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てのひら、ひとひら

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銀時は、雪に染まった通りをゆっくりと歩きながら、片手を宙へと差し伸べ、落ちてきた雪の欠片を掌で受け止めた。
あの戦いで多くの物を喪い、そして数え切れない程の命を取り零して、すっかり空っぽになったと思っていたこの手。
けれど、今は掌の上、雪がふわりと柔らかく収まっていて。
じんわりと銀時の体温に溶けて行く雪片は、小さな水滴へと姿を変えはしても、この掌から消える事なく残っている。
受け止めた掌の上、後から後から止む事のない雪の欠片が舞い落ちて来ては、小さな小さな花を銀時の手の中に咲かせる。そしてゆっくりとその肌に馴染み、まるで内側へと染み込むように溶けて行くのだ。
潤い、満ちる。そんな感覚。

「―――悪かぁ、ねぇな。うん」

何が、とは明確に心の裡でも呟く事はなかった。
それは自分らしくないと言う微かな照れのような物で。そして同時に、未だ何処か曖昧な輪郭を伴った侭、はっきりと言葉にして呼ぶ事の出来ない感情だからだ。
例えば、初めて作ったのだと得意げに、銀時の眠る万年床の枕元まで、小さな雪兎を霜焼け一歩手前の真っ赤な手に乗せて見せに来た神楽。
例えば、凍った路面にスクーターのタイヤを取られスリップ事故を起こした翌日、何も言わずに真新しいチェーンをデスクの上に置いて行った新八。
例えば、突然の雪に店まで傘を持ってきてと呼び出された帰り道、見ている方が寒いから貸すわと、どう見ても新品の男物の手袋を差し出して来た妙。
見上げる空から落ちて来る雪の白に、そんな出来事の一つ一つが重なって見える。
そう言えば行き倒れ寸前の銀時に、亭主の墓のお供え物と、そして塒を与えてくれたお登勢と出逢ったのも、確か雪の日だったか。

気付けば、人の姿のない通りの真ん中で足を止め、飽きる事なく雪を見上げていた。
宙へと伸べた片手の掌に雪を受け止めた侭。
そして、白に塗り込められた景色の向こう、不意に黒が鮮やかに浮かぶ。
銀時は視界に染み込むその黒に気付くと、静かに双眸を細めた。民家の板塀に沿って真っ直ぐに伸びる通りの先、現れたその黒い影。
まるで差し伸べた手の上に、気付かぬうち、そっと乗せていたかに見えるのは、互いの距離のせい。今は立ち止まっている銀時に代わり、雪を踏む音がやがて近付いて来る。
ひらりと翻るのは、この寒さに珍しく纏ったのだろう、黒地の羽織の袖。番傘の縁から薄く棚引かせているのは、寒さに凍てつく白い息のみではなく、きっとあれはその口許に何時も収まっている煙草から上がる紫煙。
目つきのきつい、切れ長の綺麗な深い色をした眸が、驚きに微かに見開かれたのを見て取ると、銀時は知らず口許を綻ばせていた。
そう、この手の中には消えない物がある。
いつの間にか染み通り、潤し、そして満たして行く。

「……よぉ。奇遇じゃね?」
「……………」

何時もと同じく、軽い調子で声を掛ける。
雪景色の中から現れたのは、真撰組の鬼の副長、土方十四郎その人だ。
私服の出で立ちを見る限り、どうやら土方は今日は非番の様子だった。銀時が万事屋を営むかぶき町からは離れたこの場所、しかも雪の降る中、偶然にしても何故、此処にと、その表情からありありと読み取る事が出来た。
翳した掌の先、ちょっとした視覚の魔術で手乗り土方を楽しんでいた銀時だったが、その手を下ろすと立ち止まってしまった土方へと歩み寄る。
きゅ、きゅ、と雪を踏みならす足音が一人分。
大股の十歩目で止まった時には、銀時と土方との距離はもう1mも離れていない。

