いつか愛になる日まで
「ちょっと我慢すればあっという間に明日になるって」
たっぷり同情した視線で慰められ、イルカは仕方ないと思いつつも諦めきれず、憮然とした表情で口にした。
「せめて、接待費でおとせないかな?」
「絶対無理」
そうして4人で大きなため息をついた。
尋常ではない食事の誘われ方をされて以来、毎日食事に誘われて今日でちょうど2週間。今ではこれがいつまで続くのか賭けの対象になっていることも知っている。これが他人事なら自分も喜んで賭けに参加しているだろうが、当事者としてははなはだ面白くない。昨日は「もうあと2週間頑張って」と紅上忍にまで言われた。そうしたら一人勝ちなのだそうだ。「奢ってあげるから」・・・って奢っていらないし。
本当にいつまで続くんだろう。里外の任務が入ればいいのに。そうしたらきっと上忍様の目も覚める。なんてくだらないことをしていたのだろうと。
待ち合わせの時間を2、3分過ぎていたが、イルカはゆっくりと正門に向かっていた。待ち合わせは初日が正門だったので、自然とそういうことになった。
初日は同僚たちが8時を過ぎると当のイルカよりソワソワしだし、結局緊張に耐えられないと勝手な理由でイルカを受付から追い出した。
駆け巡った噂によって、『絶対待たせんな!!』と言う全中忍の命令のもと、約束の時間まで15分も余裕があったが、イルカは大人しく正門に向かった。
中忍の結束の固さは忍階級の中ではダントツに一番だと思われる。上からも下からも小突かれて文句を言う暇もない中間管理職だ。たぶん何事も一番割りに合わない。ことあるごとに飲みに行くことになるのも、ほとんどこじつけで飲み会が設定されるのも、多分にストレス発散を目的にしているのだ。
前回の飲み会は「月命日だから」と珍しくまともな理由が記載された開催案内がまわってきたが、やばい、誰だ、誰の月命日だ?とイルカは焦っていた。
幹事の親は二人ともそろっているし、いつものメンバーの誰かの親か。しかし親のいない者なんてザラにいるし、誰かに聞こうと思っても聞いた相手がビンゴだったりしたら目もあてられない。こういう時に限って幹事はつかまらないし。
やばい、やばい、誰に一言かけたらいいんだと思いながら出席した飲み会は開催理由をスルーしたまま盛り上がっていたが、幹事に投げかけられた同期の一言が耳に入った。
「おい幹事、今日は誰の月命日なんだよ?」
やべっ、俺も聞いとかなきゃと耳をそばだてたが、そう思ったのはイルカだけではなかったらしく座が静まり、なんとはなしにしんみりとなる。なんだ、みんな知らねぇんじゃんと思ったが、それより誰の月命日だ。
「テツオだよ」
こともなげに答える幹事に、ことがことだけあって誰も「テツオって誰だよ」とは聞けない。イルカも忙しく記憶を引っ掻き回したがテツオなんて男には思い当たらない。
「テツオ・・・?」
みんなの視線が集中しているのを気まずそうにして、幹事は頭をガシガシとかいた。
「あのさぁ、そんなに深く聞いてくれるなよ」
「なんだそりゃ。極悪非道と言われても仕方ないかもしれんが俺はテツオなんて知らんぞ。どこのどなた様だ」
「あー、俺の隣の家のお犬様だ、いや、お犬様だった」
「アホかっ!!」
思わずテーブルにあったおしぼりを投げた同期に続いて、あちこちから罵詈雑言とともにおしぼりが幹事めがけて飛んでくる。
「そのテツオ様の月命日が今日だってのかっ」
「いや、それが先週だったらしい」
「おーまーえーはー!! いったいいつ死んだんだ、その犬はっ」
「そんなん知るか!」
幹事も開き直ってきたのか強気に答える。
「俺が生まれた時には死んでんだよ!」
「ああ? 何年前だ、そりゃ!」
「え? あー、30年くらい前か?」
一瞬、素に戻った幹事は首をかしげた。
「俺に聞くんじゃねー!! お前の生まれる何年前だ、そりゃー!!」
きっと誰もが「月命日って誰のだろう」と思って真剣に考えたのだ。その分、30年も前に死んだ犬の名前だとわかりイラッときたのだろう。その上、月命日どころか日にちも間違っている。幹事の間抜けぶりもアホらしいが、とにかく人じゃなくて良かったとイルカは思っていた。
こういう展開は多々あって、やれおみくじ大凶記念だ、身長が3ミリ伸びたお祝いだと意味不明な理由で飲み会が企画される。時々前後不覚になるくらい飲んで翌日に二日酔いで悩まされたりするが、愚痴も吐き出せて気分は悪くない。
余裕があったにもかかわらず、猫背の上忍はすでにそこに立っていた。これはまずいと翌日できるだけ早く待ち合わせ場所に行ってみると、やっぱり上忍はすでにそこにいてイルカを驚かせた。それからはもう無理に早く行くことはやめた。時間より早く待ち合わせ場所に行くとはいえ、待たされることに怒り出すかと思われた上忍はいつでもご機嫌で穏やかだ。
今日もイルカの足音に気づくとゆっくり振り向いて、人をねぎらうことも忘れない。
「お疲れ様です、先生」
「すみません、遅れまして」
「いえ? 大丈夫、大丈夫」
なんでもないことのように言って、イルカを視線で促して歩き出した。
初日も同じような会話を交わしたなぁと思い出す。そして毎日同じような会話を交わしている。ほとんど挨拶だ。
『す、すみません。遅れまして』
『いえ? 遅れてないですよ?』
『はぁ』
冷や汗をかくイルカに上忍は軽く首をかしげて、思いあたったように言った。
『あぁ、もしかして俺が待ってたことが気になりました? 上忍を待たせるなって? 中忍のみなさんは気遣いの塊ですからねぇ』
そう言って苦笑すると、ゆっくり歩き出す。イルカはおずおずとその後ろに続いた。
『今日もきっと追い立てられるようにして来てくれたんですよね。私は思ったより早く用事が済んでしまったので、火影さまに何か言いつけられる前に外に出たかったんですよ。ブラブラしてるとすぐ働かせようとしますからねぇ、あの人。だから気にしないでください』
でも、ととても嬉しそうに声が弾むから、イルカは耳をそばだてる。
『待つのってけっこう楽しいですね。トンボを見つけました。もう秋なんですね』
ポケットに手を入れた上忍は目を細めて微笑み、『隣に並んで歩いてもらえませんか』と言った。
悪い人じゃないんだよなぁ、とイルカは隣を歩く上忍をチロリと横目で見た。こんなに毎日毎日食事をともにしていてもいまだに問題の女性関係に関しては話題になることもなくノータッチでよくわからないが、少なくともそれ以外では感じの良い人だ。時々意思の疎通が不自由だが、暴言を吐くという噂とは正反対に物腰は穏やかで、口調は適度に親しみがこもっている。
「いつものとこでいいですよね?」
「はい」
そして、必要なこと以外あまり喋らない。最初のイライラさせられた饒舌さは珍しいことなのだとわかった。でもあれも一面なのだと肝に命じることだけは忘れない。あのノータリンのような話し方もこの上忍の中には潜んでいる。
作品名:いつか愛になる日まで 作家名:かける