いつか愛になる日まで
そっか、とイルカは気づいた。イライラと、またはムカムカと、あるいはぐったりと接してもカカシさんはいつでも気負いなく受け止める。その許しを無意識のうちに感じて、自分は好き放題していたんだな。
そう気づいた途端「毎日あなたのことを考えました」と言っていた。
いつの間にかあなたのことしか考えられなくなったと伝えたかった。とても寂しかったと知って欲しかった。
いろんなことを言いたかったけど、結局イルカはそれとは全く違うことを口にしながら立ち上がった。
「カカシさん、お餅を30個買わなきゃ」
「・・・突然、何を」
ぽかん、とカカシが口を開けた。ぽかんとするのは自分の専売特許のようなものだったからちょっと気分がいい。
「ここに来る前にお餅を30個買うって言ってしまったんです。あと鮭も。今年はおせち料理も作ってないし、祝い酒もないし、つまみになるようなものもないし、いろいろ買って帰らなきゃ」
明日はお正月ですよ、今年もあっという間に終わっちゃいますね、初詣は夜中のほうがいいですかね、日の出とともに行ったほうがいいのかなぁとのん気に続けるイルカにカカシは堪えきれないといった風情で笑い出した。
「嬉しいな、イルカさんのおうちに行っていいんですか?」
「カカシさん、何をとぼけたことをおっしゃってるんですか? あなたと俺はお付き合いしてるんでしょう? 除夜の鐘が鳴った後、新年の初めに挨拶をしなくちゃ」
「素敵ですね。昨年もお世話になりましたって言うんですよね?」
「あははっ。そうですよ、今年もヨロシクって言うんです」
「イルカさんのおうちで、イルカさんに言えばいいんですね?」
「どうでしょう。うちのこたつでテレビを見ながらかもしれないですけど、初詣の途中かもしれないですし、もしかしたらおみくじひいてる時かもしれないし、お神酒をいただいているときかもしれないですよ」
「わあ。楽しそうだ」
「ええ。きっと楽しいですよ」
「そうですね。あなたといるとなんでこんなに楽しいことばかりなんだろう」
「それはね、カカシさん、簡単なことです」
「何ですか?」
あははっと笑ってイルカは何も答えなかった。そんなイルカをカカシは眩しげに見た。
「さぁ、カカシさん。お疲れでしょうが今から買出しに行って新年を迎える準備をしましょう」
「疲れもふっ飛びましたよ。ワクワクしてます。今日と明日では年が違うなんて不思議ですね」
2人は並んで医務室を出た。
大晦日は家でのんびりと過ごす人が多いのか、それとも新年の準備で忙しいのか、夕方の商店街はいつもよりすいていた。昼間の人ごみが嘘のようだ。
そんな中でも楽しげにイルカと買い物をしているカカシの姿はやっぱり大注目を浴びたが、カカシはともかく表面上はイルカも特に気にしているそぶりは見せなかった。
店の主人オススメの新巻鮭を半身、ぶりを半身買った。
ぶりの刺身と熱燗。考えるだけでよだれが出そうだと思い、隣はどうだと上忍様を横目で見たら「よだれが出そうで困ります」と苦笑されて同じことを考えたことに浮かれた。
米屋には「なるほど」と上忍様をガン見しながら納得されて、こんなに近くで銀髪上忍を見ることないよなぁと笑える。餅30個を受け取った上忍様はそんなことも知らずに「どうも〜」と軽く答えていた。
祝い酒を2升届けてもらうことにして、乾き物、たつくりや栗きんとん、かまぼこといった正月用のできあいのもの、野菜と鶏肉を買った。奮発してカニを2杯買って「鍋にしましょう」と言ったら、カカシさんはとても嬉しそうに笑って「はい」と返事をした。
2人が両手いっぱいの買い物をぶらさげて家に帰ると、もう4時を過ぎていた。
すぐに風呂の準備をして、遠慮するカカシを風呂場に押し込み、脱衣所に着替えを用意する。
昼食を食べていないことに思い当たった途端に盛大に文句を言い始めたお腹を宥めるためみかんを口にしながら、大量に買ったものを冷蔵庫と冷凍庫にしまった。3日間は外に出ないでも十分な量だ。
鍋を火にかけ、あらかた野菜を鍋に放り込んで、酒のつまみになるものを用意する。カニ味噌と、茄子と胡瓜の味噌漬け、ぶりの刺身を少し。
大晦日だからすき焼きかなと思ったが、疲れているに違いないカカシさんの身体には昆布ダシのきいた薄味の鍋料理のほうがいいだろうと思った。あの人はさっぱりしたものが好きだし、忘れていたが自分の調子も良くない。
風呂場からザーザーと湯を流す音がしなくなったと思ったら、かすかに鼻歌が聞こえてきた。カカシさんはご機嫌だと思い、クスリと笑った自分の声にイルカは赤くなる。なんて満足そうな笑い声。嬉しそうな笑い声。なんだか楽しくなってクスクス笑いが止まらない。合間に鼻歌が聞こえて、こういうのっていいなと思った。
こたつに皿と箸を並べていると、風呂からカカシが出てきた。結構な長風呂だったのは満足に風呂にも入れなかった任務後だということもあっただろうが、わざとぬるめに入れた湯でリラックスできたからだと思う。そうだといい。
「お先に失礼しました。とてもいいお湯で寝ちゃいそうでした〜」
濡れた髪を拭きながらわずかに上気した顔でカカシが言うのにイルカは頷いた。
「湯冷めしないようにしてくださいね。ビールでも飲みますか?」
「んー、イルカさんと飲みたいのでご飯のときにします」
「じゃぁ、お茶はここ、テレビのチャンネルはここ、寒くなったらここにフリースを置いておくので羽織ってください」
「はーい」
子供のような返事を聞きながらイルカも風呂に向かう。湯船につかると気持ちよくてため息が出た。凝り固まった身体を揉みほぐして、顔を洗う。首を回すとコキリと音がした。
膝を抱えて風呂の中にザブンと潜る。自分の身体が浮き上がろうとするのを湯の中でグルグル回りながら抵抗した。子供の頃にこれをやったら親父がよく笑ったなと思った。
今回の任務は端的に言えば暗殺だ。あの人が任務から戻ってきたということは人を殺してきたということだ。あの笑顔と無邪気な物言いの裏側でどれほど傷ついているのか。なんでもない顔をして「もう慣れました」とでも言うのだろうか。尋ねたら言いそうだが人を殺すことに慣れる訳はない。慣れて欲しくない。けど、あの人は心を冷やさなければ生きてはいけない。でも、一人で生きて欲しくない。けど、でも、だけど―。
「ぷはっ」
イルカは手早く髪を洗うと風呂を出た。
時計を見るとまだ5時半を過ぎたところだったが、風呂に入ったことで少しおさまっていた腹の虫がグーグーと盛大に鳴り出していた。食欲がなかったのが嘘のように騒ぎ立てる。
「腹減り、減り腹、空きっ腹〜」
気分良く勝手に夕飯にすることに決め、徳利を三本湯に入れたところで、頼んでおいた正月用の祝い酒が届いた。興味があることを隠そうともしない酒屋が「いるの?」と小声で聞いてきて苦笑とともに頷いた途端、「えらいこっちゃ」と言いながら軽トラに乗り込んであっという間に帰って行った。これでまた商店街は大騒動だ。
「平和で何よりだよ」
一人ごちて、玄関に鍵をかける。誰かが訪ねてくる予定もないし、ゆっくり過ごしたい。
作品名:いつか愛になる日まで 作家名:かける