連理
瞬間、家康ははっきりと表情を変えた。覚えのない話と、自分にかけられた信じ難い疑いに愕然として思わず声をあげる。
「四国、を?ワシがか……!?」
仇と信じた相手のあまりに自然な驚愕が逆に疑わしく、鬼は怒りの矛先を求めて一気に形相を変えた。
「家康、てめえ、とぼけてんじゃねえだろうなあ……ッ!焼け跡に、徳川軍旗が、」
元親の脳裏を支配したのはあの光景だ。
辿り着いた懐かしい場所は無残に焼き払われ、彼が守るべき者は傷つき倒れ、啜り泣きと叫び声が支配する煤色に染まったその地で、唯一の色を放っていたあの禍々しい黄金。
「――――お前の掲げる旗が落ちてたんだ!」
叫ぶように糾弾しながら、鬼が今度こそ碇槍を振るいきった。家康は咄嗟にそれを避けながら、あえて距離はとらずに真正面から元親と向き合った。その視線の先で、腕が震えるほどきつく槍を握りしめた元親は、それでも第二撃には移らずに必死に理性を掻き集めていた。憎しみがどれほど人を追い詰め他の思考を奪っていくか、元親はすでに知っている。あの、他の何にも眼を向けようとしない銀色の姿がちらついて、元親はぎりぎりの淵で憎悪に呑まれるのを堪えた。
会って、その眼で確かめろ。
女の涼しい声までもを思い出し、それでも抱えた憎悪は消えはせず、知らずに唸った元親は槍を振るう代わりに牙を剥いて吠えた。
「答えやがれ家康!!お前は……ッ俺との誓いを裏切ったのか!国に残した部下は全滅した……!お前の仕業なら家康、俺は、お前を許さねえ……!」
その姿が、かつて眼にしたものを思い起こさせて家康を慄然とさせた。同じ色をした憎しみの燃え盛る様を、家康は一度目の当たりにしている。
雑賀の里で視線を交わしたあの時に、家康を抉り貫いていったあの男の眼と同じ―――それを、他ならぬ元親が自分に向けていた。
「違う!」
首を振り、叫び返した声は上擦って掠れていた。鬼はその声音に眼を見開いて驚きを露わにする。かつて、あの幼い姿をした頃にすら、この男はそんなものを簡単に曝け出しはしなかった。
家康はそれを恥じたように一度眼を瞑る。その双眸が再び開かれた時にはすでに動揺は削ぎ落され、真剣な色だけが元親に向けられた。そして家康はもう一度同じ言葉を、はっきりと繰り返した。
「違う。元親、それはワシの指示ではない。ワシはお前を裏切りはしない、お前から何かを奪ったりはしない…!」
家康が裏切ったのは違う男だ。家康が奪ったものは違う男が一心に追った、背だ。
元親。
その眼をワシに向けるのは、お前ではない違う男であるはずなんだ。
「……ワシは」
家康は真っ直ぐに元親を見据える。
「これ以上誰も何も奪われないために、戦っている」
鬼もまた、その眼に偽りがないかと見つめ返す。
「泰平の世を作る。今も昔も、それがワシの目指すものだ、……元親」
「……本当か」
静かに宣言した男へ、鬼はことさら低い声で問い掛ける。
「お前の名誉に誓えるか……?」
「ワシの名誉などどうでもいい」
家康は何も迷わずに即答した。
「友のお前に誓って、本当だ」
こうして対峙してもなお、微塵も揺らがずに己を友と呼ぶ男を見つめ。
ふ、と。
突然に、元親の腹の底で喚いていた濁りきった塊が、溶けた。
――なァ、本当はわかってたんじゃねえのか。こんな無駄な問答しなくてもよ。
一気に靄が晴れていくような頭の隅で、元親は知らぬうちについ先程までの自分へ問う。
会った瞬間のあの顔を、どうしたら疑えるというのか。変わらない、そう思ったあれこそが真実だと、最初からわかってたんじゃねえのか。
「そう、だったな……」
自然と滲み出る笑みを零しながら、元親は噛み締めるように言った。
「お前はそういう奴だった……」