A cat may look at a king
元親は、なんとなく手にしたままだった小さな包みをその手に置いてみた。が、政宗はそれをポイと放り投げた。
「あ、コラ!」
「それじゃねぇ!ンなの欲しかねぇよ……あンだろ、寄越せよ」
再び出される掌。元親はそれをじっと見遣り、次いで眦の赤らんだ政宗の眼に視線を移す。
「………無ぇよ、ンなもん」
恐らく、彼の求めているものを元親は用意していない。どころか、まさか欲しがられるとは露ほども思っていなかったのだ。
「寧ろ、テメェが寄越すんじゃねーのかよ?」
ニィ、と、奔放に跳ねる髪から見え隠れする生意気な眼を見下ろし、挑発するように口の端を持ち上げてみせると、
「Don’t be silly!(ふざけんなっ)」
政宗は途端に頬に朱をのぼらせたかと思うと、ぱっと背を向けてしまう。頻りに「shit!」と繰り返しているその耳が赤いのを、元親は見逃さなかった。
元親は残っていたモノを適当に冷蔵庫に放り込み、我侭な押し掛け同居志願者の背を追った。
「待てよ、おい伊達」
ダイニングのチェアに引っ掛けていたコートを乱暴に掴んでいた政宗の腕を、元親が掬い上げた。が、政宗はその手を振り払う。すっかり機嫌を損ねてしまったらしい。何時もならそのまま放っておくのだが、今日は珍しく悪戯心がむくりと頭を擡げてきて。
「……政宗、」
やや声を低くして、呼ぶ。
気に入りの飴色の鞄に添うように置かれた紙袋を今にも蹴り飛ばしそうな気配を醸した政宗の肩が、僅かに反応する。項垂れてじっと足元を見詰めたままの政宗の、男にしては白い首に目が奪われる。だから、
「………ンのかよ、」
政宗がボソリと呟いた言葉を拾えなかった。育ってきた環境からか彼の本質ゆえか、政宗は誰に対しても怯まない物言いをする。その彼が、至極弱々しく消え入るように零した。
「え?悪ぃ、よく聞こえなかった、」
もう1回、と促すと、政宗は勢いよく顔をあげた。
「Damn it!俺がっ!他の誰かからのチョコなんか貰って喜ぶと思ってんのかよっ」
怒鳴りつけ、元親の胸倉に掴みかかる。が、元親の方が頭ひとつ高い為、どうしても政宗は見上げる格好になる。
切れ長の眸に細い顎のライン、仕立てのいいシャツを嫌味なまでに着こなしている彼が、決して華奢という訳ではない。しかし相手が社内でも体格のいい部類にはいる元親なのがいけない。
静かに見下ろしてくる眸が、無性に癇に障る。
「You really make me angry!(ムカつくんだよ!)」
「俺ァ英語は得意じゃねぇって、何時も言ってんだろ…」
元親は慌てるでもなく「なぁ政宗、」と宥めるように言い置くと、
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ。じゃぁオマエは俺が他のヤツから貰ったもんで満足すると思ったのか?」
含みのある言葉をおとす。
さてどう反論してくるか、と半ば面白がっていた元親だったが、その思いとは裏腹に政宗は口を噤んでしまった。
気位の高い猫のような眸が無遠慮に見上げてくる。負けん気の強いその眼を、元親は好ましいと思う。時として殴ってやろうかと思う事も(しばしば)あるにはあるが。
「どうなんだよ?」
挑発するように微笑を口の端に浮かべて質してやると、政宗は掴んでいた元親のネクタイから手を離した。そして、手にしたままだったコートとジャケットを床に叩きつけ、ドカドカと苛立ちを隠しもせず足音を立てながらキッチンに戻る。力任せに冷蔵庫を開けると、扉のポケットに入っていた買い置きのクランチチョコを1つ取り出し、無造作に口に含んだ。何をするのかと見ていると、政宗はそのまま踵を返して目前に戻るや、再び乱暴に元親の胸倉を掴み取って、グイと引き寄せた。僅か低い位置に引っ張られ、元親が背を丸める、そこに───
