いつか愛になる日まで
『いつものとこ』とはアカデミーからかなり歩いたところにある『抜け忍』という大胆な名前に似合わないそっけない居酒屋だ。花街に近い場所にありながら、大通りから離れているため、いつでも客の入りはそこそこだが、出している料理も酒も美味しい。
初日に連れて行かれた店はスタイリッシュな居酒屋というよりバーのような雰囲気の店で、少々値が張るということとオープンして2ヶ月ということで、まだイルカは店に入ったことがなかった。だから不覚にも店の前でちょっとウキウキしてしまったのだが、ツレがツレなだけにそう上手くはいかなかった。いや、連れられて来たのは自分だけれども。
店に来た上忍たちが次から次へとカカシに声をかけ、店の主人まで挨拶に現れて、料理を運んできた店員は男も女も上忍に過剰なまでの愛想を振りまき、一番奥の場所だったというのにまったく落ち着かなかった。これでどこからでも姿が見える場所に座っていたらと思うと恐ろしい。
上忍も気にしたのか、次の日には『抜け忍』に案内された。主人のほかには店員が2人しかおらず、いつ行っても客を含めて男だけで華やかさには欠けるが、誰も彼もが無口でホッと落ち着く。
「今日はかんぱちがオススメだそうです」
いつの間にか定位置になったカウンターの隅に腰掛けると、主人と入り口で2言、3言言葉を交わしていた上忍は隣に座りしなそう言った。
ここのところ毎日通っているから、黙ったままでも酒は出てくる。カウンターの向こうで店員が伝票を手に注文をとる用意をしていた。
「じゃあ、かんぱちと2,3適当にお刺身を。揚げだし豆腐、山菜の胡麻和えに茄子と胡瓜の浅漬け、きんぴらごぼうと赤鳥のみそ焼き、それから・・・」
「だし巻き卵」
穏やかな声にお品書きから顔をあげ、隣を見れば「お好きでしたよね」と言われる。
「あ、じゃあ、だし巻き卵・・・」
「とりあえず、それでお願いします」
イルカの語尾をとって、店員に上忍が頼んだ。毎度っと元気な声が店内に響く。無口な店員も挨拶はきちんとしていて、気持ちがいい。
「あの、いつもおんなじのばっか頼んですみません」
イルカは恥ずかしげに軽く頭を下げた。
「いえ。俺もだし巻き卵、好きだし。まぁとりあえず、お疲れ様です」
湯のみのような焼き物で出来たグラスを軽く掲げて、さりげなく上忍はイルカを促す。チンとガラスより太い音をたてて、二つのグラスが軽くぶつかった。
カウンターは明るめに、通路を隔てたお座敷をやわらかなオレンジの電灯で統一した店内はイルカたちのように仕事帰りだろう同僚の二人連れが主流だが、一人で来る客も多くむしろそのほうが店には似合っているかもしれない。
今日のつきだしはホタルイカの一夜漬けで、酒との相性は絶妙だ。
「卵っていつでも食べられますけど、だし巻き卵ってなんだか特別な気がするんです。それに外で食べたほうが美味しいですし」
自分で作っても面倒ばかりが気になって、と苦笑とともにイルカが話しかければ、
「そういうものですか」
と静かな返事がくる。
「昔、だし巻き卵はお正月しか食べられませんでした。母が作ってくれたんですけど、えびや白身魚のすり身をいれてちょっと自慢できるような本格的なものだったんですよ」
話の途中でカウンター向こうから浅漬けが差し出され、イルカは話しながら器を上忍の取りやすい位置に置いた。軽く目礼されて首を振る。
上忍があっさりしたものを好むことにはちょっとたって気づいた。箸をつけるのは野菜を中心にしたもの、それでなければ刺身だったからだ。
料理の注文は初めてこの店に来た日は上忍が適当に決めたが、それ以降はすべてイルカが決めている。2日目にお好きなものを、と言われて、初日のメニューを思い出しなるべく上忍に好きそうなものを選んでみたが、そのときはまだあっさりしたものが好きだと知らなくて、どちらかというと揚げ物が多かった。それでも上忍は気分を害した様子もなく、その上無理に誘ったのだからとまるめこまれてご馳走になった。
次の日に主人が良かったらと出してくれた野菜の切れ端や皮でつくった浅漬けを喜んでいる様子に、もしかしてと白和えやサラダ、肉ではなく刺身を注文すると言葉にはしなかったが箸の進み具合でどうやらこちらが好みだと知れた。
「ところで、はたけ上忍は料理されるんですか」
口に運ぶ途中のグラスをカウンターに戻すと上忍は苦笑した。
「料理はしません。この頃任務が多くて家に帰れるかどうかもわかりませんから食料さえあまり置いてないんです」
「あ、そうですよね。お忙しいですね。すみません。変なことを聞いて」
焦るイルカに、穏やかに首を振ると
「別に? 変なことじゃないですよ」
「はぁ」
「それに実は料理はしないんじゃなくて、出来ないんです」
実は困ったことに不器用なんですよ、と肩をすくめて上忍は言い、
「クナイはそこそこ上手に投げられるんですけどね」とおどけたように言ったので、
イルカは気の利いた冗談にクスリと笑った。上忍であるカカシの武器の扱いは一流だ。
「ところで、恥ずかしいことを白状した代わりに一つお願いを聞いてもらえませんか」
上忍の砕けた言い方がイルカは好きだった。無理をすることなく自然体だ。
「はい、なんでしょう」
「はたけ上忍って呼ぶのやめていただけると助かります」
「あ、何か気に障りますか」
青くなるイルカを見て、そういうわけじゃないんですけど、と上忍は困ったように言い、うろうろっと目を泳がせた。
「できれば、名前かなんかで。階級で呼ぶのは避けて欲しいんです」
「名前?!」
先生はご存知ないと思いますが、とカカシは断って言葉を続けた。何を言い出すのだと慌てるイルカとは反対に噛んで含めるように冷静に言う。片っぽの目だけでも視線が痛い。
「俺、上忍になって時間はけっこうたっているんですがこれでも若いほうで、仲間からは呼び捨てにされてるんですよ。いまさら改まって呼ばれると落ち着かないっていうか」
「でも」
「気にしないでいいんじゃないですか? 誰かがなんか言ってきたらカカシに呼べって脅迫されてるんだとでも言ってください」
困惑しているイルカに上忍は苦笑した。
「あの、でも私のことは『先生』って呼ばれるじゃないですか。それもおかしな話ですよね?」
「不思議ですけどすごく先生っぽい人だなぁと思ってましてねぇ。気づいたら上忍なんてものになってて、気まぐれを起こして人生省みたらろくにアカデミーに通っていなかったことに気づいたんですよ」
目を丸くしたイルカに気づくとカカシは肩をすくめた。
「ホントです。いつ上忍になったのかさえ覚えてません。ある日四代目に上忍になっとく?なんて軽く言われたんで無視してたら勝手に上忍になってたって感じですかね。だから忍術の原理なんてまともに知りません。こんなんでも上忍ってビックリしませんか? 今まで生きてるってことは運が良かったんですかねぇ。で、話をもとにもどすと、先生ってこんな感じなんだろなって勝手に思ってたってことなんです。だから先生って呼んじゃう」
作品名:いつか愛になる日まで 作家名:かける