももっともだ。僕は、ライバル校の方とお付き合いしているんだからね。敵と通じ合ってる…母校を蔑ろにしている…そう思われたって、仕方ないさ』
『で、でもよ!あいつは…敵とか、そんな奴じゃ…!』
『かなでちゃんも星奏学院のみんなも、敵なんかじゃありませんよ!』
『そうだよ。でもそれは、彼らと同じステージに立ち、彼らと共に過ごした君たちにしかわからない。…君たちにわかってもらっていると知っているから、僕はそれでいいんだ』
星奏学院に部長が目当ての女がいたから、大会では手を抜いたんじゃないか。
そんな、出場メンバー全員を侮辱するようなことを言い出す輩もいた。
しかし、八木沢は怒ることはしなかった。
自分も部員も、出せる限りの力を持って大会に臨んだのだ。
それが星奏学院に及ばなかっただけ。
そんなこと、出場メンバーはみんな知っている。
誰になんと言われようと、僕たちはあの大会に出て、演奏し、星奏学院と競えたことを誇りに思っていい。
八木沢は、そう語った。
『うう…。ごめんな、八木沢…。俺が教室で騒ぎ立てたりしなければ…』
『何を言っているんだい、狩野。君らしくないじゃないか。にぎやかなのは、君の専売特許だろう?』
『八木沢…』
『だ…誰がなんと言おうと、ボクらは八木沢部長を信じてる…それでいいんだよね…?』
『あったりまえですよ、伊織先輩!』
一部の生徒にどんなことを思われようと、ちゃんとわかってくれる部員たちがいる。
八木沢にとってそれは、一番の心の支えだった。
「…でも、八木沢部長。かなでちゃんと付き合っていることがあいつらにとって気に食わないなら、別れたーとか言ってやり過ごしちゃえばいいんじゃないですか?」
「…そうだな。単純な噂を信じるような奴らだ…。それで解決しちまうような気がしなくもねぇな…」
「それはしないよ」
八木沢は微笑んだ。
「えっ!な、なんでですか!一番いい方法なのに!」
「たとえその場しのぎの嘘だとしても、僕は小日向さんに誠実でありたいんだ。彼女がいないところで…だとしても、ね」
「や…八木沢部長…!八木沢部長、かぁっこいいッ!」
「こ、こら、水嶋!」
「(八木沢部長…あんたは…。やっぱ、俺の師匠だ…)」
「かなでちゃん!お待たせ〜♪」
「か、香穂子さん!こ、こんにちは!」
かなでは駅前で香穂子と待ち合わせていた。
八木沢から話を聞いてしまってから、なんだかまともに彼女の顔を見れない。
「………?かなでちゃん?どうかした?」
「あ…あの…。香穂子さんって…」
かなでは八木沢から聞いた話を打ち明けた。
「あ…ははっ!バレちゃったか〜」
「………。わ、私…。お名前は知っていたはずなのに…。まさか、ご本人だとは…」
「あー、そうかしこまらないで。…後ろめたいことがあって隠してたわけじゃないんだけどね。…その。本業話すと、みんな他人行儀になっちゃって…それが寂しいから、あまり人に話さないようにしてるの。かなでちゃんは星奏学院でヴァイオリンやってるから、尚更…」
「あっ…!そ、そうだったんですか…」
「だから、かなでちゃんもあまり気にしないで、今までと同じように仲良くしてくれる?」
有名人にもそういう事情があるのか。
作品名:A clematis 作家名:ミコト