A clematis
火積が体の力を抜いたことに気づき、新は火積の体から腕を離した。
途端に床に崩れ落ちる。
「わかってんだよ、んなことは…。でもよ、俺たちにできることは何もないってのか?…俺は、あの人にはすげぇ世話になった。問題起こして退部になりそうだった俺を、顧問や他の部員たちに批難されながらも、拾ってくれてよぉ…。地方大会にまで、連れてってくれた…。俺の、恩人なんだよ…!それなのに、俺は………最後まで、あの人がこんな目にあってる時でさえ…なんにもしてやれねぇってのかよぉ………!」
嗚咽混じりに、床を何度も叩きながら火積は語った。
そんな彼を見ながら、新も伊織も涙ぐむ。
「………何も、してあげられないなんてこと………ありませんよ!」
明るく声を張り上げたのは、新だった。
「オレ…。今、思い付いたんですけど。みんなで、八木沢部長にプレゼントしませんか?!」
「み、水嶋くん。プレゼント…って?」
「それは―――――」
「そうか…」
帰宅してから、八木沢は父に校内推薦の話をしていた。
「まあ…。結果は結果だ、仕方ない。それで、一般入試を受けることにしたのか?」
「…そう、だね。僕の努力が足りなかったんだ。…ごめん、父さん」
「………。なあ、雪広。お前は、大学に行って商学部で勉強したいと言ったな?」
「う、うん。それが…何か?」
「いや、お前が夏休みに横浜の方に行っていた時にな。母さんとも話していたんだが…。あっちの方が、いろんな学校がたくさんあるんじゃないか?」
「…えっ。それは、どういう…」
「もちろん、お前には店を継いでほしいと思ってるが、何もこっちにこだわって探さなくてもいいんだぞ。若者は都会に出たいものだろう?」
「父さん。ここにきて、いきなり進路を変えるつもりはないよ。今までも、別に受験勉強を怠っていたわけじゃない。一般入試で受かってみせるから、安心して」
「いやいや。そういうわけじゃなくてだな。なんというか、もっと広い視野を持ってほしいと…」
「父さん。僕を家から追い出したいのかい?」
「まさか。可愛い子には旅をさせろというだろう。父さんたちは、お前がどんな道を選んでも、決して反対はしないということだ」
「………」
そういうことだからな、と去っていく父の背中を見ながら、八木沢は考えていた。
将来、実家のために役立てるように、と商学部を選択した八木沢だったが。
果たして、それだけが役立てることなんだろうか。
もっと他にも、違う道があるんじゃないか。
「(大学………か)」
もしかしたら、あの進路指導の教師は、自分に嫌がらせをしたのではなく―――
彼にその気がなくても、新たな道を提示してくれたのではないか?
八木沢は部屋に戻り、パソコンを起動させた。
かなでは、香穂子に渡された楽譜を眺めながら、部室に向かっていた。
『一緒に練習する時間が取れないから、当日一発勝負なんだけど…。みんな上手だから、絶対大丈夫!』
八木沢の合格祝いのパーティーで、かなではヴァイオリンの演奏をすることになった。
香穂子も柚木も一緒に演奏してくれるとのことで、それだけで驚いたのに…
香穂子は他にも、楽器ができる人たちを呼んでくれるのだという。
「(香穂子さんの知り合いだもん…きっとみんな、上手な人ばっかりなんだろうな…)」
「………て、完全に………じゃねぇかよ!」
「まったくです!…の、…にもおけない!」
「………?」
部室の近くまでくると、響也とハルが激しく怒っているような声が聞こえた。
「そんなんじゃ八木沢が…!」
………?
八木沢?
何事かと部室に飛び込もうとしたかなでだったが、八木沢の名前が出たのを聞いて立ち止まる。
部室のドアに耳をつけて、彼らの話を盗み聞きする。
「…なんつーかさ。いろんな教師がいるもんだよな、ホント。普通あれだろ、生徒にいい大学行かせるのが教師の務めだろ」
「…本当ですよ。しかもわざと八木沢さんの校内推薦を阻んだ理由が、ライバル校の女子と交際しているからだとか…どこまでおとなげないんだか」
「(え…?)」
一体どういうことなのか。
かなではそのまま、彼らの話を聞くことにした。
「でも、校内推薦受けられなくても、一般で受けられるんだろ。あいつ頭良さそうだったし、大丈夫かもな」
「そうですけど…。本当に胸糞悪い話ですよ。一部の生徒にも嫌がらせまがいのことをされているらしいですし。ライバル校の女子と付き合うなんて、愛校心が足りない、とか言って」
「はあ?愛校心?ばっかじゃねーの。ただの嫉妬だろ、嫉妬」
「…あの新でさえ、本気で憤慨していましたからね。そうそう、響也先輩。この話、小日向先輩にはしないで下さいね」
「わーってるって。そんなん話したらあいつ、八木沢が校内推薦通らなかったのは自分のせいだー、なんて言い出すだろ」
「………小日向先輩は、優しい方ですから。そう思い込んでしまうでしょうね」
「………」
そんな。
八木沢が、校内推薦を通らなかった―――
それも、自分のせいで?
かなでは、部室の前から立ち去った。
一部の生徒から嫌がらせを―――
それだって、八木沢からは一度も聞いていない。
彼のブログは楽しくて、読んでいるだけで幸せな気持ちになれて、
もちろん、電話でだってひとことも。
「私の…せいで…」
寮に戻り、かなではパソコンを起動した。
ブログをチェックすると、記事が更新されている。
小日向さんに、報告しなければいけないことがあります。
実は、校内推薦に落ちてしまいました。
応援して下さったのに、力が及ばず…申し訳ありません。
11月に会うことはできなくなってしまいました。
でも、受験が終わり、落ち着いたらすぐにお知らせします。
楽しみにしていたのに…悔しいですが、
待っていて下されば幸いです。
詳しいことは、また電話した時にお話しますね。
「………」
八木沢が校内推薦を通らなかったという話は、本当だった。
…しかも、八木沢は「落ちた」と言っている。ハルたちの話では、進路指導の教師に嫌がらせ目的で…ということだったのに。
八木沢はきっと、かなでを気遣って「落ちた」と書いているのだろう…。
その人の進路を変えてしまうということは、その人の人生を変えてしまうのと一緒だ。
「私と付き合ってるせいで八木沢さんは…。私は、なんてことを…!」
まっさきに頭に浮かんだのは、「別れる」という言葉。
でも、今更別れたところで、八木沢が校内推薦を通るわけじゃない。
何より、別れたくなんかない。
それでは、一体どう詫びたらいいのか。
かなでは、八木沢のブログに対して、何も書き込むことができなかった―――。
「(………小日向さん、どうしたんだろう)」
かなでがブログを書く日になっても、ブログは更新されなかった。
今まで一度も欠かしたことがないのに、どうしてしまったんだろう。
校内推薦を通らなかったせいで、会う日が延びてしまったことに怒ってしまったのだろうか?
作品名:A clematis 作家名:ミコト