その冬
「ああ、なんともござらんよ。このくらいの雨風、別段どうということもござらん。」
「そうよね!そうよね!」
薫はぱっと背中を向けた。
「ごめん、私、どうかしていたみたい。おやすみなさい、剣心!」
早口にそう告げて去る、つもりだった。
薫の左手を、いつの間にやら剣心がとっていた。
「冷えているでござるな。」
剣心は暫くそのまま薫の手を両の手で包んでいた。
こんなときどうして良いものやら、薫にはわからない。
「あ、ありがと。」
とりあえず礼を言った。
薫は再び頬に血が上るのを感じた。
自身は襦袢に一枚、上着を引っ掛けただけの姿。
剣心もすでに襦袢姿である。
(まるで…。)
薫は頭に浮かびかけた発想を必死で打ち消した。
「さ、寒くない?」
とりあえず何か喋ろうと、薫は口を動かした。
ああ、と、剣心は簡単に返事をした。
「寒いのは薫殿のほうでござろう?
手が、冷たい。」
それは確かにその通りなので薫はますます何を話すべきかわからなくなった。
「寒い中、わざわざ拙者の様子を見にきてくれたのでござるか?」
一拍の間を置いて、剣心は微笑んだ。
「ありがとう、薫殿。
部屋までお送りするでござる。」
「あ…。うん…。」
自分の中で何かが崩れたような気がした。
薫はうつむいて、剣心に手を引かれるまま、自室へと向かった。
自分の胸中の、この一抹の寂しさは何だろう。
その正体が薫にはわからない。
それについて考えを巡らせる。
が、神谷家はさして広くない。
すでに薫の部屋の前だった。
すっと襖を開けて、剣心は薫を促した。
「ありがと、剣心。」
と、風がまたがたがたと窓を鳴らした。
薫がびくりと肩を震わせるたことに、剣心も気づいた。
「…この部屋は風の音が強いでござるな。」
「そうなのよ…。」
薫ははずかしそうにうつむいていた。
18にもなって風を怖がっているなんて、なんと情けないことだろう。
日ごろは道場で弥彦に対して偉そうに指導しているのに、夜が怖い、風が怖い、とは。
きっと剣心は呆れている。
薫はこの場から消えてしまいたい気持ちになった。
暫く、2人は黙っていた。
意を決したように口を開いたのは、剣心だった。
「拙者の部屋で、休むでござるよ。」
え、と、薫が目を瞠る気配がした。
すでに剣心は薫の手を引いて、来た廊下を戻ろうとしていた。
「え、でも。」
「拙者の部屋のほうがいくらか静かでござる。
そのほうが薫殿も落ち着いて眠れよう。」
(で、でも…。)
薫の戸惑いをよそに剣心はそう心を決めてしまい、薫も手を引かれるまま、
おずおずとついていった。
三度(みたび)、通ることとなった廊下を歩みつつ、薫の懸念はひとつだった。
(それって…同じ臥所で眠るということ?)
