ちいさなもののおおきさは
同時刻、滝口亮は焦っていた。勿論、紀田正臣らが思っている様に体が突然縮んでしまったから等という名探偵によくある展開に陥っているからという訳ではない。
彼はもともと、あまり表情を崩したり、乱したりしない性格だ。しかし、それは彼自身に降りかかる困難に冷静に立ち向かえる力があるからであり…その力は、自分ではなく、彼の周りの何かに起こった場合には適応されないのだ。
どれ程走り回っただろうか、本当に数秒その子から手が離れただけだったのに。まだ三歳と二ヶ月しか人生を歩んでいない男の子にとって、この世界はあまりにも好奇心をくすぐるものに満ち溢れすぎていた。
息は今までに無い程荒くなっていた。いつか黄巾賊に追い掛け回された時も、ここまで焦ってはいなかっただろう。
もしどこかで怪我をしていたら、事故を起こしていたら、誘拐犯の標的にされてしまったら、もう、会えなくなってしまったら…思考はどんどんマイナスな方へと流れていき、もう動かないだろうと思っていた脚は自然と前に出た。
疲労を溜め込んだそれは小刻みに震えていたが、構わず走る。そのまま、横断歩道に出た。そして、走り、渡り、走って渡ろうとし、渡り切ろうとして、そして、そして―――…
「とぐさっちー」
「あー?」
「むにっ」
後部座席から運転席に座る渡草の頬を摘む狩沢を横目で見ながら、いつも通りの光景に門田は薄く微笑んだ。渡草が嫌がっているにも関わらず遊馬崎も狩沢に応戦し、二人して渡草の頬を嬲っている。
「その位にしとけ、運転中だぞ」
そう助け舟を出してやると、二人は口先を尖らせつつ大人しく座り直して会話に華を咲かせ始めた。
渡草は少し赤くなった頬を片手で擦りつつ軽く門田に頭を下げ、事故ったらお前達のせいだからなと後部座席に向かって叫んだ。
「渡草っちは運転上手だから大丈夫だよー」
「そっすよ、この前みたいなワゴンでのドリフトなんて普通出来ないっすよー?」
「いくら俺でも、運転中にちょっかい出されたらわからないっつってんだよ」
運転上手というところは否定しないのか、なんて思いながら、門田は正面を見る。信号は青、今日はあと本屋にでも行ったら帰るか。ぐ、と体を反らして背筋を伸ばす。指先が天井に当たり、そこに目線を移した、その時だった。
「掴まれ!」
唐突に上げられた渡草の大きな声、と共に、何に掴まれば良いのか、掴まらなければならない理由はなんなのか等の答えが分からないままに車体が大きく揺れ、傾いた。タイヤと地面が激しく擦れ合う凄まじい音が耳を劈き、窓の外の世界が半周回った。
摩擦音がまだ耳に残っている中、ワゴンの動きは漸く止まった。誰も声を発する事が出来ず、車内は沈黙に包まれる。それを破ったのは、門田だった。
「…渡草、どうした」
「人が」
「人?」
「飛び出て、きた」
そこまで言うと、渡草は運転席のドアを勢い良く開き外に出た。そして、今さっきまでワゴンが走っていた道を走り出す。門田もそれに続き、お前等はそこで待ってろと後部座席の二人に告げた後、外に出た。
少し歩くと、ざわめく野次馬の中心でへたり込む少年が目に入る。…来良の制服だ。
「…お前か?飛び出してきたの」
渡草が少年に話しかけると、彼は小さく肩を震わせつつも頷き、小声ですいませんと呟いた。その様子を見て、渡草は頭を掻く。大方怒鳴り散らしてやろうとでも思っていたのだろうが、相手がこの様子なのでその気は失せてしまった様だ。
さてどうしよう、と渡草と門田が顔を見合わせる。すると、少年は片手で口を覆い、体を丸め、小さくなったまま嗚咽を漏らし…顔は見えないが、どうやら泣いているらしいということだけが分かった。
「!?おい、どうした、怪我でもしたか?」
あからさまに渡草は焦り始め、少年の肩に手を置く。周りの視線は冷たく、痛い程だった。
渡草は困った様な顔をして再び門田と目を合わせ、その後目の前の少年に目線を移す。大きな溜息を漏らし、少年の腕を掴んでその場に立たせた。
「怪我、あるか見るから、ちょっと来てくれ。あっちに俺達の車があるから、出来ればその中で」
◇
「はい、おしまい」
にーちゃにえほんをよんでもらった。おまわりさんは、せいぎのみかただっておはなしだった。
にーちゃもそうだっていってたけど、ぼくはちょっと、おまわりさんがこわい。
おっきいし、ちからがつよいし。わるいひとをこらしめるときが、こわい。
おまわりさんがいいひと、っていうのは、わかるんだけど、こわい。
にーちゃがいたら、へっちゃらだけど。
◇
「大丈夫だよー、渡草っち。この子、怪我とかしてないって」
後部座席のそのまた後ろ、荷物が置ける広めのスペースから、狩沢が報告の声を上げた。良かった、怪我は無かったか。狩沢の隣にちょこんと座る少年に声をかけてみる。
「危ないだろ、あんな所で飛び出てきたら」
「…すいません、俺…」
「…気をつけろよ、お前が怪我することになるんだからな」
いきなり飛び出てくるんじゃねぇ俺の車に傷でもついたらどうするんだ、と、怒鳴るつもりだったのだが。ここまで小さくなられてしまってはどうしようもない。無言のまま、車内に気まずい空気が流れ始める。…このままじゃ埒が明かない。
「家はどこだ?」
「え」
「送ってやるから。もう七時回ったし」
後ろから渡草っちやさしー!渡草さん男前ー!なんて声が上がるが、全て無視させて貰う。
「…俺、平気です。すいません、なんか」
「別に遠慮すること無いぞ。俺達ももう帰るところだったし、ついでだ」
「そうじゃ…なくて」
そこまで言うと、再び声を詰まらせ、俯いて震えだした。泣く時に手で口を覆うのが癖なのだろうか。
「何か理由でもあるのか?」
門田も後ろに目線を移し、彼に話しかける。彼が落ち着くのを暫く待っていると、漸く口元から手が退かされ、口を開いた。
「俺…弟を探してるんです」
◇
にーちゃとおかいものにきた。にーちゃとふたりでおでかけするのはだいすき。にーちゃもだいすき。
にーちゃは、おれからはなれるな、っていって、ずっとぼくのおててをにぎってくれた。
すーぱーは、ひとがいっぱい。いっぱいいっぱい。ものもいっぱい。おかしがいっぱい。
いっつもぼくがたべてるおかしがあったから、おててをのばした。でも、にーちゃがかたっぽのおててをにぎっててとどかなかった。
やっとおかしにおててがついて、おかしをとった。にーちゃに、ぼくがいつもたべてるおかしがあったって、おはなししたかった。
にーちゃ、どこ?
◇
「俺、人が小さくなるなんて、探偵まんがにしかないものだとばっかり思ってたよ」
「僕もだよ」
二人合わせて溜息を吐き出す。また少し空が暗くなり、その黒さはどんどん深みを増していくそんな中、俺達は公園のベンチに三人そろって座っていた。一応、俺も帝人も一人暮らしなので門限等は無いが…夜までずっと外にいる様なことには極力なりたくない。物騒だし、補導されたい訳でも無いし。しかし、こんな小さい子を置き去りにしていくなんてことも出来ない。
「…もう、連れて帰ろうか。どうしようもないし」
作品名:ちいさなもののおおきさは 作家名:アキラ