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veil of darkness

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高層マンションの中ほどに位置した部屋のインターホンを押す頃、時間は十時を回っていた。覇王はまだ落ち着いていないのかそわそわしている。ドアの隙間から顔を出した青年は、十代の顔を見て中に招き入れた。散らかっていると言った割には、それほど酷くはない。
「おい、大丈夫なのか?」
「世話になるぜ」
ヨハンの足元には少し大きな猫か、小さな犬くらいの大きさの動物かぺたりと座っている。可愛らしい顔立ちをしていたが耳は四つ生えているし、うっすらと霞がかかったように透けている。
「ルビー、通してやれ」
精霊のルビーと覇王はあまり折り合いが良くなかった。そもそも精霊だけではなく動物も皆、覇王を畏怖している。彼女の持つ闇を感じ取ることができるのであろうか。カーバンクルのルビーは一声鳴くと、するするとヨハンの体をよじ登って肩の上に落ち着いた。
「ハネクリボーは?」
「奥にいる。事情は聞いた」
「じゃあ話は早いな」
覇王はブーツを脱ぐと、居た堪れないように部屋に上がった。十代も倣い、二人掛けのソファの置いてある小さな居間に移動する。相変わらず彼の部屋は広かった。十代は全寮制の高校の頃の生活を思い出す。あの頃も彼は良い部屋に入れられていた・・。
「それで?」
ソファに落ち着いた覇王を横目で見ながらヨハンが言った。
「どうするつもりなんだ、これから」
「どうもこうも」
十代は首を振る。覇王は疲れたように目を閉じていた。本当に疲れているのだろう。十代は屈んで彼女の頭を撫ぜてやった。傍らには先にやってきていたハネクリボーがふわふわと漂っていて、同じように彼女の顔を覗き込んでいる。ハネクリボーも不安そうな顔だ。
覇王が覇王であり続ける為にはすべての闇を背負っていなければならない。十代は、何度その立場を変わってやれればと思ったことか・・彼の顔を見て、ヨハンも諦めたように肩を落とした。既に一蓮托生、事態は死ねば諸共らしい。
「最近嫌な予感がするんだ。お前はどうだ、ヨハン」
「おれ?おれはまあ・・別に。なあルビー?」
ヨハンの問いかけにルビーは首を傾げる。
「そうか・・なんだか、こんなことじゃ終わらないような気がしてさ」
両親を妹が殺したことをこんなこと、で片付けてしまう十代にヨハンはほとほと呆れてしまった。もともと彼は親とは仲が悪かったのは知っていたが、彼が精霊に片足を突っ込んでからというもの、彼の態度の変化は顕著であった。その経緯をそれなりに知っていたから、ヨハンも十代や覇王を批判することはできないのであったが。
「でも、それと家をそのままにしておくのとは別だろ?明日にはニュースになってるんじゃないのか?」
「明日はどうだろうな。発見されるなら明後日じゃないのか」
「どっちでも同じだろ・・」
そういうとこ尊敬するよ、とヨハンはぼやいた。十代はコートも脱がずに寝息を立て始めた覇王を見て微笑んでいたが、ふとヨハンの方を見る。ヨハンは少し身構えた。
「な、なんだよ」
「ベッド貸してくれって言ったら?」
「・・・いいけど」
「それからシャワーもいいか?」
「好きにしろよ。っていうか着替えとかあるのか?」
「んん、ない」
十代は苦笑した。彼の分はともかく、覇王の服もないし、ヨハンはがっくりと肩を落とす。十代のことは嫌いじゃないが、こういうアバウトなところは半分嫌悪して、半分は心底尊敬していた。

十代の指摘したとおり、翌日のニュースに殺人事件の報道はなかった。それが明らかになったのは二人がヨハンの元に転がりこんでから三日も過ぎた土曜日で、近所の誰かがおかしいと感じたとか、会社からの電話が通じないとか、そういうことで明らかになったようだ。
十代はテレビにクッションを敷いて、その上に胡坐をかいて陣取り、足の間にハネクリボーを乗せていた。学校が休みのヨハンもソファに座り、テレビの中のブルーシートを張られた親友の自宅を、なんとも複雑な心境で眺めているのであった。
「そういえば十代、バイトは?」
「ああ・・うん」
十代の返事はそれだけだった。テレビを真剣に見ているかといえばそうでもなく、眠たそうにも見える。何にも興味がないというような感じだ。それから二人とも暫く黙った後、またヨハンが口を開く。
「いつまでここにいるつもりなんだ?」
「うーん」
十代の返事は上の空だ。ぼんやりとチャンネルを回し、二、三の局で同じような報道がされていることを確認したら、さっさと電源を切ってしまう。腰を上げ、膝から落とされたハネクリボーは一度床に転がってから飛び上がった。ヨハンは流石に眉を寄せた。
「おい、十代」
「なるようになるって」
「お前はいいかもしれないけど、おれや覇王は普通の人間なんだぞ?一緒にするなよ」
珍しく食い下がってきたヨハンに十代は肩をすくめる。
「なんか、もっと大変なことが起こる予感がするんだ。だから」
「だからほっといてくれって?」
「悪い」
彼の予兆は良く当たる上に、困ったことに対処の難しいことばかりであったから、ヨハンは折れるしかなかった。それでも溜息が一つ零れてしまう。彼と知り合ってから貧乏くじを引き続けているような気もするが、それも仕方ないのだろうか。ヨハンには精霊と心を通わせる力こそあったが、それ以外は全くの人間である。
何となく殺伐とした空気が部屋に充満している。十代の方は気にならないようで、ハネクリボーだけがすまなそうにヨハンの方を見ていた。精霊に気にかけられるなんて、とヨハンは自嘲する。その時小さくドアの開く音がして、厚手のパジャマを着た覇王が姿を現した。
「覇王、よく眠れたか?」
彼女や十代の服は、例の夜の次の日には彼が取りに戻っていた。覇王はまだ少しぼうっとしているようではあったが、彼の言葉に頷いて、目をぱちぱちとしばたいた。喉に細い指を当て、何度が掠れた声を出してから、囁くように言葉を紡ぐ。
「・・マリシャスエッジが、」
覇王の言葉にヨハンも振り返った。マリシャスエッジはかつて覇王を捕えていた闇に従属する、非常に凶悪な精霊であった。今では彼女を主と認め、忠実に付き従っている。
「他の次元に、何かが起きていると」
「ああ・・おれも薄々そんな気がしてたぜ」
十代は苦々しげに言った。頭一つほど小さな少女の頭を優しく撫でる。覇王は少し口をつぐんだ後、含むように続ける。
「・・どこか、真っ白な光に消えてしまった次元があるらしい」
「破滅の光、か」
十代の漏らした言葉に覇王は顔を上げた。金色の瞳が揺らいでいる。不意にざわ、と部屋の空気に冷気が増したような気がして、物という物がかたかたと音を立てた。倒れそうなものや、棚から落ちそうなもの。彼女の不安は闇を引き寄せて、そのまま具現化されてしまう。それが覇王の持つ闇の力であった。十代は細く頼りない体を引き寄せ、抱きしめる。その腕に力がこもった。
「大丈夫だって、なんとかなるさ」
こくり、と小さな頷きと共に空気の温度が戻った。無意識に息を殺していたようで、ヨハンはほうと息をつく。しかし十代だけでなく覇王まで何か感じているというのだから。
作品名:veil of darkness 作家名:つづら