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【米英←仏】フランシスの受難の一夜

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 電話の向こうで息を飲んだのが伝わってきた。疑問は至極もっともである。
「その辺の事情は後で説明するわ。でさ、近くに居るなら迎えに来てくんない?」
『……そこはどこだい?』
 フランシスは入口で見たホテルの看板を思い出しながら答えた。
「ABCホテル、場所は――」
『ホテルだって?』
 またも声が厳しくなる。フランシスは慌てて弁解した。
「ああ、いや、終電なくなっちまって、仕方なく入ったんだけどな。どうも弟が恋しいみたいで泣いてるんだよ」
『アーサーが?』
 何で弟に云い訳しているんだと、我ながら突っ込んでしまう。けれどそれで納得してくれたようで、彼は了承の旨を告げた。
『……分かった。幸い近くみたいだから、すぐに行くよ』

 **

「よ、お前がアルフレッドか」
「やあ。君がフランシスかい?」
 言葉通り、十分も経たないうちにフランシスの部屋まで到着したアルことアルフレッドは、アーサーとは似ても似つかない風貌をしていた。血が繋がっていないと云っていたから当たり前と云えば当たり前だが、華奢な身体で可愛い顔をしたアーサーとはまるで正反対の頑丈そうな身体つき、精悍な顔つきをしている。似ていると云っていいのはせいぜい濃度の違う金髪くらいか。もっとも金髪なのはフランシスも同様なので、彼は弟と云っても兄とはまるで別の人間と云って良いだろう。
 なるほどまだ若く青い印象は拭えないが、それでも彼が良い男の部類に入ることは明らかだった。……もしかしたら、兄でさえも惚れてしまうくらいに。
「……何だい、」
 まじまじと見つめていると、アルフレッドは煩わしそうにフランシスを見返した。兄が云ったように反抗期と見えないこともない。気の強いところも兄弟の共通点と云えそうだ。
「ああ悪い、ボーッとしてた。アーサーなら奥の部屋でお待ちかねだ、って云っても今は寝てるけどな。起きてお前が来たの見たら喜ぶだろうよ」
「どうかな。……彼は、寝室?」
「ああ」
 ま、入りな、と促すと頷いてアルフレッドはドアの内側に足を踏み入れた。

 **

 アーサーはベッドに横たわって眠っていた。電話を終えたフランシスが部屋に戻ったときには既に寝ていたのである。起こして彼の弟が迎えに来ることを伝えようかとも思ったが、泣き疲れた様子で寝息をたてている顔を見てどうせすぐに来るのだからと思いなおし、やめておいた。
 アルフレッドはシーツに包まった兄の姿を確認すると、ほっと息を吐いた。電話に出たときの剣幕からして、かなり心配していたのだろう。アーサーは何だかんだ云っていたが、良い弟ではないか。
「アーサー、アーサー。ちょっと起きなよ」
 ベッドに近づいた彼は、慣れた様子で声を掛けながら手のひらで軽く兄の顔を叩いた。それでも兄は軽く呻くだけで目を覚ます気配がない。
「んん……うう」
「まったく、こんなになるまで飲んで……知らない人にまで迷惑かけて、恥ずかしいったらないぞ」
「なぁ、無理に起こすこともないぞ。何ならお前も泊まって行けばいいし」
 フランシスは提案してみるが、あっさりと却下される。
「いや、連れて帰るよ。表にタクシー待たせてるし。しょうがないから抱えて行くとする……え?」
 シーツを引っぺがしてアルフレッドは硬直した。隠れていた身体が下着しか身につけていなかったためだった。
「……なんだってこの人は半裸なんだい?」
「ああ勘違いするなよ、吐いて汚したから脱がせたんだよ。服は洗ったけどまだ乾いてねえから」
 感情の籠らない声で尋ねられ、フランシスは逆に慌てて答えた。それでも尋問のような質問は続く。
「君、彼に何もしてないだろうね」
「断じてしてません」
「そう」
 アルフレッドは肩を撫でおろした。その仕草に、ん、と思う。兄の身を案じていたとはいえ、おかしな気がしたからだ。
「ならいいよ。俺のジャケットでも着させとくから」
 そう云うと彼は自分の上着を脱いだ。それをそのままアーサーの上半身に被せる。そのとき、眼差しが柔らかく兄を見つめ、眩しそうに細められたのを、フランシスは見逃さなかった。
「お前……」
「何だい?」
 返事をした彼はもういつもの表情だった。一瞬だけ見せた顔は目の錯覚だったような気がしてしまう。それほど、そう――、愛しい者を見る目をしていた。
「あ、いや。ほんとに何もしてないからな」
 何故かフランシスが居たたまれない気持ちになりながら答える。
「……それはもういいよ。そうそう、タクシー代を抜くと今これだけしかないんだけど……ホテル代足りるかい?」
 ズボンのポケットに手を突っ込んだ彼は、札を数枚取りだして尋ねた。しわくちゃのそれはここに入るときに払った半分には満たない。
「あー、うん。ちょっと足りないけど、まぁいいわ。コイツには楽しませて貰ったし」
「え?」
「あ、変な意味じゃないぞ。……お前との話、すげえ聞かされたんだわ。喧嘩したんだって?」
 ああ、と彼は顔をしかめた。
「昔は可愛かった俺が生意気に育って出て行くと云いだしたって、泣きながら話したのかい?」
「まぁ、そんなとこ」
「本当にそうなのかい……」
 アルフレッドは盛大にため息を漏らした。そして彼の兄へと視線を戻す。呆れと憤り、羞恥と嫌悪、それに哀しみが入り混じった複雑な表情を浮かべていた。
「アーサー……いい加減に認めてくれたらどうだい? 俺のこと――」
「好きなんだな」
「!」
 ほとんど何も考えないまま、フランシスは云っていた。アルフレッドは驚いて向き直る。その反応はオーバーリアクションなのを除けばアーサーとそっくりだった。
「だ、誰が彼のことなんか――」
「そうか? 顔中に書いてあるぞ、アーサーが好きだって」
「っ……」
 頬を一気に朱に染めた彼に、思わず苦笑する。
「何だ、素直なもんだな。何で伝わらないのかねえ」
 するとアルフレッドは再び顔色を曇らせて、「……俺のせいなんだ」と呟く。
「? どういうことだ?」
 話の筋が見えずに尋ねると、彼はアーサーを一瞥する。彼の兄はまだ目を覚ます気配がなかった。それを確認してから、静かな口調でアルフレッドは続ける。
「二年前に家出した頃からなんだ、俺たちがこんな風になったの。彼は悪くないんだ。俺が勝手に彼への……アーサーへの気持ちに気づいたから」
 なるほど、そういうことだったのか。フランシスは頷く。
「ああ……それじゃ辛かっただろうな。一つ屋根の下じゃ」
「まあね。彼は俺にどう思われてるかなんて知らないから、いつだって無防備でさ」
 ああ、それはちょっと分かるかも。そう思ったが、相づちは心の中でだけにしておく。
「だから彼は俺のこと弟としてしか見てないし、そういう意味で俺を好きなわけはないんだ。だったら、俺が出て行くしかないだろう?」
「そう思ってるのは、お前だけじゃないの」
 同意を求めたはずの彼は、それが得られなかったどころか思いがけない回答に目を瞬かせた。
「……まさか。そんな気休めは……」
 彼の動揺が、震える青い目に表れている。そんなはずはない、という不安と、そうだったらいい、という期待が込められていた。