いつか愛になる日まで
10代、20代の初めはカウントダウンだ、お祝いだとなんでもお祭り騒ぎにして友人たちと馬鹿騒ぎをしたけど、生活の大半を占める仕事が体に馴染んでくると正月くらい静かに過ごしてもいいのではないかと思うようになった。が、結局毎年、仕事をしている。
しかし、受付で同僚たちと迎える新年は存外悪くなく、遠くで鳴る除夜の鐘を耳にしながら「明けたな」「おめでとう」「今年もよろしく」「俺、もう30だぜ」など、たわいないことを口にするのも、耳にするのも、落ち着かない里の状況をふまえ無事年を越したと思えば感慨深いものがあった。
台所からふと目をやった居間でテレビを見ているカカシがフリースを着込んでいて、なぜだか笑える。洗いっぱなしのぼさぼさの髪も丸くなった背中も十分にくつろいでいるようで、世話を焼きたがりの面目躍如といったところだ。
「夕飯にしますよ。手伝ってくださいよ」
わざと偉そうな調子で言ってもカカシさんは嬉しそうにいそいそと台所にやってきた。まるで命令を待っている犬のように期待に満ちた目で尋ねられる。
「何をしましょうか?」
「鍋はちょっとだけ煮込みますね。こっちがつまみです」
「わお、美味しそうだ」
「でしょう? 我ながら上手にできたんですよ、この味噌漬け」
「いえ、このツマ」
ちょいっとブリの刺身に添えた大根をつまんでカカシは言った。
目だけでチラッとカカシを伺い見る。それ、魚屋がつけてくれたんですけど。
「冗談ですよ、当たり前じゃないですか」
鍋がくつ・・・くつ・・・と泡を噴き始めるのを見ながら、カカシは困ったように頭を掻いた。
「すみません。浮かれてるんです。ああもうほんとに馬鹿だな。お願いです、気にしないでください」
ぷっとイルカは吹き出した。この人って変なところで弱気だな。
「こんなことで怒ったりしませんよ。カカシさんのほうが気にしすぎなんです。まぁ食べてみてくださいよ、最近じゃ一番の出来なんですから」
皿をカカシに手渡しながら、イルカは胡瓜を一つぽいっと口に入れた。カカシが目を丸くするのを横目で見ながら知らんぷりをしていたら、こっそり笑っているのに気づいて愉快な気持ちになった。
鍋にはこれでもかというくらいの野菜と大盤振る舞いの蟹の足、牡蠣まで入れて、たっぷりの出汁がでている。旨そうな匂いに鼻がひくついた。
カカシはやっぱり「美味しいですね」を何度も連発して、イルカはそれにいちいち頷いた。春香堂の柚子コショウがなくても十分満足で、先輩には悪いが俺はこれからも奈々屋派だ。
酒を飲むとあまり食べないはずのカカシの食欲は目をみはるほど旺盛で、残すことを念頭に山ほどつくった鍋も思ったよりなくなっている。つられたようにイルカも次々と酒の杯を重ね、追いかけるように箸がすすんだ。
イルカは同僚が子猫の貰い手を探しているとか、今年はブリが豊漁なんだとか、年が明けたら久しぶりに『抜け忍』に行きませんかとか、思いつくまま口を開いた。それにカカシは私も同僚に聞いてみます、そうなんですか、行きたいですねとにっこり答えた。
大晦日の夕食はカカシの帰里が遅れたことも、イルカがそれを心配していたことも、ラブがどうということも、随分昔のことのようにすべて触れられないまま和やかに進んだ。あたたかな部屋とたっぷりの食事、それを共にすることで二人は満足していたし、なによりも互いの発する気が寄り添っていることを感じていた。言葉にする必要もないほどしっくり馴染んでいるのが心地よかった。