意識した途端に顔がかっと熱くなった。
襖を引き開けると薫を促して、剣心はそっと後ろ手で襖を閉めた。
どきり、と、薫の胸が跳ね上がった。
立ち尽くす薫をおいて、剣心は夜具を整えた。
「大丈夫でござるよ。」
困惑する薫に剣心は優しく言った。
「薫殿が眠るまで、拙者が傍にいるでござる。」
さ、と、剣心は薫に夜具に入るよう勧めた。
「で、でもそれじゃ、剣心が布団で眠れないじゃない。」
「いや、拙者には慣れたことでござるから。」
「でも。」
いいから、と、剣心は薫の手を引いた。
優しいまなざしが薫の目に映る。
羽織っていた上着を脇によけて、おずおずと、薫は夜具にくるまり、目を伏せた。
確かにこの部屋のほうが風の音は静かだった。
しかし。
薫は寝付けない。
ふたりきりで剣心の部屋にいるのだ。
意識せずにはいられない。
鼓動はどんどん速くなる。
やすやすと寝付くのは難しいことに思われた。
おもいきって、伏せていた双眸を、ぱ、と薫は開いてみた。
やはり剣心はこちらを見ていた。
今度は薫が意を決する番だった。
「剣心。」
すうっと息を吸い込んだ。
「一緒に寝よ。」
剣心が軽く息を呑むのがわかった。
「ね?そこじゃあ、風邪をひいてしまうわ。」
一瞬の間をおいて、剣心は笑った。
そして、やんわりと諭した。
「若い女性(にょしょう)が、男と同じ床で眠るなどと、
口にするものではないでござるよ。
拙者のことはいいから、おやすみ、薫殿。」
そう言って、そっと薫の手をとった。
「不安なら、こうして手をつないでいるでござるから…。」
薫はその手を握り返した。
じゃあ、と、薫は精一杯の勇気を振り絞って声に出した。
「剣心の、お嫁さんにして。」
声が震えた。
「それなら、いいでしょ?」
今度こそ、剣心が息を呑むのがわかった。
暫くの沈黙があった。
長い長い沈黙の間、薫はずっと剣心の手を握ったままでいた。
自分の口にした言葉の意味を、薫は十分にわきまえていた。
いつか、そのときは来るのだ。
ならば今日、この愛する男(ひと)の、妻になりたい。
いつの間にか薫の瞳はうるんでいた。
くちづけをするときの表情である。
それこそが決意の表れだったかもしれない。
暗がりの中、剣心の目にしかとは見えなかったが、気配がそれを伝えていた。
そっと剣心が薫のほうへと身を寄せる。
もうお互いの息がかかるくらいの距離まで顔を寄せたところで、
「…本当に?」
剣心は念を押した。
ややあって、でもはっきりと、薫は口にした。
「うん。」
剣心の腕が薫をきつく抱いた。
あ、と薫のくちびるから息が漏れる。
しかし今日の剣心は腕にこめた力を緩めたりはしなかった。
そのまま薫の首筋にくちびるを這わせる。
手で、薫の襦袢のあわせをかき開く。
胸のふくらみを片手におさめたところで剣心は薫にくちづけた。
いつものやさしいくちづけから、だんだんと強く、激しく。
薫にはすべて初めてのことだ。
くちびるを重ねるだけでなく、舌を絡めるくちづけも、乳房に与えられる刺激も、
腿を割って、秘所に這ってくる指も。
剣心は貪るように求め、薫は必死でそれに応えた。
いつしか上がる薫の嬌声に剣心はさらに溺れた。
互いの身体を絡ませ、ふたりはひとつになった。
破瓜の痛みは耐えがたいものだったが、切なげに己を求める男にとにかく応えたい、
それだけの気持ちで薫は堪えた。
両の腕(かいな)を首や背に絡ませ、求められるままに。
薫を貪り尽くし、剣心も果てた。
朝。
先に目覚めたのは剣心だった。
夢ではない。
薫をついにこの手に抱いた。
夜具の中には裸身の薫がいる。
朝の光に透き通るような薫の白い肌。
そこに、己が散らした紅い花がいくつも咲いている。
再び燃え上がりそうになった情欲を、剣心は吐息ひとつで抑えこんだ。
「…ん…。」
薫の睫毛が小さく震えた。
目を覚ますのだろう。
ゆるゆると薫が目をあけた。
まだぼんやりと霞がかかったような表情の薫に剣心は小さくささやいた。
「おはよう、薫殿。」
「おはよう…剣心…。」
ふと、薫の頬が朱に染まる。
ぱっと夜具を引き寄せて、薫は顔を背けた。
誘ったのは自分だし、こうなることを望んでいた。
それでも後朝ははずかしい。
剣心は穏やかに微笑み、身支度を始めた。
「すぐに、朝餉の支度をするでござるよ。」
「うん…。」
薫は顔を背けたまま返事をした。
昨夜はぎとられた襦袢が夜具の脇にくたくたと横たわっている。