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いつか愛になる日まで

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「任務から遠のいて10ヶ月ほどした頃、火影様に呼ばれました。行かないことがわかっていたのか、迎えまでよこされましてね、行くしかありませんでした。退職届も機密事項を漏洩しないという誓約書もすでに提出していましたし、何より忍という人種に会いたくなかった。忍の世界が心底嫌でした。一般人になって、普通に暮らしてみたかったんです」
 壊れかけた精神をようやく修復して里に戻って数ヶ月。体は良くなっても、気持ちは離れていたんだろう。
「帽子を目深にかぶって、マスクをして、およそイメージの違う服を着て出かけました。髪が伸びていましたから、この右目の眼帯もはずしました。下を向いていれば大丈夫だと思いましたが、念のため療養中に渡されていた色のついたコンタクトレンズをはめました」
 術を使うにはいちいち取り外さないといけないので普段は使えないんですけどね、とサバサバ言うのは一生その眼と付き合っていく覚悟があるからか。
「その日はとてもいい天気で、学校につくと子供たちが元気に走り回っていました。普段から私は姿を見せない人間でしたので、子供たちもどこかのおじさんが来たくらいにしか思わなかったでしょうね。こんにちは、と多くの子供に声をかけられましたよ」
 まだおじさんというようなお年でもなかったでしょう、とイルカは言ったが、子供から見れば20代は立派なおじさんなんだろうかとも思う。カカシは微笑んで続けた。
「火影様の部屋のドアを開けたとき、書類をたくさんかかえた人が勢いよく怒っていました。火影様が言われっぱなしだったのも全面降伏していたのも新鮮でした。私がいることに気づいたその人は気まずそうに慌てて出て行きました。それがあなたです、イルカ先生」
「え?」
「私はあなたを知っていました。子供たちと一緒にいるところを何度も見ていたからです。陽のあるうちにたまに正門から帰ると、授業中のあなたが良く見えました。子供たちがかわいくて仕方ないことが伝わってきて、怒っていても楽しそうでした。私はそれを見るのが好きで、夜中に帰れるところを翌日の昼間にしたこともあります」
 カカシは懐から額宛を取り出して、はめた。そろそろ時間切れなんだろうか。
「火影様の話は復帰しないかという打診でした。復帰も何も忍は辞めたはずだと抗議しましたが、退職届は受理されていませんでした。経緯は端折りますが、結局押し切られて暗部に復帰した私はゆっくり休んだことが良かったのか以後足が動かなくなることはありませんでした。それでも2年が限界で、上忍師の打診に飛びつきました。その頃には子供の声はうるさいものではなく、守らなくてはならないものになっていましたし」
 いつものようににっこりとカカシが笑った。
「初めて子供たちに会ったときはなんて小さくて弱いんだろうと思いました。なんかびっくりしたんです。殺伐とした日々の中、顔をあわせるのも殺伐とした人間ばかりでしたから。そして一番驚いたのが子供たちをひきあわせてくれた担当教師でした」
「私ですね」
 ええ、とカカシは静かに頷いた。
「ああ、時々目にした人だと思いました。私はあなたの顔を知っていましたが、名前は知らなかったんです。むしろ知るのを恐れていました。知ってしまえばそれだけじゃすまなくなるとわかっていたんです。私は知りたがりですからね、どんな人だろう、何を教えているんだろうと際限なく知りたくなってしまいます。だから、見てるだけにとどめていました。暗部じゃなかったら、ストーカーになっていたかもしれないですね」
 そう言って笑うカカシを不思議な思いでイルカは見つめた。
「引継ぎのときも名前はなるべく聞き流すようにしました。でもまったく知らなかった以前と違うのは当たり前ですよね。時々、イルカさんの名前を口にしました。イルカさんは私の憧れだったんです」
「えっ?」
「素直で、まっすぐで、正義感にあふれていて。子供に真正面からぶつかっているのが眩しかった。笑ったり、怒ったり、感情豊かで自然体でした。私は感情を殺すことを常としていましたから。動揺しないこと、冷静でいること、それが鉄則でした。そうしないと殺されるからです。死んでも仕方ないという気持ちはありましたが、死にたいとは思っていませんでしたので出来る限りの防衛術は身につけました。私の体は敵国に渡ると解剖され、木の葉に災難を引き起こす、やっかいな代物ですしね」
 ひょいっと眉をあげてカカシは軽く言ったが、イルカはなんだか痛ましく感じた。カカシは指先だけが出る手袋をはめ、手にしていたショート丈の黒いマントを羽織った。時間が迫っている。
「私はあなたとはなるべく親しくしないようにしました。上忍師になったとはいえ、暗部絡みの任務を受けることがあったからです。感情の幅を広げることは危険でした。でもあの日、受付に足を向けたのはアスマのたばこの煙が嫌だったことも確かですが、それを理由に自分が受付に行くことを許す大義名分にしたんです。あなたはいないだろうと思いつつ、いたらいいなと期待していました。あなたと関わることを避けながら関わりたかった。だから、扉をあけてあなたが座っているのを見たとき困ってしまったけど嬉しかった」
 この人の何を見てきたんだろうとイルカは思った。調子が良くて、おかしなことを口走り、胸の内だったが馬鹿だと罵った。大迷惑だと、うっとうしいと思ったのはこの人の言動に惑わされて、何も内面を見ていなかったからだ。頭から決めつけて見ようともしていなかった。
「ああ、長く話し過ぎました。あなたも体が冷え切ったことでしょう。風邪をひかないようにしてください。もう行かなくては」
 口布を引き上げたカカシに慌ててイルカは言った。
「すみません、ひとつだけ教えてください」
「はい」
「受付にいらっしゃったときには私の名前をご存知だったのに、どうして知らないふりをしたんですか?」
 カカシは片目だけで微笑んだ。この人は本当は穏やかな人なんだと思う。
「受付であなたを見たとき、もういいじゃないかと思いました。この人と関わって、感情が揺れたとしてもいいじゃないかって。なんていうか、覚悟ができたんです。今思えば私も変わりたかったんでしょうね。だからこそ聞き流していたあなたの名前をもう一度あなたの口から聞きたかった。聞いて、心に刻み付けて、そこから始めたかったんです」
 そして申し訳なさそうにだが、急いた口調で言った。
「すみません。本当にリミットです。帰ったら、またお話しましょう」
「こちらこそお引止めしてすみません。お気をつけて」
「ありがとうございます。温かくして休んでください。来週の金曜日の夜、うかがいます」
 待っていてくださいね、といつものように軽く言ってカカシは闇の中に消えていった。
 イルカは人の気配のない静かな闇をしばらく見つめてドアを閉めた。週末は雪が降ると天気予報で言っていた。あの人の身体が凍えなければいいけれど。
 名湯とそこまで有名ではないが疲労に効きそうな温泉宿を予約した。静かに過ごせることを一番に優先した結果だった。
 カカシのいない生活はいつもより平和で、静かで、淡々と過ぎる。何か隣がスースーするような気もして寂しかった。
作品名:いつか愛になる日まで 作家名:かける