果てに落つ
そうすれば後は何を思い煩うこともない。三成のために徳川は残し、さっさと魚の腹をさばいてくれよう。
「惜しい。惜しいな。ぬしも我と同じになれるはずであったのに」
禍が潜む指で珠を絡め取るように操る。そうして昏い光を湛えた眼で惜しむように己を見つめる男に、元親はきつく眉根を寄せる。大谷は頬まで裂けようという笑みを浮かべ、呪詛を紡ぎ続けた。
「少しいじるだけで人はぬかるみにはまる。ぬしらの不幸は極上であった……なァ長曾我部、我は思うぞ。ぬしには絶望がよく似合う」
嗤いながら美酒を味わうように告げる。
「魚は陸でのたうち回り、干からびるのが御似合いよ」
貶める言葉を吐きながら大谷が計っているのは、この男の息の根を止める間だ。しくじれば徳川が飛び出してくるのは眼に見えていた。まだあの男が様子を見ているうちに一気に叩き潰す、その必要がある。歪んだ笑みを零しながら対峙する男を見据える大谷に、油断はなかった。
「あんたまさか、同類が欲しいのか」
はっとした様子で男が叫ぶのに構わず、大谷は腕を振るう。複数連なった珠が、一瞬のうちに元親の前に現れた。唸りをあげて飛来する数珠を槍で弾いたその背後から、残りの珠が急襲をかける。
「ぐ、あ……!」
背後を打ち据えられ、振り返った元親が槍を振るう前に、珠は四散して逃れる。元親、と切羽詰まった声で名を呼ぶ徳川の声を聞き、大谷は続けざまに腕を振り上げた。冷酷に眼前の男を始末するべく呪詛を紡いだ大谷の心は、何の呵責もなく凪いでいた。
だがその瞬間に鬼が叫んだ。
「だから石田も道連れかよ……!」
大谷は、知らずに眼を見開いた。
不幸を。
疲弊を、悲嘆を、慟哭を、絶望を、不幸を、一片の曇りなき、純然たる不幸を――誰にも等しく与えよう。大谷は己の呪いの根源が、善なるもの、美しいものへの醜い嫉妬であると知っている。眩いものは厭だ。眼が潰れる。膚が灼け爛れる。身の内に巣食った羽虫が蠢いて叫んだ。呪われろ、呪われてあれ。でなければ息もできずにこの身は容易く腐り果て、
己の消えた世界には変わらずに陽が降り注ごう。
憎い。憎らしいのだ。前世の罪業のいかほどかと、触れれば我が身も爛れようと、病んだ大谷には遠くかけ離れた健やかなるものたちが囁いた。この世にあって鮮やかに色づき息づくものの何もかもが、大谷の病に蝕まれた身体と心を苛んでいった。それらを潰してしまわねばならぬ。総てに等しく常闇を与えねばならぬ。病んで掠れた怨霊の如き声音で澱んだ憎悪を吐き捨てて、さらしで覆った醜い腕を、腹を空かせた餓鬼のように闇雲に伸ばした。
その先で、一人の男が振り返る。
銀のひかりを身に帯びた――眩い――厭わしい――眼が潰れる――鮮やかな一人の男が、
刑部。
澄んだ眼をしてそう呼んだ。
その眩しさを塗り潰すために傷んだ指で絡めて捕え、不幸を共にと引き摺り落とし、
(同類が欲しいのか)
同じ奈落にあれと願う―――
「違う」
構えを解いて茫然とした大谷は、無防備にただ、呟いた。
三成だけは、違う。
槍を振り上げ、眼前に迫った鬼の眼が驚愕に染まるのがわかった。男の顔がそれまでの憎しみと怒りとは違う色を浮かべる。だが槍を振るったその腕はすでに止めようもない勢いを保ち、
槍の穂先は寸分狂わず大谷の胴を貫いた。
濡れた鈍い音が、耳の奥に響いた。