A clematis
今日は電話をする日だ。もしかしたら、体調を崩したとか、パソコンが壊れたなどの理由でブログが更新できないのかもしれない。
前者だったら、電話をしてもいいものか…。
「(とりあえず、メールで一度確認を取ってからにしよう)」
八木沢は、電話をしてもいいかどうかかなでにメールをした。
数分後、かなでから返信がきた。
「大丈夫です…私も話したいことがあるから…か。どうしたんだろう、どこか元気がないような…?」
しかし、電話はOKとのことなのだから、何があったのかは電話して聞けばいい。
八木沢はさっそくかなでに電話をかけた。
「もしもし、八木沢です。こんばんは」
『………こんばんは』
やはり元気がない。
「小日向さん、少し気になっていたんですが…。何かあったのでしょうか?元気がないように思います」
『………』
かなでは八木沢の事情を知ってから、ずっと落ち込んでいた。
いきなり「ごめんなさい」と書けるわけもなく、どうしたらいいのかわからないまま、ブログも更新しなかった。
八木沢に心配されてしまうかもしれない…そう思っているのに、罪悪感でいっぱいで、かける言葉が見つからなかったのだった。
『八木沢さん…。八木沢さんが校内推薦を通らなかったのは、私のせいなんですよね…?』
「え…?」
意外な言葉に、八木沢は驚いた。
『…小日向さん、なぜそんなことを…?』
校内推薦を通らなかった本当の理由は、至誠館の生徒すら知らない話のはずだ。
なのに、なぜ遠い地にいるかなでが知っているのか?
…いや、今はそんなことはどうでもいい。
かなではきっと、それを知って気に病み、元気がなかったのだろう。
かなでには、いつも笑っていてほしい。毎日会える距離ではないから、せめて毎日楽しく過ごしていてくれればいいと、それだけを願っていた八木沢にとって、自分のことでかなでに辛い思いをさせてしまっている事実を悲しんだ。
『生徒だけじゃなく…先生にまでそんな仕打ちをされているなんて、私全然知りませんでした。八木沢さんのブログも、週に一回の電話も、いつも楽しい話題ばっかりで…。八木沢さんが辛い目にあっているのに、私は………!』
「………校内推薦に通らなかったの理由は、あなたがおっしゃる通りです。けれど、僕は辛くなんてありませんでしたよ?」
『………えっ』
かなでは何もかも知っている。
ならば、このまま隠し通すより、本当のことを話してしまった方がいい―――
八木沢は続けた。
「ひょんなことから、星奏学院の生徒であるあなたと交際していることが周囲に知られてから、確かに僕に対して態度が悪くなった生徒はいます。けれど、僕にとってはそんなことより、毎日会うことができない距離にいたとしても、あなたと心を通わせられていることが嬉しくて…。彼らには申し訳ないですが、正直、どうでもよかったんです」
『ど…どうでも…?』
「彼らに辛く当たられたとしても、あなたとの仲が崩壊してしまうわけではありませんから。…だから、ブログでも電話でも、あなたに相談しなかったんです」
『で、でも。先生の件は…』
「はは、あれはさすがに驚きましたけれどね。まさか、先生にあんなことをされてしまうとは。…でも、今となっては感謝しているんです」
『か、感謝?!』
八木沢が嘘をついていないことは、彼の落ち着いた語り口から理解できた。
「はい、実は。…進学する学校を、変えるつもりでいるんです」
『えっ?!校内推薦で入ろうとしてた大学じゃなくて…ってこと、ですか…?』
「はい。最初は一般入試で受け直すつもりだったのですが、校内推薦を通らなかったことを父に話した後、今一度よく考えてみたんです」
僕は、一年の頃から進学する大学を決めていました。
実家の和菓子屋を継ぎたいという気持ちは既にありましたから、経営学について学べ、更にトランペットも続けられる大学…一番、僕にとって条件がよかった。
校内推薦が通り、大学の推薦試験に受かれば、なんの疑問も持たずに進学していたでしょう。
しかし、父と話して…。
経営学を学ぶことが、本当に店のためになるのかと、ちょっとした疑問を持ちました。
父は、この地にとどまらずとも、いろんな世界を知ってもいいのではないかと言ってくれました。
…僕は、祖父や父から受け継いだ製菓の方法を、もうほとんど習得したつもりでいます。
伝統の味を受け継ぎ守ることは、もちろん大切なことです。ですが、祖父の代、父の代で新たに作り上げられたものは、確かに存在するのです。
だから、僕も―――
僕の代で、新しい何かを取り入れ、作り出すことが必要なのではないかと。
それは、経営方法を学ぶより、もっと大切なことなのではないかと―――
そう語って、八木沢は一旦言葉を切った。
『え…。じゃ、じゃあ』
「はい。…インターネットで探して、僕の理想の学校を見つけてしまって。…東京にある、製菓の専門学校です」
『………!東京…?!』
「洋菓子専門の学校はいくつもあるんですが、和菓子を学べる学校はあまりなくて…。東京に、一校だけ見つけたんです。試験は書類専攻ですが、既に菓子の製作を身につけている者は、実技試験があって…。通過すれば、学費免除などの特待制度が受けられると」
『じゃあ、八木沢さんはそこに…?』
「ええ。ですが、一度見学に行かなければいけないと思って。説明会は、…11月の中頃なんです」
11月。
それを聞いて、かなでははっとした。
八木沢も、含みのある言い方をしたということは、きっと。
「…校内推薦を何事もなく通過してしまったら、こんなふうに考える機会はありませんでした。この時期になって進学先を変えるなど…と迷いましたが、両親が背中を押してくれまして…」
『や…八木沢さんなら、絶対特待制度で合格するじゃないですか!』
「いえ、まだわかりません。でも、受ける方向では考えていますよ」
かなでは、胸を撫で下ろした。
自分のせいで、八木沢の未来を経ってしまったと思い込んでいたのに…
彼はしっかりと、新たな道を探していた―――
『わ、私…。私のせいで、八木沢さんには辛い思いばかりさせてしまったんだってずっと考えてて…。だから、…だから、すごく…安心しました…』
緊張の糸が切れたのか、かなでは電話越しに泣きじゃくっている。
「泣かないで下さい、小日向さん。僕の方こそ、あなたにちゃんとお話をしなかったせいで心配をかけてしまって…ごめんなさい」
『八木沢さんは悪くありません!私こそ…』
「いいえ、僕の方こそ…」
言い合って、どちらともなく吹き出した。
電話越しにかなでの笑う声を聞いて、八木沢は安堵する。
「小日向さん、11月…東京に向かった時、よろしければお会いしましょう。もちろん、その後はまた試験の対策で忙しくはなってしまいますが…。その前に、是非一度」
『も、もちろんです!何日になりますか?!』
かなでは慌ててスケジュール帳を開いた。
「日付は―――」
作品名:A clematis 作家名:ミコト