僕は一日で駄目になる
俺のアパートに着くなりベッドへ倒れ込み、しゃべりすぎたからなのだろうか、今はくうくうとかわいい寝息を立てている姿が恨めしい。いや、でも耐え難きを耐え忍び難きを忍び、ついにこの時がやってきた。お、落ち着け俺。いきなり栄口が目を覚ましても冗談で済ませる範囲内で行動しなければ… ってなんで俺はまずズボンを脱がしにかかっているのかなー?「手が滑った」とかいうギャグにもなんないなー…。
そういう一人問答を心の中でしていたものだから、栄口が目をパチパチさせながら俺のほうを見ているのを気づくのに少し間があった。
「えっ、あ、こ、これは、えーと…」
「優しいな、俺の下脱がしてくれたんだ」
「あ、う、うん…」
「俺も水谷の下脱がしてやるよ」
ゆらりと起き上がった栄口が、俺のTシャツの裾を捲り上げベルトを外す。あ、やめて、今おれ結構ヤバいっつーか半分くらいアレなんですけど…。
続けて腕が伸びると思っていたそこへ、栄口の顔が近づく。え、何するんだ?と後ずさりしたら、上目遣いの栄口と目が合って思わず唾を飲み込んだ。部屋の明かりを映した瞳が潤んで光る。もう動けない。
うすい唇が開いて俺のジーンズの釦に噛み付く。…なんなんだこの光景は。四つんばいの姿勢で歯と舌が器用に蠢き、手をまったく使うことなく釦が外される。腹の辺りにさわさわと栄口の前髪が前後し、「まずひとつ」なんていう挑戦的な声に背筋が震えた。これ以上は本当にだめ。だって俺のアレがもうアレなのがバレちゃうじゃん。
まずい、と遮ろうとした手は払われ、すぼめた口が斜めにジッパーの金具を捕らえた。そんな至近距離なら絶対知られた、ましてや男同士ならなおさらそういう生理現象が分かってしまうだろう。
咥えた歯が艶かしく、予想以上にゆっくり下に動く。見られている、もう死んでしまいたい。根元までジッパーを下ろす栄口の姿は腰を高く突き出し、さながらそういう行為のそういう体位を想像させる。だいいちジッパーを口で下ろすなんて、いかにもアレじゃないか、うんアレだね、投げやりにそう思う。
「おっきくなってるね」
「あっ、はい…」
唐突になに敬語使ってんの俺。空気が濃すぎて息を吸い込むことすら難しいよ。
「いつから?」
「わかんない、です」
「あははは!」
「はは…、ははは…」
「変態だね、水谷は」
さらりと栄口が笑顔で吐いた言葉がグサリと心臓に刺さった。
言われてみればそうです、男の元同級生にズボンを脱がされたくらいで勃起してる俺は変態以外の何者でもないです。それに「前から好きだったから仕方ないじゃん!」みたいな理由を付け足してもより気持ち悪いだけ、ですよねー。
へたりと腰が抜け、ベッドの上で栄口と向き合う。目なんて合わせられない。つらいよー、針のムシロだよー、この状況をどう打開していいのか検討もつかねーよー。
「水谷が今までおれのことどう思ってたか当ててあげようか」
嫌な予感に思わず後ずさりしたら、腹の上へ栄口が乗っかり身動きを封じられてしまう。ワイシャツのすそから突き出た白いひざが目に眩しい。
ゆっくりと身体を傾け、俺の耳元で囁かれた栄口の予想はひどく正解だった。
「き、気づいてたんだ」
「お前わかりやすいんだもん」
「は、ははは」
「まだほかにもたくさんあるよ」
そんなの聞きたくない。栄口の息遣いとよく通るいい声が耳から俺を攻めていく。にこにこと笑う栄口が次から次へと投げかける猥褻な台詞は俺の頭の中身そのものだった。必死に首を横に振って否定したけれど、きっと今俺の顔は真っ赤だからこれ以上の肯定はないだろう。
「あとねぇ…、」
「さかえぐちもうやめて…」
「なんで?」
栄口の疑問に答えることはできなかった。暴かれゆく自分の性癖とその対象の本人が知っていたという事実に這いつくばってでもここから逃げ出してしまいたい。感情が沸点を超えて泣いちゃいそう。
くつくつと堪えるような笑い声が聞こえたあと、ペロリと眉間を舐められたものだから、俺は驚いて栄口を見た。半分しか開いていない目でじっくりと俺を眺めたあと、ワイシャツから乱暴にネクタイを抜き、ベッドの下へと放り投げた。
今は器用にワイシャツのボタンをひとつひとつ外してゆく。
そこでようやく、気づいた、気づかされた。
「そ、それはおれがやるよ」
慌てて起き上がったら俺の上の栄口がバランスを崩し、皺を作るシーツへと倒れた。
何がツボに嵌ったのか知らないけど、ひたすら栄口は笑う。たどたどしい指使いで一生懸命ボタンに手をかける俺が少し馬鹿にされているんじゃないかと思ってしまうくらい。声は朗らかな、俺の大好きなそれだったから余計に混乱してしまうのだけれど。
すべてのボタンがなくなるとワイシャツの下に隠された栄口の胸板が覗く。乾いた喉に生唾を飲み込み、首筋にかぶりつこうとしたら曲げた膝に阻まれた。
「みーずたにっ」
「なっ、なに?」
なんなんだよう、これからいいところなのに。ちょっとだけ不機嫌な反応を返してしまった俺に、栄口はふっと、それこそ一瞬だけシラフに戻ったみたいにあのいつもの苦笑いをした。ぎゅうと気持ちが締め付けられてしまった俺の、前髪を大事そうに撫でたあと丁寧にこう言った。
「あいしてる」
…ああひどい、おいしいところ全部持ってかれちゃったよ。今日の俺はダメダメだ。
家族がなぜ栄口に下戸と偽って告げていたのかよくわかる。
これはちょっと、人が変わりすぎだろう…。
作品名:僕は一日で駄目になる 作家名:さはら