イルカが飲みすぎたなと思考力が鈍くなった頭で考えたころ、「大丈夫ですか?」と顔を覗き込まれた。それに軽く頷き、水でも飲もうと立ち上がる。ついでに鍋をさげることにした。いつの間にかカカシは飲むことに専念していたがまったく酔った様子もなく、水を飲んでいるかのようにすいすいと杯を重ねている。まったくこの人はザルだな。
台所で湯飲み一杯の水を飲む。すーっと体の中を通っていく冷たさが気持ち良かった。
余裕そうなカカシのために徳利2本を湯にかける。ふと手を見ると真っ赤だ。吐く息が熱い。酔っ払って久しぶりに眠いと感じた。寝不足気味のだるい体がベッドへと誘惑するが、カカシと過ごすこのゆったりした時間を失うのも惜しくて氷を一つ口に含んでガリガリ噛んだ。
こたつに戻ると簡易コンロは床に下ろされ、すっきりと片付いていた。ぶりの刺身を数切れ残すだけで、漬物は綺麗になくなっている。
「お漬物、もっと出しましょうか」
「お願いします。イルカさんが太鼓判を押すだけありますね」
満足そうな顔にイルカも満足した。それでももっと満足するために言葉を求める。酔っ払って気が大きくなっていた。
「お気に召しましたか?」
「とっても美味しいです」
ふふん、と笑ったイルカをカカシは穏やかに見つめる。褒めてくださいよ、と赤い顔が言っていた。
「カカシさんが一番好きなのは野菜なんですよね。それも生野菜。手を加えていなければいないほどいいんでしょ? 揚げるのは駄目で、炒めるのもちょっと・・・、浅漬けは好きだけどピクルスは嫌い。魚は種類によるし、肉は問題外。でもさっぱりしたものばかり食べてちゃダメですよ。たまにはガッツリいかなきゃ。油だって必要なんだから。俺、本当はもっと肉を食べて欲しい。今日買った鶏肉はから揚げにしてもいいですか」
嫌だったら蒸しますけど、と付け加えながら、いらないことまでぺらぺらと喋っているなと思った。むさい男に甘ったれた口調で肉を食べてなんて言われても、大きなお世話ってか、キモイよなぁ。うん、俺だったらキモイ。ああ、徳利を湯から出さなきゃ。漬物も出して。塩分取りすぎかも。何か果物が食べたい、果汁たっぷりの。そういえばみかんの皮をむいてあげるんだっけ。あれ、リンゴだったかな。今、何時だろう。
酔った頭で脈絡のないことを考える。ふと気づけばテレビが消えている。静かな夜だ。
イルカは肘をついて顎をのせた。温まった部屋の窓には大量の水滴がついていて外が見えないにもかかわらず、それをぼーっと見つめた。あそこに字を書きたい。子供の頃はそれが楽しかった。今でもなーんか楽しいけど。酒で火照った体がだるくて、頭を支えている腕も崩れそうだ。
「酔っ払ってますねぇ」
遠くで苦笑をにじませた声が聞こえる。それに「はぁ」と頷いたのか頷かなかったのか。
ふわふわした感覚の中で漂っていると、トンッと額を押された。体が後に倒れていくのを他人事のように感じながら、あー・・・ぁと思った。ゆっくりと視界が上を向いていく。なんとなく目をつぶった。
トサッと背中を支えられて目を開けるとカカシの左腕に抱かれていた。あんなに飲んでいたのに酔いの見えない目が自分を見下ろしている。
「目をつぶっていてくれないと照れます〜」
ふざけた口調の癖に穏やかな声に従って素直に目を閉じると抗いがたい睡魔がやってくる。身を任しかけて、慌てて目を開けようとするも視点があわない。必死に開けた瞼もすぐにトロンと落ちてくる。ハンモックに横になっているかのような絶妙な角度に眠りたいと盛大に体が駄々をこねていた。
「どうしましたか」
「徳利・・・湯煎・・・」
作品名:いつか愛になる日まで 作家名:かける