日常風景、その延長線。
居間のコルクボードに刺してある絵葉書にはハルヒの文字で見知らぬ国の住所が書き散らされている。飛び跳ねたような相変わらずの大胆な字で綴られる場所を把握しようと買った小さな地球儀は、段々と色鮮やかに塗られている。朝比奈さんの近況を綴る手紙も、長門の相変わらずの短いメールも、この小さな部屋の中に大事にしまわれている。
それでもハルヒも、朝比奈さんも長門も古泉も、まるであの場所がスタートラインだったように違う場所へと歩き始めていた。ただまるでぽつんと、行き場を失ったように立ち尽くした俺だけがまるで、ひとり残されていた。課題の図書をどうしようかとか、卒業論文をどうしようかとか、考えられる悩み事なんてそのくらいのものだ。それは別段、特別なことでもなんでもないんだろうが。
手を伸ばした先にいるやつの面倒を見ること、くらいしか想像の出来ない俺の先で古泉は、確かに何処かを見据えているのだ。俺でなくとも古泉の面倒を見るやつはきっといて、それは機関であってもなくても関係ないんだろう。あの頃はほんの数件しか埋まっていなかった携帯の電話帳が、聞いたこともない名前で埋まっていることは知っている。
高校はいつから休みだっただろうか。そろそろ妹からの恒例の連絡が入る頃合いかもしれない。長期休みに入ると遊びに行くだとか帰ってこいだとかそんな連絡が頻繁に寄越されるのは越してきてから続く習慣のようなものだ。こういうのは懐かれているうちが花だというが、いまのところまだ邪険にされる気配はなかった。仲が良いわねとか面倒見がいいわねとか言われた小さい頃のそのまま、その距離感は離れて住んでみてもあまり変わりはない。男二人で暮らしているこの狭い空間に年頃の少女を泊めるわけにもいかないとまあ、その点ばかりは俺の方が譲らないんだがな。別に古泉くんなら問題ないもん、とさらりと唇を尖らせてみせる妹にはもう少し成長してもらわないと困る気もしている。
行き先伝言板状態になっている冷蔵庫のホワイトボードに、古泉の文字が幾つか踊っていた。帰ってくるのは明日だろうか明後日だろうかそれとも数日後だろうか、そんな重要情報が曖昧なのは詰めの甘いあいつならではと言えばそうだろう。これから山の、電波の届かないところまで行ってきます、なんてそれだけのメールが届いたのは少し前のことだ。
ろくに布団を敷きもせずに床に寝て起きてから暑さにようやく扇風機を稼働して、その下に一文だけ書き足した。エアコンつけてくださいと唸るように這ってくる古泉がいないだけでこの部屋はあまり外気と変わらない。本格的に暑くなる前にバイトだとか図書館だとかに抜け出しているのもあるんだろうが。開け放ったままの窓の先には昨日の延長のように晴れた空が広がっている。旅行日和だというのならきっとこんな日を言うんだろう。好き勝手に吹いている風は体感温度をほんの少し下げていた。
ゴミの分別表を目立つ場所に貼り直して、バイトのシフトを書き殴ったカレンダーに目を向ける。夏の盛りは少なくなる出番に、もうひとつくらいは何か短期バイトでも入れようと思っていたんだが。ちょうどぽっかりと空いた今週の予定を思えば丁度良いだろう。
思い立ったが吉日とばかりに詰め込んだバッグの中身は少しの着替えと財布、それから携帯の充電器くらいなものだ。Tシャツに裾の短いジーンズ、それから冷房対策用に薄手のパーカーと陽射し避けのキャップ。その辺に出かけるのと変わらない格好で特別な準備も何もなくても、まあ連休と関係のない平日ならばどうにでもなる。新幹線でも飛行機でも家から出て僅かに数時間で行けるその距離は、高校時代に思い描いたよりももっと近いものだ。
ああ、そういえば古泉はちゃんと使える充電器を持っていったんだろうか。どうせ使えないのだからと持っていたとしてもそのまま放置しているような気もしてならないが。
『実家にかえってる』
簡素な一言だけのメールも冷蔵庫の伝言も書いたり消したりなんてちょっとした俺の中での葛藤の末だ。いつでも長ったらしいメールを寄越してくる古泉相手に、俺の少ない語彙から拾い出せる言葉なんてそうはない。
妙に充実している東京駅構内の売り場で目新しいパッケージの中身はそう変わらないであろう菓子を買ってから金券ショップの自由席の切符を手に新幹線に飛び乗った。一歩踏み出してしまえばそう遠くもないその距離を戻らないのは単純に懐の事情とかそれ一つには限らないものだが。交通費は出すから帰ってきなさいなんてまあ有難い話をずるずると引っ張っておいて突然帰ると告げても「あ、そうなの」なんて一言で済まされるのがまあ我が家と言えば我が屋だ。
ついでにと経由駅での買いものを頼む妹からのメールに幾つか駅ビルを梯子する羽目にはなったんだが、いつだって振り回されるのには慣れているのだ。「ただいま」と扉を潜った俺の腕から挨拶もそこそこに真っ先に買い物袋を拾い上げる妹の表情が、結局のところ俺の根底を作っている何かでしかない。ぐしゃぐしゃと子供の頃のように頭を撫でる俺の腕から笑って抜け出す妹のすらりとした背中が、「おかえり」なんて甘えるような笑い声と一緒に俺を家に招き入れた。
家の中でも外でも、俺は多分、兄であることで生きている。まあまだこの生活はしばらく続くモラトリアムだと思えばそれでいいような気もしているんだが。古泉との関係性はその続きのようで、少しだけ違うのだ。尽くしているのでも尽くされているのでもなく、互いに体重を掛け過ぎない程度に寄りかかって立っている。それはきっと好きだとか嫌いだとかそういう感情とは別の日常的に構成された関係性でしかない。別に倦怠期の同棲カップルでもないわけで、あの声が別の誰かの名前を呼ぶとかその指先が大事そうに触れるとかそんなものを想像したくらいで煮え滾りそうになる感情も抱えていたりはするんだがな。甘ったるい空気が作られるよりも早く、まともな生活を形成するほうに重点を置いたのは俺の方だ。それじゃああの狭い部屋にはそんなものがないのかというとまた別の話でしかない。
実家について何をしたかというと実際のところ、別段何もしていなかった。久々に家族団欒をしてみたり、地元の友人と約束を取り付けたりとまあ二日三日は潰せると思ったんだがな。結局のところ、二日目にはもう我が物顔でだらだらと居間のソファに居着いて携帯をいじっていた。
「古泉くんも連れてくれば良かったのに」
「あいつは合宿があるんだとよ」
宿題おしえて、と背の低いテーブルにしがみ付いている妹に聞かれてももうそろそろ高校時代の公式なんかは頭から抜けている。文学か哲学かだけで構成されていそうな天文学は実際のところ自然科学だの物理学だの頭が痛くなりそうな数式と専門用語で作られる世界なのだ。高校生の宿題なんかはあっという間だろうに。唇を尖らせるように曲げてから「じゃあこっち!」と広げられる教科書に、仕方なく身体を起こす羽目になる。やれやれと覗き込むように座った視界の片隅で、大きな入道雲が空の一部を染めていた。
作品名:日常風景、その延長線。 作家名:繭木