「何。そっちも雪見の散歩かよ、多串くん」
「……だから。多串じゃねぇって何遍言や解るんだ、この糞天パ」

突然の邂逅に驚き、見開かれていた土方の眸が、途端に不機嫌そうに眇められる。間髪入れず帰ってくる憎まれ口も常と変わらず、嗚呼、この子ってば相変わらずだねぇ、と銀時は口中で一人ごちた。口許に浮かぶ笑みは消える事なく、寧ろより楽しげに弧を描く。

「おいおい、ご挨拶だなぁ。偶然会えて嬉しい、『トシちゃん感激!』くれぇ言っても罰当たらねーんじゃね?」
「誰が言うかぁああああ!!て言うかテメーにトシとか呼ばれたくないんですけどっ!ついでに言うなら、そのネタ古すぎんだっつの!」
「あれ、意外。天下の真撰組副長さんが『マカロニほうれん荘』ネタが解るとは……」

今度は銀時が驚く番だった。
局長である近藤や一番隊隊長の沖田ならばまだしも、とても漫画の類とは縁がなさそうに見える土方だと言うのに、さらりとネタ元を当てて来るとは。
意外そうにしげしげとその顔を眺めれば、一瞬言葉に詰まった土方の、その目許に赤みが浮かぶ。

「……っ、俺じゃねーよ、近藤さんが最近嵌ってんだよ」

銀時の視線に耐えられなくなったのか、睨むように向けられていた眼差しが、ふいと逸れた。
その口調は言い訳じみては聞こえなかったが、それでも嵌っているのが何も近藤一人ではない事も言外に伝えてくるようだった。大方、近藤から最初は無理矢理にでも勧められたものが、渋々と一緒に読んでいるうちに一緒に嵌ってしまったと言った処だろう。

(……素直じゃないねぇ、本当にこの子は)

銀時は口にこそ出さなかったが、込み上げてくる笑いを殺しきれず肩先を小さく震わせた。
それに気付いたか土方の剣呑な眼差しが、ギッと音さえも聞こえそうな勢いで銀時へと向けられる。そんな一連の仕草は、妙に子供じみていて可愛いとさえ感じられるのだから、銀時も始末に負えない。
所謂、惚れた弱みと言う奴なので。

「……おいコラ、何笑ってんだよ放っとけよ。俺の方こそ驚きだな、テメーがジャンプ以外のネタを持って来んのはよ」
「ちょっとは銀さんの事、見直したか?知的好奇心旺盛なんだよ。俺の守備範囲はジャンプだけに留まらねぇの。読書家なの。サンデーもマガジンもチャンピオンもガンガンもモーニングもアフタヌーンもコミックバンチも、果ては少女漫画まで網羅してんの。漫画を愛する少年の心を失わずにいんの。あ、少コミに関してはエロ本代わりに使えるかも。でも心の底から一番愛してるのはジャンプだな。それ以外は立ち読みだから」
「……それ読書って言わねぇ。謝れ、全国の読書家の皆さんに謝れ。本屋にも土下座して謝れこの貧乏人……って、何してんだおいコラ」

つらりつらりと言葉を並べながら、銀時は差していた番傘を閉じて雪に突き刺すと、もう二歩、雪を踏んだ。
するりと入り込んだのは土方が差す傘の下。
殆ど同じ背丈のせいで、至近距離に目線がかちりと合う。互いの間の距離はもう、30cmもない。
まくし立てていた罵詈雑言を途切れさせ、慌てて土方が身を引こうとするのに気付くと、傘の柄を握るその腕を銀時はひょいと掴んだ。

「おい、馬鹿、あぶね……っ!」

咄嗟に土方はもう片方の手の指先に挟んだ侭だった火の着いた煙草を、懐にまで入ってきた銀時から遠ざけようとした。丁度その動きは、銀時を胸元へと迎え入れるような抱き留めようとするような、そんな動きにも似て、無防備に広がった土方の胸元まで、もう一歩、銀時は踏み込む。
穂先で赤く揺れていた火種が落ちたのだろう。足下では微かに、じゅ、と雪が解け溶ける音が聞こえた。
残る距離は、あと10cm。
作品名:てのひら、ひとひら 作家名:琴尾はこ