いつか愛になる日まで
「待ち伏せされたんだ。念には念をいれて暗部をむかわせたのに3人全員死んだ。遺体は回収できたが個人の判別がつかない無残なものだったよ。見せしめのためにわざと放置されたとしか思えない。ゆっくり、死ぬまでハクノイトを注射されたんだ。人間のやることじゃないよ。きちがいだ、本当に」
医療に明るい五代目だからこそ、一気にではなく、長時間にわたって薬物を体内に入れられたことがわかったのだろう。ハクノイトを使ったということは身元を隠す気はないということか。
「最初の段階で取り逃がすわけにはいかない奴らを取り逃がしたわけだ。暗部が死んだことに対してはここで泣き寝入りをしてもいつか借りを返してやればいいと思った。命の価値についての批判は承知のうえでの苦渋の選択さ。だが、また薬物中毒者が見つかったんだ、この里の中で!」
ドン! とテーブルを叩いた火影は怒りを抑えきれないように声をあげた。
「前回見つけたときにハクノイトは徹底的に処分したはずだった。入ってこないよう監視も厳しくした。対象は物品だけでなく人間にも及んでいた。嫌な話だ。なのに、また中毒者が出る。あいつらどこで製造してるんだ」
村はなくなったはずなのに、と火影は悔しげに言った。瞬時に頭に血を上らせて疲れたのか、長い髪を背中に流しながら大きくため息をついた。
「白の国だけが悪いんじゃない。この里にも販売ルートができてるんだろう。まだどこかに手引きしてる奴がいるんだ。里のことは私が調べる。どんなことをしても見つけて制裁をくだしてやる。ぶち殺してやるさ。だから外のことはカカシにまかせた。いろんな意味であいつは強いんだ」
イルカは黙って聞いていたが、思ったよりひどい状況に驚いていた。身の危険は感じず、今もこの話を聞いていなかったら変わらない日常を過ごしていたことだろう。カカシさんがいないということを除くならば。
「どうして私に話してくださったのですか?」
火影は湯のみに口をつけて、チラッとイルカを見た。
「あいつが任務前に初めて他人の家に寄ったからさ」
明かりのついた部屋にも朝が訪れようとしていた。外は暗いが、人が動き出す気配がする。時計を見ると午前5時だ。新聞や牛乳は配達の真っ最中だろう。木の葉の日常が始まる。
「良くない噂が絶えない男だけどね、ああ見えて根っこのところは結構真面目だ。責任感もある。だけどいつでも冷たい目をしていた。尖りきった視線は触れれば切れるほどさ」
火影とカカシは同じ戦場に立ったことがあったのかもしれない。過去を共有している者たちだけが見せる遠い目をしていた。
「少年と言っても差し支えない年の頃から戦場にいた。心が冷えるのも当然だな。優秀であればあるほど人を近づけなくなっていったんだ」
火影は顎を触りながら昔を思い出すかのようにゆっくり言った。
カカシは言っていた。ギリギリだと思うことが度々あったんです、と。
なんて厳しく、苦しい仕事場なんだろう。あの人でさえ、つらいと言えずに体を壊した。それなのにこの世界に戻ってきた。笑って、里を守れて良かったと口にした。
見ている世界が違う。心構えが違う。器が違う。本当に尊敬します、カカシさん。
火影はふっと笑った。
「それがお前の前では馬鹿で、おかしなただの男になる。無邪気に声を出して笑っている。最初に見たときは何が起こったのかと思ったよ。どんな方法を使ったか知らないが、お前には心を許しているらしい。だから話した。何が起こっているのかお前も知る権利があるだろう」
知る権利と言うが、中忍ふぜいに話さなくてもいいことを話している時点で状況は良くないのだろう。しかし、ありがたかった。何も知らないまま笑ってカカシさんを待つよりいい。何があったのか知って、それでも笑って待っていたい。
旅立つ前に聞いたあの人の半生は里のためにあった。今もそうだ。何より、誰より里を愛しているのはあの人かもしれない。あの人に守られて生きている。
「やつは忍として一流だ。いつも重過ぎる期待を背負わされてそれに応えてきた。最後にはいつも頼りになるんだ。きっと今回も戻ってくる。信じていてやれ」
ええ、とイルカは頷いた。やっぱり心は凪いでいた。
「でも信じる、信じない、じゃないです。私はカカシさんが帰ってくることを知っているんです。遅刻くらい大目に見てあげます」
戸惑った表情の火影にイルカはにっこり笑った。カカシがいつもにっこり笑っていたように。里の誰もが笑顔で過ごせるように。あなたはそう考えていたんですね。
だから、どうやっても聞き間違えのないようハッキリ言った。
「だって、カカシさんは私のことがすっごく好きなんですから。戻ってこないわけがありません。そうでしょう?」
調子に乗って『あの人なら這いずってでも戻ってきますよ』と軽口をたたいた。それくらい信じている。
火影とアンコが口をパカリと開けてイルカを凝視する。この主従は勢いの良すぎるところも似ているがそれ以外にもいろんな反応が似ていて笑える。姉妹みたいだ。里のトップが女性というのは明るくていいかもしれない。
「カカシさんと私は交際中なんです」
「まさか・・・本気だったのか?」
目を見張っている二人に視線をやりながら、ええ、とイルカは頷いた。今決めたんですけどね。困ったことに本気みたいなんです。
「ラブ、なんですよ」
カカシみたいに軽く言ってみた。何もそんなに固く考えることないのかな。カカシさんみたいに楽しく考えればいいのかも? 肩の力を抜いて?
心がふわっと軽くなる。ラブ、か。いい言葉だな。
カカシさん、もう降参です。子供みたいなあなたも、大人すぎるあなたも、なかなか俺のツボを刺激してくれます。とっくの昔にあなたから目が離せません、何やるかわからないですしね。あなたが楽しいって思ってくれていたように毎日俺も楽しんでいました。
それにあなたが知りたがりなら、俺は世話を焼きたがりなんですよ。手がかかる人ほどほっとけないんです。
だから、早く帰ってきてください。今ならみかんの皮をむいてあげるだけじゃなくて、リンゴでうさぎさんもつくってあげます。出血大サービス中ですよ。
火影の部屋を辞し、薄暗い中を歩いて帰った。天気予報ははずれ、雪は降っていなかったが相当冷え込んでいた。イルカは背を丸め震えながら歩いた。この寒さの中で任務についている暗部たちのことを思うと「寒い」と口にするのは憚られた。
軽いはずのタッパーはべったりついた血糊を見たときから重い。カカシの血ではなくとも木の葉の人間の血で、それはもしかしたら過去に見たことのある人のものかもしれない。このタッパーが邪魔になって負傷したのだったらと気が落ち着かないが、カカシさんが怪我するよりいいと思って、そんなことを考えた自分にゾッとした。揶揄を込めて人畜無害だと言われている自分にこんな後ろめたい暗い感情を抱かせるのはあの人だからなのか。
外も寒かったが、家の中も負けず劣らず寒かった。風がないだけマシという屋内で、冷たくなった手はいつまでたっても温かくならない。ストーブをつけ、こたつの電源を入れていたのに頭も体も冷え切っていた。
作品名:いつか愛になる日まで 作家名:かける