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鬼火

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 目をあけたつもりなのに、暗闇は去らなかった。右手を動かしてみたら動いた。肩から首のあたりで、じんと鈍い痛みが存在を主張する。何度か瞬きしたが風景は変わらない。目が見えなくなったのかと思ったけど、単に暗いだけだった。
 視界の隅にぼんやりとした明かりがひっかかったような気がした。何とはなしにそちらに顔を向ける。瞬間、ひっと喉がなった。
 人の頭ほどもあるようなカボチャが浮いていた。カボチャの上には三角形の帽子、底面には黒いボロ布。目と口を模したいびつなくりぬきの奥には、得体の知れない鬼火がちろちろと揺れている。ハロウィンの頃、店先にならぶあれだ。ピアノ線も針金も見えないけれど、それは空中に浮かび、不自然に揺れていた。
 けけけけ、けけけけ、と。おれが目をさましたことに気づいたのか、それは甲高い声で笑い始めた。口に見えるのは、カボチャをくりぬいただけの場所だ。開閉などできるはずもない。そして、黒い布の中には首どころか胴体があるようにすら見えないのだ。なのに声は響いた。おれはすぐにそのカボチャの声だと理解した。目の前にいるのはたったの一体なのに、まるでたくさんのそれに取り囲まれてるみたいな声だった。
「有罪、有罪、ゆうざーい」
 心底楽しそうに、それは笑い続ける。まるで重さに耐えかねたかのように、ぐうっと重そうなカボチャが後ろにそる。ヒーホー! ヒーホー! と、興奮した声をあげながら、それは身体を震わせる。
 そのまま分解してしまうかと思った。だが、そうはならなかった。引き絞ったばねをときはなったみたいに、びん! と、顔が位置を戻す。瞬間、顔が光った。
「……ぐっ! ああああああああああああ」
 いや。光ったんじゃない。それの何もないはずの空洞――口が、いきなり焔を吐き出した。そう、おれに向かって。何が起こっているのかわからなかったおれには、当然よけるなんてことはできなかった。わけもわからず、おれの上半身は焔に包まれた。
 髪が、皮膚が焦げる。服が燃え上がる。皮膚は燃えない。人体は六十パーセントを水が占めている難燃性の物体だ。ガソリンをぶっかけるくらいの手間をかけなければ、身体全体が燃えるわけではない。だが。髪や服は違う。あっというまに髪は燃え上がった。ポリエステルや合革は溶けて皮膚に張り付いた。反射的に空気を取り入れようとすると、たんぱく質と合成繊維の煙で喉が焼けた。
 ぼっ、ぼっ、と、辺りかまわずカボチャが焔をはいている。狂気じみた甲高い笑い声が室内満たした。
「助かったな運が良かったな悪かったな」
 けけけっ、と。笑いながらカボチャは奇妙なダンスを踊る。おれは、床に倒れたまま指先をのろのろと動かすのが精いっぱいだった。もっとも、動かしている意識もなかったのだけれど。ちろちろと燃える炎を消すことすらできず、おれは消し炭をまとって、いや、消し炭になって床に転がっていた。
「悪かった良かった悪かったヒーホー!」
 くるりとカボチャは宙で回った。そして、焔の代わりにきらきらとした滴をまき散らした。
 瞬間、おれは意識が戻ったのに気づいた。ぱり、と、何かがはがれる音がした。こぶしを握る。すると、筋肉の動きに耐えきれなかった消し炭――服の痕跡が床に落ちる。下からは、真っ白で柔らかな、まるで日焼け跡をはがしたみたいにきれいな皮膚が現れた。
 思わずおれは身体を起こした。ぱらぱらとかつては髪や服だった焼け焦げが落ちる。痛みは一切なかった。呆然とおれはカボチャを見上げた。カボチャは踊っている。何を考えているのかなどわかるはずもない。
「助かったなニンゲン残念だったなニンゲン」
 何かの発作を起こしているみたいな様子で、カボチャは矛盾をまき散らしていた。さっきみたいに、ぐぐっと身体をそらすのを見て、おれは声にならない声をあげながたずるずると後ろへといざった。
 ぽんと間抜けな音とともに、カボチャの上にほんの一瞬焔が現れる。おれは目を見開いた。へたくそな操り人形の動きでカボチャは姿勢を戻す。何の気まぐれか、それはおれに向かってやってくる。震える身体を叱咤し逃げようとするが、すぐに背中は壁に突き当たった。
「た……」
 焦点もあわないくらいの目の前に、うつろな眼窩が揺れる。指先が何もない床をえぐろうとし、すべった。
「た?」
 けらけらと小さく笑い声を響かせながらカボチャは言った。
「た……すけて……」
 にっと、暗い眼窩の奥の鬼火が笑ったように見えた。瞬間。
「ああああああああああああ」
 目が光に焼かれる。いや、まさに文字通り、目が炎で焼かれた。てのひらで覆ってもなお、フラッシュの強烈な光を真正面から浴びたみたいな視界は変化しなかった。ただ、どろりとした熱いしたたりを手のひらに感じる。痛みというほどの痛みはない。ただ、顔の表面は熱いと思った。
「だーめだめだーめ、マガツヒ、マガツヒけけけけけけけけけけ」
 手の甲にひやりとした水滴の感触があったかと思うと、ふっと視界が暗くなる。やがて、くるくると回るカボチャの姿がぼんやりと見え始めた。
 まただ。また、だ。
「歌舞伎町収容所収容所収容所マガツヒマガツヒだにーんげんもっとわめけもっと怖がれ苦しめでも死ぬないや死んでもいいやスパイたくさんたくさんたーくさーん」
 今度は、焔だった。ところかまわず放たれる焔から、ごろごろと転げまわって身をかわした。いや、かわそうとした。だが。まったくもって、無駄な努力だった。皮膚を焼いたのも目の前ではじけたのも、明らかにカボチャの思惑通りだった。
「……あ……!」
 そう、背に直撃した最大級の焔がそう語っていた。声もなくのけぞった瞬間、両手足を続けざまに焼かれた。かろうじて焼け残っていたボトムの端がちろちろと燃え出す。上腕部に、背のまんなかにと、小さな焔が炸裂する。
「……」
 声もなく鉄板の上のみみずみたいに動くことしかおれはできなかった。熱いとか痛いとかの感覚はすぐになくなり、ただ視界が暗くなる。なんとなく動かそうとしている腕が動いていないだろうことがわかった。
「コラ、何やってんだてめぇ」
「ヒホ」
「ったく遅い遅いと思ってきてみればよぉ。コイツは収容所に連れてくんだろうがよ。せっかくオルトロスがうまいことやったってのに、おめーが殺してどうするよ。おら、さっさと連れてくぞさっさと!」
「ヒホー」
「ヒホー、じゃねぇ。おら、さっさとやれ」
 またもや、冷たい滴の感触とともに視界がよみがえる。皮膚は焼かれているはずだ。水滴の感触なんてわかるはずがないのに、なぜかその冷たい心地よさはわかる。これでおれはまた生き返る。
 全身が痛みを訴えたかと思うと、それもすぐに消えた。
 少し離れたところに、カボチャが浮かんでいる。その向こうには、プロレスラーみたいにたくましい人影……いや、違う。赤銅色の皮膚なんて文学的な表現ではなく、その人影の皮膚は赤かった。つるりとした頭頂部にははっきりとしたコブ――つのがある。あれは、鬼だ。子供の頃の絵本にあったそのままの姿に、おれは息をのんだ。
作品名:鬼火 作家名:東明