いつか愛になる日まで
金曜日。まともな食事もとれないようなことを言っていた疲れた体に激辛料理は胃に負担がかかると気づき、口当たり柔らかな豆乳鍋にした。ガッカリするかなと思いつつ、変更する気はなかった。
たぶん遅くなるだろうと思い、風呂を使った。カカシさんが入るときにもう一度入れればいいだろう。テレビを見ながら、みかんを食べた。気づくと布巾でペンギンを作っていた。おかしくて、一人で笑った。
待てど暮らせどカカシさんは帰ってこない。午前1時を過ぎたとき、こたつにもぐりこんで少しだけ寝ることにした。
目が覚めたとき、時計の針は6時を過ぎていた。一晩中つけていたストーブとこたつのおかげで寒くはなかったが、空気が乾燥していて喉が少し痛かった。こたつの上に置いた鍋も伏せた茶碗も箸置きもくずれたペンギンも何も変わったところはなく、誰も来なかったことは明らかだった。
昼まで待って、温泉宿にキャンセルの電話を入れた。キャンセル料は100%になると言われたがそんなことはどうでも良かった。
心配はしていない。予定が狂うことは多々あるし、何より優秀すぎる隊長とその部下たちを信頼していた。それでも夜になると時計の針の音が耳につき、少しずつ落ち着かなくなるのが自分でもわかる。
そういえば今までカカシが勝手に口にしていった帰里予定は正確だった。『待っていてくださいね〜』という軽く緊張感のかけらもない口調に反して、その言葉が裏切られることはなかった。
早々にベッドに入る。何をしていていいかわからなかったので寝てしまおうと考えた。何度も寝返りを打って、ようやくうとうとした頃、軽く体を揺すられて目が覚める。
「火影様がお呼びです」
薄暗い部屋の中で黒い影がそう言った。
押しのけていた嫌な予感が体中をひたひたと侵す。夜も明けていないこんな時間に呼び出すくらいだ。火影の言葉を聞かなくてもいいことではないことくらいわかる。
案の定、火影は言った。
「死んではいない」
誰が、とは聞かなかった。微妙な言い方だ。死んではいない。ではどうなっている?
机の上にオレンジ色の包みがあった。
じっと見つめていると火影が言った。
「お前に返すように言ったそうだ。伝言つきでな」
のろのろと火影に目をやった。あの人に限ってという思いと人騒がせなという思いが心の中でせめぎあっていたが、人騒がせなという思いは暗い予感を振り払うためだけに無理に思い込んでいるようなものだった。視線ひとつ動かすだけでも体が重くてままならないほど衝撃をうけているくせに、どこか現実味は遠い。
「ちょっと遅れます」
「え・・・」
「伝言だ」
それだけか。
でも何もないよりいいな。何より帰る気が伝わってくるのがいい。
「わかりました」
でもね、カカシさん。豆乳鍋は日持ちがしないんですよ。
「わかりました・・・ってお前」
早く帰ってきてくれなきゃ、捨てなきゃいけなくなります。もったいないでしょ? 俺は食べ物を粗末にするのは嫌いです。
イルカはそれ、とオレンジ色の包みを指さした。
「いただいて帰ってもいいですか」
「あ、あぁ」
自分でも驚くくらい冷静な声が出た。もしかしたら今までで一番落ち着いた声かもしれない。実際火影もアンコも驚いているようだ。
俺が取り乱して、騒ぎたてるとでも? 誰のために?
不思議に心は凪いでいる。最初の不安はどこか煙のように消えていた。
カカシさんが「ちょっと遅れます」って言うならその通りで、俺はちょっとだけ待てばいいんだろう。あの人は嘘をつかないから。
その間にタッパーを洗って、風呂掃除をして、部屋を片付ける。疲れと寒さで凍えている体がほぐれるように温かな部屋と温かな食事を用意しよう。ああ、みかんも買って。帰ってきたら特別に1個だけ皮をむいてあげます。
やることはたくさんある。
オレンジの包みを手にしたときギクリとした。先ほどまでは目に見えていなかった部分が赤黒く染まっていた。
目を見張って動けなくなったイルカに火影は嘆息した。
「それは包みを運んできたヤツのものさ。体中、傷だらけ、血だらけだった。よくここまで帰ってこれたもんだよ」
ホッと肩を落としたイルカに火影はソファを指して、ちょっとそこにお座りと言い、アンコにお茶を入れるよう頼んだ。
「今回のカカシの任務はお前が半年前に見つけたハクノイトで死んだ中忍に関係あるのさ」
「火影様」
アンコが驚いたように声をあげたが、火影は手を振ってそれを制した。アンコは任務内容を口にしたことを咎めたのだろう。
「ハクノイトで死んだ者がいるなら、それをどこから手に入れたんだろうと思ってな、特別上忍クラスの数人に内密に調べさせていた。あの中忍は調子が悪いと所属部隊を抜けていたし、抜ける前も時々ミスをして同僚にフォローされていたそうだから、薬を手に入れられる状態じゃなかった。それなのに家にはまだ十分すぎるほどの薬があっただろう? 結果、売人を手引きしている者がいることがわかってな、ひっとらえに行ったがもぬけの空だ。その上、薬にやられた里の者が見つかった。廃人同様から軽いのまで何十人もいる」
薬はどれもそうだが、ハクノイトの常習性は際立っている。軽い気持ちで手を出す愚か者を決して離さない。あっという間に中毒者に仕立て上げる。
「最初はあの死んだ中忍が売人と連絡をとっていたらしいが、自分が薬に溺れて使い物にならなくなった。売人は他に連絡を取れる者を探してまた密売ルートを確保したわけだ。お荷物になった中忍は薬で始末してな。先月、白の国の問題の村が全滅しただろう? 当分の間は木の葉にも問題はないと思っていたが、そう甘くもなかったな。1ヶ月もしないうちに大ダメージだ」
まったくやってくれる、と忌々しげに火影は顔をしかめた。まるで村が全滅したことは木の葉とは関係ないかのように話した火影にイルカは尋ねた。
「あの村が全滅したことに木の葉は関係あるのですか?」
「さぁな。いくらなんでもそこのところを私が答えるわけにはいかない」
これでは限りなく『ある』と答えているようなものだが、立場上は知らぬ、存ぜぬを通すしかないのだろう。認めてしまったら白の国は黙っていない。
「今回のヤツの任務は木の葉へのハクノイト密売ルートを根絶することだ。ついでに売人と裏切り者を始末して来いと言ってある」
「捕まえるのではなく?」
「取り逃がすわけにはいかないからな」
裏切った者がどれほどの階級かイルカにはわからないが、他国に木の葉の内情を明らかにするわけにはいかないということはわかる。特に里長が交代して数ヶ月の落ち着かない現状を省みれば裏切り者を始末する判断は間違っていないだろう。泳がせておく余裕はない。
「そもそも売人も裏切った奴も今の時点で死んでるはずだった。二人とも忍だったがたいした忍じゃない。だから始末することは難しいことではないはずだったんだ」
ため息とともにソファにもたれかかった火影は3人死んだよ、と言った。
作品名:いつか愛になる日まで 作家名:かける