薄い整った唇が、元親のそれに噛み付くように重ねられた。
甘いチョコレートと僅かなアルコールの香りが唇越しに伝わる。
「これで、いいンだろ」
ぱっと顔を離し仄かに色付いた唇を手の甲で押さえ、政宗は吐き捨てるように言った。
眉間に皺を寄せ険しい眼差しを向けてくるその顔とは裏腹に、白い首筋が薄く色付いていて。
「それで仕舞いか?」
言って、元親は口元を隠す政宗の腕を掴み取った。
「え、」
直ぐに反応できなかった政宗の、僅かに開かれた唇を貪るように奪う。そのまま舌を差し入れて、口腔内に残るチョコレートの残滓を舐め取った。と同時に、戸惑う政宗のそれを追って、絡め取る。
「…っ、ん」
思ってもいない攻め立てに、政宗は思わず自由になる片手で元親の背を叩いた。しかし口惜しい程にがっしりとした元親の背はビクリともせず、それどころか腰に回された腕が引き寄せられ、逞しい体躯にピタリと寄り添うような状態になってしまった。
「っち、か!……ふ、っン」
息苦しさに生理的な涙が眦に浮かぶ。抗議の意を込めて叩き付けていた拳は、何時の間にか元親のシャツを握り締めていた。じわじわと、しかし確実に侵食してくる甘い痺れに翻弄される。
元親はチラリと間近にある端整な顔を見遣った。きつく閉じられたひとつきりの眸にかかる睫毛が、涙をふくんで揺れている。意外に長いなァ、などと関係ない事が頭を過ぎる。
ややして、漸く元親は政宗を解放してやった。と言っても、掴んだ腕も引き寄せた腰もそのままだが。
「テ…メッ、」
どちらのものともつかない唾液で艶やかに濡れた唇が悪態を吐くのも、情欲を誘う。
「………仕方ねぇな、」
嘆息交じりに言って元親が俯くと、それに合わせて胡粉色の髪がバサリと揺れた。次にゆるりと持ち上げられた元親の面貌は、政宗をして息を呑む程に雄偉で。じっと見詰めてくる右の眼が亡羊とする政宗の左の眼を捉える。
「……ちか?」
剛愎で高圧的な彼しか知らない者に見せてやりたいと思う程に、政宗は悄然としていた。何時もなら周囲に気を張って寸分の隙も見せない政宗が、今は元親が軽く足払いしただけで簡単に姿勢を崩してしまう程に無防備だった。
ガタン、とダイニングチェアが大きな音をたてる。
「っ、い…った」
不意に急転した視界が天井を捕らえるも、低い位置に叩き付けられると思っていた背は、存外に早く何かに着地した。とは言え、強か打ち付けたのは確かで、上体を仰け反らせた政宗に覆い被さってくる男に非難の眼差しを向けた。
ギシ、と突然の荷重に苦情を募るようにダイニングテーブルが軋む。
「いい眼だな、」
「笑えねぇjokeだぜ、チカ」
鼻先が触れ合う位置で、互いに目を逸らす事もせず。皮肉げに歪められた薄く弧を描く唇に、引き寄せられるように元親は自身のそれを重ねた。
はじめは啄ばむように、しかし重ねるごとに互いの熱を奪うように深く激しく。角度をかえ何度も味わう。
「ぅ……ん、」
浅い息がやがて甘い響きを含ませて政宗の唇から零れ落ちる。縋っているのか抵抗しているのか、曖昧に元親の胸を押し遣る腕を掴み、政宗の頭の上でテーブルに縫い止めていたもう片方の手と合わせて拘束する。
散々味わったあと元親はちゅく、と態と音をたてて唇を離した。その濡れた音と、細く繋がる銀の糸が政宗の羞恥を煽る。
作品名:A cat may look at a king 作家名:久我直樹